なおやんの 手記手記 しゅっき〜

なおやんの 手記手記 しゅっき~

痛みに耐えて よく頑張った

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土産とハウ

土産とは

土産を買って帰らなければならない これは旅行芸人の宿命かもしれない

釣りが趣味な人に、おい俺の分の魚はないのか とはならんし、ギャンブル好きの人間に、おい配当金の一部寄こせ とはならない

しかし旅行が趣味な人間は土産を買って帰らないと、おい土産ねえのか と罵詈雑言が飛んでくる これは不公平ではないのか

 

ただ、ただ 私は人に土産をあげるのがすごく好きな人間である

偽善とかでもなく、もはや性癖とかに近いかもしれない 人にあげるものへの出費は痛いとも思わない

何かを人にあげて、その人が喜んでくれる そのことに興奮を覚える そういう人間として生を授かってしまった

だから土産選びは楽しい めちゃくちゃ楽しい もちろんあげる瞬間はもっと最高

そしてあげる瞬間に「旅行どやった!?」なんて聞かれるともう絶頂 TKPの貸し会議室借り切って3時間熱弁したいくらい

 

逆に人から土産をもらって、その旅行の話を聞くのも幸せな時間である 社会人1年目はほとんど旅行に行けなかったから人からの土産と土産話だけを生き甲斐にしてた時期があった 中国の農村部の少年のような目をしていたに違いない

 

つまり何が言いたいか 土産は人に幸せをもたらすのである

 

 

24歳の屈辱

誰しも死ぬまで忘れられない屈辱的な体験があるかもしれない

36失点してるのに最終回まで完投させられた、全校生徒の前で井出らっきょのモノマネをしてドン滑りした、友達にNintendogsのビーグル犬を殺された・・・などなど私にも無数の屈辱的な出来事がある

 

そして時は令和 坂本直哉24歳 ここに来て歴史を塗り替えるくらいの屈辱的な体験をしたのである

 

 

えーどこから話そ

まず私の会社、運転士と車掌はずっと同じペアとなる

私は若い運転士と組み、旅行に行くたびにその運転士にだけ だけである そいつにだけ土産を買っていった

徳島のマンマローザ、熊本の黒糖ドーナツ棒、北海道のロイズポテトチップチョコ どれも実際に味を確かめ、一級品であることを確かめたのち、あげた

あげる瞬間、もちろん期待する 「で?旅行はどやった?」の一言

くるか?くるか???

 

「ありがと~またなんか返すわ」

 

 

来ない 計3回土産を渡した さすがに最後の北海道くらいなにか聞いてくるかと思ったけど何もなかった

「この前大東亜共栄圏行ってきたんでそのお土産です!」なんてぶっ飛んだこと言って変な人形渡そうがたぶん何も言ってこない

もちろんそんな言葉を期待するほうが間違っている 旅行というものに興味のない人間もいる そんな人間に旅行についての理解を強制的に求めてはいけない

しかしこのときに、土産に対する捉え方のズレを少し感じたのである 小さなズレであったが規模感でいえばそれはプレート同士のズレであった のちに大地震を引き起こすのである

 

 

 

その人が白浜に行ってきたらしい

そんな話が流れてきたのは同じ班のおっさんからである

シフト制の仕事であるため班がいくつか存在し、同じ班の人間は休みの曜日も同じとなるなど、班という単位はそこそこ密接な関係となる

そしてなぜ行動をともにするはずの運転士が旅行へ行ったという情報が第三者経由で回ってくるのかというと、私と運転士の関係は冷え切っていたからである

昔からやらかし体質のある私がさらに転職を意識してからはもうミスのオンパレード こればっかりは誠にすいまめんであるのだが、自分もミスをしたくてしてるわけではない おっ開き直りか?

ミスをするたび謝り倒してるけど次第に口すら利いてくれなくなり、挨拶をしても無視、電車に乗り込む前のお願いしますの一言も無視、何を話しかけようが無視をされ、24歳にして擬似介護体験をしてしまっている 辞めると決意してるにも関わらず精神的にきついものがある よっぽどきついんやと自分でも思う

 

そんな絶縁状態の男が白浜へ行った 旅行で

 

いやさすがに もうそれは仲が良いとか悪いとか 普段迷惑こうむってるとかどうとか関係なく、人として土産は買ってくるだろうと

 

もちろん会社の人間への土産は買ってきてあった

続々と班のメンバーに配っていくのを横目で見ている私

口利かれへんから旅行どうでした?とか聞かれへんけども、もらったら最大限の感謝を伝えようと決めていた

 

・・・まだか 長いな

横目で人を見るのは疲れる 眼球にも負担がかかる 正面で彼を見つめることにした

来る気配がない 人という生物は歩く方向につま先が向いているものである もうつま先が横を向いてしまっている そこからの方向転換は能楽のプロでも時間を要する

 

そしてついに来なかった

 

このときの私の気持ちを推し量ることができるだろうか いやできない*1

 

班には20人いる そいつを除くと19人 つまり18人には配られた これはとんでもないことである

ドラえもんでよくスネ夫が4人乗りのオープンカーでリゾート地に行こうと持ちかけるがスネ夫スネ夫兄・しずかちゃん・ジャイアンしか乗れずのびたが置いていかれるシーンがある

あんなものの比ではない

スネ夫はオープンカーではなくマイクロバスで乗りこんでくる 定員ギリギリくらいか?あ、いや補助椅子とかあるやん 余裕やん そんなことを考えているうちにマイクロバスは私だけを置いて彼方へと消えていく

 

 

 

そもそも20代後半の男が白浜なんか行くな アホか

白浜行ってええのは大学卒業相当の22~23歳までじゃ そっからは妻子持つまで白浜なんか行かんのじゃ そんな用事ないやろ よっぽど観光地知らんのか

パンダ見て喜ぶんか 中国の商材やあれ レアメタルと同じや レアメタル見てウキウキすんなアホか 白浜行くなええ年こいて アホか

 

 

もう本人へのヘイトを通り越して白浜へのヘイトとなってしまった

白浜はいいところです みんな行ってください

そしてこの出来事があって頭に浮かんだのが、モースの贈与論である

 

 

贈与とハウ

もちろんこんなこと能動的に学んだわけではない

楽単と噂の同志社大学川満教授の授業を無理やり取っており、そこで聞かされた話である

あのとき配られたレジュメの文章、すごくわかりやすかったのにテストと同時に破棄してしまった

おそらく「愛と経済のロゴス」という本から引用した文章が載ってあったレジュメであった もう1回読んでもいいかもしれない 面白い話だったはず

この中で登場するのがモースの贈与論である 説明するのは面倒なのでわかりやすく、マオリ族の例を出す

 

マオリ族には,人,家族,部族,土地に結びついた財産があった。この財産を人に贈る時ひとつの決まりがある。贈り物を受け取ったら,受け取った者は贈り主にお返しをしなければならない,返さないでさらに別の誰かに譲ったとしてもそのことで得たものを最初に贈ってくれた人に返さなければならないというのが,その決まりである。というのも,品物には物の霊であるハウ hauが宿っており,このハウが贈与とお返しを引き起こすと考えられているからである。

 

岩野卓司(2017)『マルセル・モース「贈与論」と今日』 より

 

 そしてこのマオリ族の贈与のえげつないところは、この贈与品はタオンガと呼ばれ、お返しをしないと呪い殺されるのである

俺があげた黒糖ドーナツ棒にそんな機能はなかった 悔やまれる なんやねん黒糖ドーナツ棒って

また、この「ハウ」という概念、贈り物そのものには内在しておらず、受け取った人間が「これはなんか返さなあかんど!」と思ったその瞬間に贈り物にハウが宿るそう

日本におけるアニミズムとかともちょっと性質が違うのかな

モースによると「ハウはそのもとあった場所や、森の氏族の聖所やその所有者のもとへ帰りたがる」らしく、返礼品とともにハウが所有者のもとへ帰ってくると考えられている

 

 

いや俺のハウは?

向こうに行ったっきり帰ってけーへんねんけど

相手にしても3体の霊がずっと周辺でウロウロしてるのは良い気分ではないはずである

 

 

 

あっ

 

ここに来て思い出す 数分前に自分で書いた文章である

また、この「ハウ」という概念、贈り物そのものには内在しておらず、受け取った人間が「これはなんか返さなあかんど!」と思ったその瞬間に贈り物にハウが宿るそう

 

 

 

 つまり、私の贈与にははなからハウなど存在していないのである きっと黒糖ドーナツ棒の中の霊もウズウズしていたはずである しかしそれが出現することはなかった あの人に「返礼品」という概念はなかった

 

 

 

遅めの梅雨が大地を叩き、セミの声もかき消されてしまっている

今年のお盆は私があの人へ贈った贈り物に宿るはずであった魂の供養をしよう

そう誓った夏の始まりであった

 

*1:反語