本と映画の違い
変な菌のせいで外出禁止となり、家で時間を持て余している
こうなったら家の中で時間を潰すしかない おうち遊び なにしよう
ここで候補に挙げられる代表格は読書と映画鑑賞ではないだろうか
自分はちょっと前までは時間があればB級映画鑑賞に勤しみ、本といえばビジネス的なモノしか読まず小説にはあまり触れてなかった
しかし最近 小説がアツい 久々にガッツリ何冊か読み出したら 面白いのである
さて本の小説と映画との違いはなんだろうか アホでもわかる 映像があるかないか
この映像がないという点がある人にとっては苦痛に感じるかもしれないが、これこそが小説の素晴らしい点であり、下手に絵なんかつけられたらたまらないのである
不意な記憶
小説を読んでいるとき、おそらく多くの人間は頭の中に映像が浮かびあがっていると思う
さてこの映像は、どうやって作り上げられているだろうか
こういった質問を人にしたことがないからわからないし、ここから先は自分の話になる
自分は大雑把に言うと「新しく構築する映像が約7割、何らかの経験から引っ張ってくる映像が約3割」である
これは時間的な比率ではなく、一瞬一瞬の映像がこの構成比で作り上げられているということで、例えば校庭から見る学校の映像を作り上げるときには、学校自体は全く新しく建築するが、校庭の遊具は昔通っていた小学校にあったものが使われているとかそんな感じである
もちろん脳としては10割過去の記憶から引っ張ってきたほうが楽だしそうしたいのだろうが、小説の中の世界はそんな単純ではなく、複雑な映像を要求してくるので、だいたい7:3くらいの割合になってしまう(もちろん時と場合で割合は変わる)
そしてこの映像の構築は割と無意識になされてて、一旦構築したら本の中で建物の配置や雰囲気などに不都合が生じても、なるべく最初に作られたイメージで突き通そうとする性質がある
で、この無意識に構築される映像に混ざる自分の過去の映像 これが興味深いなあと最近気付いた
気付いてしまったからもう無意識に構築できなくなるのかもしれんけど
例えば1番直近に読んだ「向日葵の咲かない夏」(道尾秀介)より
学校が終わり、主人公のミチオ君が学校を休んだ友達に課題を届けに行くシーンである
前知識なしで読める文章なので是非みんなにも映像を考えてもらいたい
ケヤキ通りは、校門から真っ直ぐに延びる、両側に高いケヤキの並木がつづいている広い道路だ。(中略)
この道を進むに従って、先を歩く生徒たちの姿がだんだんと減っていくのはいつもの光景だった。ところどころに枝分かれする、左右の路地に入っていくのだ。家への近道なのだろう。通りの中ほどにある児童公園を右手に過ぎる頃には、僕の前には生徒の姿はすっかりなくなっていた。公園の時計等を見ると、大きな針は十二時二十分を指していた。(中略)
ケヤキ通りの終わるT字路を右に曲がる。そちらは、僕の家のほうへつづく左の道よりも、だいぶ細い。ブタクサの茂った空き地や、砂利敷きの駐車場が道の左右を占め、人の気配もほとんどなかった。
さてこの文章を読んでどんな光景が思い浮かんだだろうか
もちろん100人いれば100人とも作り上げる映像は異なっている
自分はこの文章から主に2つの過去の映像を無意識に引っ張り出し、新しい映像と融合させ、その映像を土台にミチオ君の歩く姿を想像していた
過去の映像は少しぼやけていて、だいたい場所はわかるけどピンポイントでここ!とすぐに浮かばない
そして不思議なのが、その映像は、確かに見たことはあるけど大して馴染みもない、年に1回か2回しか見かけない景色なのである
まずケヤキ通り
これは奈良県香芝市の五位堂駅から香芝高校に向かう道である なぜか真美が丘の映像が採用された 畿央大学に通っていたわけでもないのに
この道路をまず片側1車線にして、両端の生垣からちょこんと生えているショボい木を立派なケヤキに植え替えて、周りに民家を増やして道の圧迫感を少し高めれば脳内ケヤキ通りの完成である
そしてケヤキ通りを真っ直ぐ進むとT字路に突き当たる
ケヤキ通りの終わるT字路を右に曲がる。そちらは、僕の家のほうへつづく左の道よりも、だいぶ細い。ブタクサの茂った空き地や、砂利敷きの駐車場が道の左右を占め、人の気配もほとんどなかった。
パッとT字路の映像が出てくるだろうか 田舎に住んでいても一瞬でT字路の映像は出てこない
ここでも脳は懸命に過去のT字路フォルダから最適なものを探し当てた
母方の実家の徳島市の景色であった
お盆と正月にしか帰省しない徳島の、さらに祖父母宅から徒歩20分程度の場所から引っ張ってきた
ここも割とぼんやりとした映像であったため、Googleマップで場所を探すのに割と苦労した
土手の向こう側に通り抜けができる道路が少し見えているものの、確かにT字路であった
おそらくこの本で書かれているT字路はこんな形ではないと思うけども、脳が出した答えはこの映像だった
さて右に曲がる
ちゃんと駐車場も見えてくる
あとはこの道を狭く汚くし、駐車場をもう少し広げ下は砂利道にすればおおよそ映像が完成する
という風に、小説を読んでいるときの頭の中はわけのわからないことになっており、それ故、とりあえず建築してまえの姉歯建築士精神により、不意な映像を引っ張ってきてしまうのである
この映像の元をたどっていけば思わぬ記憶に辿りつくかもしれない これは小説の世界からしか見えてこない発見であるはずだ
これまで、小説を読んで周りと共有するのは小説を読んだ感想のみに留まっていたが、一歩踏み込んで、ワレはどんな映像を作り出したのか その引用元はなにか そんなことを聞きあうのもオツなのかもしれない いつかやってみたい
また小説を読み終えた後に実写化作品を見て答え合わせをするのも楽しいだろうし、モチーフになった街があるならそこに出かけてみるのも面白いと思う
逆に実写化されたものを小説で読もうとは思わない もう脳の中で映像の答えが出てしまっているから
耐えがたきを耐え
近くの飲食店すら行けないこのご時勢、本の中で旅をするしかないのである 悲しいけれども今は耐えるしかない 今こそ玉音放送を流して全国民が歯をくいしばるときである
最後に本の中のおすすめの街を紹介する
川沿いの街が好きなのでこの本の街歩きは楽しかった
ストーリーも最高に気色悪くて割と気に入っている一冊
舞台は福岡の柳川なので、いつか行って答え合わせもしたい
なんせ死ぬほど暇なので、面白い小説あったら教えてほしいです
そして作りあげた街について 語り合いたい