学童に課せられた職務
半袖半パンの元気な学童
「寒さなんてへっちゃらだよ」と平気で言い放ち、憎めないおとぼけフェイスで周囲を明るく
いつも馬鹿みたいに笑ってるから風邪ひかないのかな??なーんて先生も呆れ顔
どの小学校にも1人はいるそんな学童 それが私であった
野球チームに入れば無理やりどこかのポジションにつかされるのと同じで、人にはそれぞれ決まったポジションがあり、あの半袖半パンポジションも誰かがやらなければならない職務のようなものであった
当時の私もそれを薄々感づいていたのかもしれない 自分がやらないと灯火が消える なんの灯火かもしらんし誰を照らしてるのかもわからないけど
真冬の2月、窓の外は雪景色
どう考えてもゴツゴツの上着とモコモコの長ズボンを身にまとい、それでもガタガタと震えたいような気候
にも関わらず私は職務を全うしなければならない 凍てつくような寒さに全身を刺されながら、全身に神経が通ってないかのように半袖半パンで飛び出し、震えることも許されず、頭が空っぽの天真爛漫な学童を演じなければならなかった
それが楽しいとか嫌だとかいう感情もない 私がピエロを演じることは生まれた瞬間から決まっていたのである
実際に寒さへの耐性はついたのかもしれない 滅多に風邪をひくこともなく、小学校6年間は1回も学校を休まなかった
そしてあの事故が起きる中学2年生の9月まで、皆勤賞は継続していた
打撃遭難
小4から野球を始めており、守備は酷いもんやったけど打撃はそこそこ良かった
少年野球とはいえ4割バッターだったし、このままいけばプロに入っても少なくとも横浜の万永よりは活躍できると思っていた
当然中学でも野球部に入った(今思えば吹奏楽部に入るべきだった)
しかし中学野球は手強かった
まず内野がアホほど広くなり、ピッチャーの球も当然速くなる
今思えば入部当初が1番打てていて、そこからスランプにハマってフォーム探しをし始めてからバグってしまった
フォーム探しというのは山で遭難したときに、その場に留まるのではなく抜け道を探しひたすら歩き回るようなもので、1つの賭けである
そして自分の場合は絶対にその賭けに出てはいけなかった あと単純に技術がなかったのとか腕がヒョロかったのもあって、泥沼の打撃不振に陥った
せめてもの昔の景色を見たらなにか思い出すんじゃないか
あと単純に小学生をボコボコにしたい
そんな思いから小学生時代に所属していた少年野球チームの練習の手伝いにいった
そして事故発生
練習の手伝いといいつつ、現役生の守備練習という体(てい)でOBはバッティングをさせてもらえる
しかしそこでも当然全く打てず、昔の監督コーチから散々バカにされ、割と本気で惨めな気分になっていた
そして実戦形式の守備練習に移り、あと1打席だけ打たせてもらえることに
ピッチャーは現役の小学生
ランナー1塁
その初球、アウトコースに山なりの球が来た
ボールだと思い見逃すも判定はストライク
もはや小学生相手にさえムキになっている自分は思わず審判役のコーチの方を振り向き「今の入ってますかぁ〜?」と涙目で訴える
次の瞬間、私は”撃たれた”
顔にすごい衝撃が加わり、痛みを感じる暇もなく天地がひっくり返り、気がつくと地面に倒れ込んでいた
何が起こったのか
●まず投球の際に1塁ランナーが盗塁を企てていた(自分はそのことにすら気付いてなかった)
●キャッチャーは当然2塁に送球しようとする(少子化社会が生んだ深刻な学童不足により、当時はキャッチャーが左利きであった)
●審判の方を覗き込んだ私の顔面にキャッチャーの送球が超至近距離で直撃
(キャッチャーの送球の延長線上に顔が被さってしまった形)
プロ野球でもごくまれににキャッチャーの送球が打者のヘルメットに当たることはあるが、顔面にまともに食らった人間はおそらくいない
そして超至近距離から投げつけられた軟球ボールは私の「右目」に直撃した
さよなら皆勤
倒れてからもまだ痛みは襲ってこない
あまりの衝撃で麻痺してしまったのかもしれない
倒れてからあろうことか私は爆笑していた
顔面にボールを食らった気恥ずかしさとありえなさで笑うしかなかった
「KOされたあとの武蔵やん」というコーチの最低民度のヤジにもそのときはマジで笑ってしまった
さすがに練習は引き上げて親に迎えにきてもらって帰ることに
これまでにも小学5年のときに1回、目にボールが直撃したことはあって、そのときは腫れただけですぐ収まったのでこのときも超楽観視していた
しかし家に帰って1時間後 明らかな異変があった
過去にボールが直撃したときも視界は若干ぼやけてたのはあったけど、今回は違う
とんでもないことになってるかもしれないと思い親に伝えると、すぐさまダイヤモンドシティ橿原(奈良県民が月2で行くとこ)の中の眼科に連れてってくれた
「うちでは見れないから医大に行くように」
事の重大さを嫌でも認識せざるを得ない診察結果であった
そのまま慌てて夜の医大に
横では喉につかえた鯛の骨を取り除いたあとの患者がいた
夜の医大には緊急性の高いいろんな種類の患者が来るらしい 超不謹慎やけどここでドキュメント72時間やってほしい
医大での診察結果は「即入院」
その診断が下った時点で、小学校から続いた無欠席ははかなく崩れ去った
同時にこれは道化師としての鎧を捨て去った瞬間であったのかもしれない
さて前述した、練習場から家に帰って感じた明らかな異変とは何であったか
右目の視力を確かめるためには、当然左目を閉じれば良い
左目を閉じた私が見た光景
それは薄くぼやけた日常の景色でも、色のない世界でもなかった
「肌色」の空間であった
ここで青木さやかのネタなら「え?肌の色は人種によって違うから勝手に肌色というものを定義するな?」と一人押し問答が始まるところやけどここではそういった批判を完全にシャットアウトすることとする
もちろん上下左右どこを見ても肌色の空間であり、つまりそれは無限に続く宇宙空間とも呼べるものであった
それはなんの濁りもない澄んだ世界ではあったが、心底恐ろしい空間であった
初めてできた彼女の乳房に胸をうずめ、視界が全て肌色になった瞬間にこのときの恐怖がフラッシュバックし、完全に失明したのかと思ったこともあった
それが見えた瞬間慌てて鏡を見に行くと、右目の眼球が少し濁っていて、また同時に透けてもいた
例えるならスマブラの蘇生直後の無敵状態のような色合いをしていた
入院生活
すぐさま入院の措置が取られて、親もつきっきりで看病してくれた
医師によると、軟球ボールは変形しやすい分、目を覆う骨と骨の間に食い込みやすく、その分ダメージも大きくなったとのこと
またその衝撃により、眼底に水が溜まっている?(今でもよくわからない)状態になっているとのこと
まあそのうち治るでしょう なんていう楽観的なことは言われず、絶望のどん底に叩き落された
最初まず何に苦しめられたかというと、吐き気であった
右目が肌色宇宙なわけで視野が微妙に狂い、故に強い嘔吐感に襲われるのであった
そして身体的苦痛の次は、時間が経っても右目の視力が戻らないことへの精神的な苦痛に悩まされた
就寝時も、明日の朝になったら治ってるかもしれないという希望と、もし治っておらずこの状態が長引いてしまうことにより視力回復の可能性も小さくなるのではないかという不安とで眠るに眠れず
五感で1番失うのが怖いのはやはり視力だと思う それが片目だけであっても中2の自分にはそれによって人生が終わってしまうことのように感じられた
そして入院4日目の朝
朝起きて恐る恐る左目を閉じる あっ 色がついている
このときの喜びといったら 号泣でもしてたら画になるけど、まあ当然っしょみたいな感じで無理やり正常な自分を保とうとしていた 失ったものが再び戻ってきたのだからこれからは何の言い訳もせずちゃんと真面目に生きなければいけないという変な使命感も芽生えてきた
そしてまともに見えるようになった目で見た阪神巨人のナイター中継
延長に入って矢野が右手一本でクルーンからライトスタンドに勝ち越しHR打った試合 なんて言っても誰も覚えてないと思うけど俺は強烈に覚えている 右目にもその光景を焼き付けることができた
5日目
中学の担任の先生がきた
道化師エンターテイナーなので当然のようにクラスの室長を務めており、それもあってクラス全員からのお手紙が届いた これは今でも大事に置いてある
当時好きだった子からは「元気な直哉から元気さを取り除いたら何も残らんやん」みたいなことが書かれてあってその解釈に眠れぬ日々を過ごした
そして1週間ほどが経ち、やっと退院することができた
人のネタをパクって「武蔵みたいな目やろ」といろんな人に言ったけど誰にもウケなかった
●教訓
ランナーがフリーで盗塁できる形式の野球には参加しない