なおやんの 手記手記 しゅっき~

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”33-4”の真実 あのとき現場で何が起きていたのか 〜前フリ編〜

語り部の重要性

「原爆は日本人によって地上で起爆された」

 

こんな恐ろしい主張が元劇団四季所属員のツイッターから繰り出されたのは先週のこと

久々の「本物」の出現にゾクゾクした

しかし本物が出てきてしまうとハローバイバイ関暁夫の立場が無くなってしまうので本当にやめてあげてほしい これ以上こんな連中が出てきたら関が独特のキレ方で怒りを表現してしまう

 

しかしこんなことが起こってしまうのには、「語り部」の不在問題が切に絡んでいるのではないか

人間というのは浅はかな生き物で、にも関わらず力を持ちすぎている

それによって世界で起きた数々の悲劇は、戒めとして適切に後世に伝えておかないと悲劇の火種があちこちで発生するし、原爆陰謀論のようにその悲劇自体の記録さえ捻じ曲げられてしまう

 

この前の記事で、人間はそれぞれなにか役目を背負って生きていると書いたが、どの人間にも語り継ぐべき悲劇があるはずである

そして私に語るべき話はなにか どう考えても33-4事件のことしか浮かばない 自分と同年代でこの事件を語れる人間はごく僅かであるに違いない

そこで過去の記録をなんとか捻り出し、一体あのとき何が起こっていたのか あの悲劇の裏側には何があったのかを探ってみたい

 

33ー4事件とは

2005年のプロ野球日本シリーズ阪神対ロッテにおいて、下馬評は阪神有利と見られていたにも関わらず蓋をあけてみれば阪神がシリーズ中1度もリードを奪うことすらなく一方的にロッテにボコボコにされ、屈辱の4連敗。シリーズ総得点が阪神の4点に対しロッテが33点と目も当てられない凄惨なスコアになったことを、野球好きの人間が集まるネット掲示板において「33ー4」と呼び、未だにイジられている

最近では明らかに野球に興味がない人間も3時34分に「33ー4」とツイートしたりして、この悲劇を直に知っている人間はなんとも言えない気持ちになるのである

 

2005年ペナントレースを振り返る

もはやあの悲劇が待ち構えているのならば、ペナントレースなど前フリでしかない

しかしフリが大真面目であればあるほど最後の大オチで抱腹絶倒することができるのである ここは我慢して読んでもらいたい

 

本当に、この年の岡田阪神は強かった

自分も25試合くらいは観戦に連れてってもらい、毎日試合もチェックしていたので割と鮮明に覚えている

何が強かったのかを簡潔にいうと、「マニュアル化」に成功したことである

わかりやすくいうとエクセルの関数のようなもので、このパターンならばこの戦略でいく、このパターンはずっと繰り返す など、色んなことが明確に決められていたように思う

そしてそういったことを固定できるほど選手が自分の役割をキッチリこなせていた

具体的には3点あり、

①ローテーション ②中継ぎシステム ③スタメン となる

 

①ローテーション

今でもソラで言えるローテーション

井川→福原→安藤→下柳→杉山→能見orブラウン

これが延々続くのである 裏ローテの頭にこの年最多勝の下柳を置けるくらい、先発陣は安定していた

 

②中継ぎシステム

なんといっても2005阪神の代名詞の「JFK」である

今ですら勝利の方程式なんてどこのチームにもあるけども、当時は割と画期的だったように思う

僅差でリードしていればとりあえずウィリアムス藤川久保田にバトンを渡し、逃げ切る

3人の負担もすごかったやろうけどそれでもとんでもなく盤石であり、6回までにリードしていたら勝率が8割を超えていたようなデータがあった気がする

ちなみにビハインドの場面では「SHE」という桟原・橋本・江草の3人が登板し、これもなかなかいい成績で、彼らが点差の広がりを防いで終盤に逆転するということも結構あった

 

③スタメン

守備 名前 投打 打率 HR 打点 盗塁 S1 S2 総S数 年齢 活動年
1 CF 赤星 RL .316 1 38 60 144 144 144 29歳 5年
2 SS 鳥谷 RL .278 9 52 5 90 90 146 24歳 2年
3 1B シーツ RR .289 19 85 1 133 133 134 34歳 3年
4 LF 金本 RL .327 40 125 3 146 146 146 37歳 14年
5 3B 今岡 RR .279 29 147 1 146 146 146 31歳 9年
6 RF 桧山 RL .278 8 40 1 70 73 73 36歳 14年
7 C 矢野 RR .271 19 71 1 105 105 132 37歳 15年
8 2B 藤本 RL .249 1 36 3 60 60 92 28歳 5年

開幕こそ2番藤本or関本、8番鳥谷やったものの、交流戦あたりからは2番に鳥谷、8番に藤本・関本を置き、もう1番〜8番の打順を固定してしまった

ここまで1年間打順が固定されているチームも珍しいと思う

相手先発が右投手ならば6番ライトは桧山・8番セカンドは藤本で、サウスポーならばそれぞれスペンサー・関本となる

 

そうしたマニュアル化に成功し、迎えたシーズン終盤の中日との伝説の9.7決戦

審判に歯向かい選手引き上げあわや没収試合 球団社長が説得してなんとか試合再開、なんて今後のプロ野球でも起こらないんじゃないかと思うようなとんでもない試合を制し、この試合によって優勝へ向けて一気に勢いづく(当時ラジオで聴いててマジで何が起こったかわからんかった)

2006年以降の阪神は、シーズン終盤の「この試合は絶対落としてはいけない」という試合でことごとく惨敗してきたので、こういう試合を取れたのも2005阪神が本当に強かったことを証明していると思う

 

ちなみに今でも辛いことがあれば9.7決戦の矢野の抗議を見て笑います


2005年9月7日中日ー阪神、アレックス本塁セーフ

 

そして9月29日、奇跡的にチケットが取れ、レフトスタンドにいた自分の目の前で金本がウイニングボールをキャッチし、岡田監督が宙に舞った

優勝インタビューで岡田はこう言った

 

「日本一という忘れ物を、取り返しに行く」

 

そしてプレーオフ

この年からパリーグにはプレーオフ制度というものが導入されていた

今のクライマックスシリーズとの違いはいくつがあるが、1番でかいのは、プレーオフの結果が最終順位になるということである

つまり、ペナントが1位であってもプレーオフで敗退すれば、日本シリーズに行けないだけでなくなんとシーズン1位の記録さえ奪い取られ、優勝は無かったことになるという身の毛もよだつようなシステムである

 

そして当時はそんな制度がなかったセリーグのチームはただただプレーオフの結果を待つのみであり、ファンは日本シリーズへ向けたチケットの争奪戦を早くも始めていた

これがどういうシステムかは当時全然わかっていなかったが、とにかく親が言うには「ロッテが日本シリーズに勝ち上がった場合のチケットは取れた」とのことであった

同時にそれは、当時パ・リーグ1位であったソフトバンク日本シリーズに出場した場合の日本シリーズのチケットは取れなかったことを示していた

これはおそらくソフトバンク日本シリーズに勝ち上がる可能性が圧倒的に高いという野球ファンの当然の心理も影響していたと思う

実際、短期決戦に特に重要な先発投手を見るとソフトバンクには斉藤杉内和田の圧倒的三本柱がいたし、ましてやホーム球場での試合である ソフトバンクが負けるはずがないと誰もが思っていた

そして阪神も2005年に本拠地三連敗したのはソフトバンク戦のみである 本当に強かった

特に松中には確か福岡で2本、甲子園で2本ホームランを打たれ、甲子園でのホームランがライトスタンド中段を超えたのを見た小4の俺は小便を漏らした

 

しかしソフトバンクに勝ち上がられては手元にチケットが無いではないか

坂本家では全力を挙げてのロッテ応援が行われた

 

そしてロッテは里崎の劇的な逆転タイムリーによりなんとソフトバンクを下してしまう

松中は死ぬほど打たなかった カスであった

坂本家ではお祭り騒ぎ 日本シリーズを生観戦できること、そして”ロッテはソフトバンクよりも圧倒的に弱いに違いない”と、そのプレーオフを見てもまだなおそう思っていたからであった・・・

 

順位 球団 勝率
優勝 阪神タイガース 87 54 5 .617 ---
2位 中日ドラゴンズ 79 66 1 .545 10.0
3位 横浜ベイスターズ 69 70 7 .496 17.0
4位 ヤクルトスワローズ 71 73 2 .493 17.5
5位 読売ジャイアンツ 62 80 4 .437 25.5
6位 広島東洋カープ 58 84 4 .408 29.5

 

順位 球団 勝率
1位 福岡ソフトバンクホークス 89 45 2 .664 -
優勝 千葉ロッテマリーンズ 84 49 3 .632 4.5
3位 西武ライオンズ 67 69 0 .493 23.0
4位 オリックス・バファローズ 62 70 4 .470 26.0
5位 北海道日本ハムファイターズ 62 71 3 .466 26.5
6位 東北楽天ゴールデンイーグルス 38 97 1 .281 51.5

参考:2005年順位表 Wikipediaより