なおやんの 手記手記 しゅっき〜

なおやんの 手記手記 しゅっき~

痛みに耐えて よく頑張った

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凡庸な死亡事故と 興味のない地震

清々しくない朝

テレビから品のない声が聞こえてくる

時刻は朝の8時をまわったところ テレビではニュース番組を垂れ流している

この日は平日であり、朝の8時にテレビを見れているということは実家ではなく大阪の宿に泊まっているということで、つまり往復に4時間かかる通勤を省けており、睡眠の質も上々のはずである

しかしこの品のない声に気分下下↓↓*1であった

 

別に品のない声が嫌いなわけではない どう考えても下品な声の部類に入る鈴木奈々のことは愛しているからだ

 

なのでこの不快感は声だけを聞いて発生した感情ではない

テレビ画面を見る

いた 玉川徹だ

 

「コロナに関してね よくテレビ局が煽りすぎだなんて言われますけどね 煽ればいいんですよ それによって救われる命があるんだったら嫌われ役でもいいですよ」

なんて5月あたりに言っており絶句したことがある

その前から好きじゃなかったけど今は本当に顔を見ると嫌な気分になる

 

このコロナ騒動でニュース番組への不信感というものがつのった人間も多いだろうし、自分はこの玉川徹を始めとしてニュース番組で発せられる無責任な言葉にここ半年は辟易としてきた

ただ加えて言うと、ニュース番組に対しては以前から不信感しかなかった

これに関して、俺は世の中を見抜く彗眼を持っていた!とか 五十嵐貴久「リターン」(ここ5年読んだ中で最低の小説)のように「マスコミはクソ!!」を連呼するつもりもない

そもそもニュース番組が信用できない、なんてもはや一般論のようになってきており、そんなことをここで叫んで誰かの心に響くはずがない

 

自分にとってのニュース番組への不信感 それは自分自身が引き起こしたある体験がもとになっており、人とは少し違う というのが言いたいだけである

あるトラブル

大学生の時、某テレビ局でバイトをしていた

バイトといっても雑用ばかりで、電話対応や、会議前に資料のコピーをとって配ったり、差し替え原稿が発生したときにダッシュでスタジオに持っていったりするくらいで、基本的には暇をしていた 本当に暇だった 勤務も1人でこなすのでバイト仲間と仲良くなるとかいうのもなかった

時間は夕方の17時から23時までで、時給は良かったものの労働時間が短すぎて結局月に5万くらいしか稼げなかった

 

その日も23時が迫ってきており、いくら激務のテレビ局とはいえ21時を超えたあたりからフロアには2人ほどしか社員も残っていなかった

自分は日中のバイトなのだが、23時から朝9時までは深夜バイトが勤務に入ることになっていて、この深夜バイトがフロアにひょっこり現れるとそこで仕事の引き継ぎをして解放される

 

しかしこの日は23時半を過ぎても現れず、勤務表を見て担当深夜バイトに電話をかけるも出ず 他の深夜バイトにも電話をしてみるも誰も今からテレビ局へは向かえないと言う

つまり朝まで自分が勤務しなければならなくなった 最悪である

23時に仕事が終わると想定して体力を使って今日を生き長らえたのにこれから朝の9時まで勤務とは

(交代予定の深夜バイトの奴はうっかり爆睡してしまっていて勤務に来れなかったとのちに平謝りされた 殺すぞ)

 

さて深夜の勤務は初めてなので何をしていいかわからない

23時を超えてもまだフロアにいる唯一の社員がそろそろ帰るというとき、唯一の仕事を俺に与えてくれた

「深夜になにか大きな事故や事件があったら電話してきて 明日のニュース担当俺だから」

 

直感

誰もいないフロア

時計は深夜2時頃をさしていた

椅子の上で腕を組んで寝ていた 寝たところで誰に見つかるわけでもないし、本当に仕事もないし ただやはり時給は発生しているので机に突っ伏すのだけはやめた

 

するとFAXの方から電子音 嫌な予感がする こんな深夜に何が送られてきたというのか

 

 

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速報

○○警察署

車と接触し死亡した事案の発生

事故概要:道路を横断中、普通乗用車と接触した30代男性が死亡 

     50代女性を現行犯逮捕

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あぁ 人が死んだ 人が死んだ

死んだのは・・・30代男性!!いや人生これからやん!!!これはあかんぞ

もし家庭でももっていようものなら独身の20代が亡くなるよりも悲劇的かもしれない 残された人間はどうすれば良いのか こんな惨劇あってはならない 

 

もう俺は5秒で判断していた これは報道しなければいけない重大ニュースである よって、社員に電話をする 

 

明らかに寝起きの声が耳元で響く

もしもし か むにゃむにゃ かよくわからない

けど俺の頭は冴えている だって大ニュースを伝えなければならないのだから

 

「すみません。交通事故です。死亡者は1人。30代の男性で、場所は・・・」

要点だけを伝える これを伝えることで社員がどう動くのかはよくわかってなかった すぐに警察に連絡をとって詳細を聞くのか、それとも明日のニュースで使う材料として頭の片隅に置いておくだけなのか

そして社員の返事は、そのニュースをどう扱うのかを端的に表した

 

「そんなことで電話してこないでくれるか 寝てるんだから」

 

電話は切れた 切られた

 

え もしかして俺が悪いん?なに 判断ミス?判断とは?

不謹慎であるが、このニュースを伝えることで少し喜んでもらえるのではないか、とさえ思っていた

しかし全く相手にされなかった 邪険にされ不機嫌にさせてしまった

これでは家主に喜んでもらえると思って玄関に鳩の死体を持ってくる野良猫と偏差値が一緒である 情けなくなってきた

 

眠気も襲ってきていたが、癪にさわるのでその事故について改めて考えていた

 

いま自分の前にはある装置がある

装置の中で大きな割合を占めるスクリーンには、事故の瞬間が画像として映し出されている

そのスクリーンの下にはいくつかのツマミと、無数のボタンがあり、各ツマミの上の小さなパネルにはツマミが示す数値が表示されている

そして装置の1番上には、なんでも鑑定団のような横長の電光掲示板があり、今は「5000」という数字が表示されている

この数字は総得点であり、「10000」を超えると”報道する価値アリ”となるのである なんでそんなことを知っているのかというと自分が作り上げた装置だからである

さてどこから手を付けるべきか ひとまず加害者に関するツマミをいじってみようか

試しにそれを左へ回すと、スクリーン上の、車に乗っている、現在はおそらく50歳くらいであろう中年女性がだんだんと若返ってきた 昔はスリムでナウい顔をしている

回し続けると、あるところでツマミの抵抗を感じた、パネルには「18」と表示されている かまわずツマミを左へと回すと、総得点が急に跳ね上がり5万となった

そういえば免許の取得年齢は18歳からだった と思い出す

一旦リセットし、被害者の属性を変えてみる 車にはねられる直前の男性の引きつった顔が変化してゆく

30代でも十分に悲劇的であるが、これを20代にしたところでやはり報道には至らない 

「15」までツマミを回しやっと1万を超えた 中学校3年生まできてしまった しかしこれも深夜の事故であったから中学生が事故に遭うことが報道されるだけかもしれないし、日中の事故なら怪しいところである

被害者の子どもの数は「10」までいってやっとギリギリ1万となった 家庭を持っているだけの30代なんて世間に多すぎるのだろうか 2桁産まないと大衆の関心は得られない

他にも加害者の乗っている車が救急車なら2万点、パトカーなら3万点、発生場所をUSJの中にすると4万点 など、あちこちのツマミやスイッチをいじることで得点の上乗せは可能であった

 

そして改めて机の上のFAXを見つめる

 

「普通乗用車と接触した30代男性が死亡」

 

ああ 睡眠中の社員を起こしてしまったな

電話する必要はなかったな 申し訳なかったな

このときにはそう認めざるを得なくなっていた

 

 

朝になり、その社員が会社にやってきた

「もういい歳だから1回起こされると寝付けないんだよ」

改めての苦言 しかし例の装置を一晩いじくり、もはや自分が悪いことは明白であった 申し訳なかったですと素直に謝った

 

さすがに徹夜明けは体にこたえ、眠り方すら忘れたような状態で電車へ乗り込み、下宿へと向かう

電車の中で改めて考える テレビ局という環境で物事を考えてはいけないのかもしれない もう1度冷静に考える

直感は間違っていたのだろうか

 

自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ

ー茨城のり子

 

そう、自分の感受性、直感は絶対に侮ってはいけない

大人になった今、何かを評価する際に自然と外のフィルターを通してないだろうか

映画を見て心を打たれたにも関わらず、ネット上の口コミがボロカスだったときに、自信を持って他人に魅力を伝えられるだろうか

 

電車が好きでたまらなかった幼少期、電車に乗る際に発生するお金を「運賃」というのだと父に教えられて絶対にそれは嘘だと徹底的に歯向かったことがある

世の中に「うんち」を含む単語などうんち以外に存在し得ないと思っていたし、俺の大好きな電車というものに糞を塗りたくられてたまるかという想いがあったのだろう

父は嘘をついている  「うんちん」なんて言うわけがない と聞く耳を持たなかった

 

大人になってももう少し我儘に生きてもいいのかもしれない

そして、自らの感性では、やはり30代男性が亡くなった交通事故は重大ニュースとしか思えなかったのである

 

交通事故のニュースは必要なのか

そもそも

交通事故のニュースとは 何なのか

まず事故を起こした人間、事故に遭った人間の身内や知り合いには警察やその他の手段を介して連絡がいくはずで、関係者に事故を知らせるという意味合いでニュースが放送されているわけではない

では、これを教訓に事故を起こさないように気をつけましょう という注意喚起なのか

いや、そんな役割も果たしていない

大して詳しい状況説明がなされるわけでもなく、事故の原因は報道するものの、本質的に何が悪かったのかまではほとんど触れられない

 

となると、こういった類のニュースは

こんな不幸なことがありましたよ!!! なのである

ボーッとニュースを見ているとなんとも思わないけど、時折ふと、なぜそのニュースを大衆に伝える必要があるのかと考えると頭が混乱してくる

99%の視聴者の実生活に一切関係のない事故・事件を、視聴者に関心を持って見てもらうには、やはりある程度のドラマ性が必要になってしまう

ニュースはノンフィクションであり、フィクションなのである

そして30代男性の事故死は誰も惹きつけることがないため、報道されなかった それだけ

 

こんなことは当たり前のことであり、自分自身もわかっていたことだが、実体験として落とし込むとなんとも嫌な気分になってしまった

 

邪魔

それから半年も経たないうちに またそんなことを考えてしまう機会が訪れた

しかも今度は 違う立場で

 

 

その日はうちのテレビ局が映画を流す日であり、俺もシフトに入っていた

しかもその映画が不朽の名作「ターミネーター2」であり、加えてこの日は21時までに社員が全員帰宅し終えていたので、悠々とテレビを独り占めすることができた

 

一応横の部屋には他の部署があるので、音量を上げることはできないがそれでも平気であった ターミネーター2に関するセリフと効果音はだいたい耳に記憶されている

 

物語も終盤、いよいよコナー親子とシュワちゃんは工場に飛び込み、T-1000との最終決戦を繰り広げる

サラ・コナーが2人に増えるシーンは恐ろしすぎて毎回若干小便を漏らすので、この日もパンツの替えを持ってきていた

 

そしてなんとかT-1000を溶鉱炉に落とし込んだあたりで、フロアの後ろの警報装置が鳴り響いた

うわ・・・

この警報装置は地震を知らせるものであり、もちろん地震地震速報としてテレビの上部にテロップとして出さなければならない

そしてこのテロップを出す指示を編集部隊へ伝えるのは、バイトの役割であった

 

葛藤

地震の内容を確認する 和歌山で震度2

こんなことを言ってはいけないんやろうけどクソほどどうでもいい地震としか言いようがなかった

何と比較してか、というとターミネーター2である

そもそもターミネーター2はあまりにも名作なので、本映画を鑑賞中に地震など気付くはずがない

ダイソンが過呼吸になって大爆発を起こすシーンに至っては、あのシーンと同時に震度5が来ても気付かないと思う

そして今、物語は佳境を迎えている

ターミネーターシリーズ、いや、映画史に残るラストシーンが近付いているのである

視聴者は完全に映画の世界にいて、溶鉱炉の熱さすら感じ、全身が火照ってしまっている もちろん地震には気付いていない

そんなときに「和歌山 震度2 詳しい市町村は以下の通り」なんてテロップを出されたら興ざめも甚だしいし、和歌山の市町村の中でも「すさみ町」の文字が出た瞬間にブチ切れると思う

泣きながらシュワちゃんに懇願するジョン・コナー、きっとこの経験が息子を強くすると何も言わず見守るサラ・コナー、そして画面上には平仮名三文字「すさみ」

こんなことがあってはならないのである

しかもすさみの音だけを拾えば「suicide me」となり、ネタバレにもなりかねない 絶対に避けなければならない

 

ただ一方で、

地震を伝えない なんてことがあっても良いのだろうか

これも絶対にあってはならない

震度2は割とびっくりする揺れで、これをなかったことにされると体感した人間は自らを痴呆と認定する他なくなってしまう

俺のせいで大勢の和歌山県民の自尊心が喪失されたら責任は取れるのか これまたとんでもないことになる

 

1分間葛藤があった

映画の放送中にテロップを入れないと、スポンサーに配慮してCM中には速報を流すことができない

映画終了後は5分ほどCMが入るのでもはやその後に速報を出すことは不可能である

 

どうする 出すか 出さないか

冷静に考えれば迷うこと自体おかしいのだが、このときは本当に迷ってしまった

スリラー映画ではボタンを押す押さないを迫られた人間は大抵押すのであるが、このときも結局自分は押した

 

そして葛藤の1分のせいで、ちょうど溶鉱炉に沈むシーンとすさみ町が重なってしまった ターミネーター2のラストシーンで吐き気を催したのはこのときのみである

 

この葛藤はなぜ生まれたのか

それは俺がターミネーター2を愛しているというその個人的な感情によってのみである

もし自分がボタンを押して編集部へテロップ掲出依頼を出さなければ速報は出ていないと考えると、その恐ろしさに我ながら震えてしまう

テレビ局にいた人間がターミネーター2を好きだったというそれだけで大衆へ伝えるべき報道がなされない可能性があるのだ

これは普段のニュースにおいても同じで、テレビ局の社員ももちろん物事の好き嫌いがあるわけで、必ずアウトプットには個人の生き様が反映される

視聴者はその濁ったアウトプットを享受するしかないのである それに気付いていればいいが、このニュース番組こそが世界である、だなんて思っていると恐ろしいことになる

 

 

この前の出来事では自らの感性が裏切られたことにショックを覚え、報道とはなにかというのを考えさせられたが、皮肉にも今回は自分自身が偏向報道を牽引する人間となりかけてしまった

これもまた、報道とはなにか、ニュース番組とはなにか、を考える上で自分にとっては大きな出来事になった

 

 

 

画面にはまだ玉川徹がいる

ニュース番組に個人的な価値観が入り込むのは仕方がないのかもしれない 今やネット上であらゆる情報が取得できる時代であり、ニュース番組が唯一の情報源なんて人はあまりいないと思う

正しい情報はネット上で、となるとテレビ上の報道には何らかの偏りがないと面白くなくなってしまう あえて好き勝手やっているようにさえ見える

玉川徹も必死なのだろうか、彼もピエロなのかもしれない

本当の声を聞かせておくれよ