なおやんの 手記手記 しゅっき〜

なおやんの 手記手記 しゅっき~

痛みに耐えて よく頑張った

ブログタイトル

ランダムステージの想い出と根室半島との馴れ初め

ランダムステージ

大学で軽音楽部に所属していた

俺が通っていた西の早稲田大学こと同志社大学はとにかく軽音楽が盛んで、細かく分類された多彩な軽音サークルに所属する軽音人口は、1,000人を超すとも言われる

その中でも、西の早稲田の中でも、選りすぐりの、西の早稲田大学の中で選りすぐりの4つの軽音サークルは「4大軽音」と呼ばれていた

何が選りすぐりかわからないけれども、4大なのである

早稲田大学のうちの4大なのだから、日本のカーストでもかなり上位に位置していたように思う

 

しかし優秀すぎる組織を前へと進ませるには、大きなエネルギーが必要であった

それは、ロケットの尻から飛び出す炎のように、進行方向とは完全に逆を向いた”生贄”であった

 

その生贄は4大軽音の各サークルより各学年2人ずつ選ばれるのであった

そして最悪なことに、自分は見事に選ばれてしまった

人生を軽やかに進む車輪から異音がし始めた瞬間である

 

この生贄はなにをさせられるのか

 

 

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毎年11月に行われる学祭のメインステージとなる、”ランダムステージ”を作らされるのである

 

信じられない 業者に頼めよクソ大学

 

雨天に備えて屋根もつける必要があるため、地上10メートルとかで作業をさせられることもある

こんなことを言ってはあれやけど、ドカタをしないために同志社大学に入ったのである

しかし死ぬ気で勉強して滑り込んだ同志社で掴んだものは、最上の女でもなく、圧倒的な知性でもなかった

気がつけば手にはステン両口ラチェットレンチが握られていた

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このステージのすぐ後ろは講堂のある建物となっており、学生が頻繁に出入りする

なので、学祭の半年くらい前からのっそりと建てていたのでは学生の動線の邪魔になってしまう

そんなわけで、学祭の2週間前くらいから急ピッチで建て始めるのである

さて、2週間でこんな立派なステージが完成するだろうか

当然のごとく、ドカタの世界では戦後復興の栄光をまだ引きずっているため、時間不足は果てしない肉体労働により補われる

学祭2週間前からは授業もほとんどサボらされる 本当になにをしに大学に来たのかわからなくなる

  

 

せめてもの、演奏はうまくいった

今こんな細かくタンギングできへんもん

てか俺の周りがうますぎるな

 

 

そうして、朝から晩までドカタ作業、学祭期間中はずっとランダムステージ周辺でタイムキーパーやステージ出演団体の誘導をこなし、どこのブースも巡れないような鬼の2週間が過ぎ去る

 

これを3年続け、やっと最終年度

サークルは3回生で引退となる

寂しい気持ちもあるが、やっと終えることができたのかという安堵感も大きかった

ただ、改めて思うと、なんやかんや得るものも大きかったのではないかと思う

普通に過ごしていれば得ることのできない経験 そして日に日に絆を深めた仲間 

最終年度の学祭最終日、祭りの嵐が去り静寂に包まれたキャンパスにて、後輩から寄せ書きを手渡される

過去、自分達も先輩に送ってきたため、自分も渡されるなんてことはわかりきっていたけども、それでもやっぱり感動してしまう

 

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やっぱり間違っていた

俺はなんという3年間を過ごしてしまったのだろうか

 

 

馬場くんにフルチンをこすりつけられた気が、確かにする

 

ドカタ作業は深夜にまで及ぶので、生贄達は学内のカフェに布団を敷いてそこで寝泊まりするという信じられない生活をさせられるのだが、夜中泥酔した全裸の馬場くんがカフェに現れ、俺は彼の欲情のターゲットとなった

声変わりをしてから初めて裏声の悲鳴が出た

あれからあのカフェに行けなくなった

 

 

この寄せ書きは勉強机に飾ってある

最低の日本語が並んでいるが、それが俺の過ごした3年間であった

俺の生きた証であった

 

 

 

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ランダムステージの撤収は、ステージ出演団体の代表者とともに行うんやけど、一人だけすごいお尻出して作業する人がいて、それ見て吐くほど笑ったのでやっぱりドカタしててよかったかもと思いました

(アカペラサークルのOne Voicesは撤収にすらこなかったのでお尻以下)

 

根室半島

ランダムステージの想い出はどうでもよくて、こちらを書きたかった

 

 

さてサークルを引退し、最後の学祭となる4回生の秋

今年こそ学祭を「客」として満喫しようか とも思った

しかしその一方、もう学祭から離れたかった思いもあった

 

そうなると、日常から離れるには北海道しかない!となぜかそのときはなったので、学祭期間中に友達とともに北海道に行こうと思い立った

 

 

しかし運の悪いことに、学祭期間中だというのに講義しますなんていう教授がいたので、「北海道に行くのでサボります」とちゃんと伝えに行った

「どこに行くんだい」と聞かれたので

 「東の方です」と答えると

「じゃあ根室半島にも行くわけだね?」

「はい、多分」

「では、根室半島を東に進むにつれて、異質なものが見えてくるから、その感想をまとめてくるように」と

 

その感想が出席代わりになるらしい なんとも粋な人だと思った

ちなみに教授は北海道出身なので、それで許された感もあった

 

そして書いたのが以下の文である

今見るとなんとも読みにくい文章だと思うけど、あえてそのまま載せてみる

1行目で教授の名前がバレる 太田原さんやった

 

 

 太田原教授にレポート課題を出された際、「納沙布に近付くにつれ、異質なものが見えてくると思うのでそういったことを書いてきなさい。」と追加の指示をいただいた。いったい根室半島の何が私を驚かせてくれるのか、そういった期待に胸を膨らませ、友人とともに花咲線の列車に乗り込み釧路を出発した。

 釧路を出発しておよそ1時間、車窓からさっそく見慣れないものが目に入ってきた。別寒辺牛湿原である。私は鉄道で旅行をするのが好きで全国各地の路線に乗ったことがあるが、このように湿原の上を走る路線というものは記憶になく、新鮮な景色であった。その後も延々続く裸木、おびただしい数のオオハクチョウの群れ、目を凝らすと時折視界に入るエゾシカ、放牧されている馬など、本州ではまず体験できないような車窓に釘付けになり、気が付けば終点根室駅に到着していた。

 根室駅からはバスに乗り、最終目的地の納沙布岬に到着した。海の方へ近付くと、この日1番の異質なものが目に入った。それは海の向こうにはっきりと見える島であった。貝殻島というこの島は歯舞群島の一部であり、現在ロシアに実行支配されている島である。たった3キロしか離れていない目の前の島が日本の領土ではなくなってしまっているという事実そのものに異様なものを感じ、この光景を異質なものであると感じざるを得なくなった。岬の周辺は、その場所が本土最東端であることを示すような碑よりも、北方領土返還を求める碑や看板の方が目立っており、歯舞群島だけではなくこの納沙布岬自体も確かに異質なものであった。

 このように釧路から納沙布岬までの3時間の道中で様々な光景に出会うことができた。その後は川湯温泉、網走、留辺蘂、札幌、小樽を訪れたがやはりこの根室半島での非日常的な光景が1番目に焼きついている。しばらく根室に行くことはないであろうが、数年後に再訪した際に北方領土はどうなっているのか、また現状大赤字路線の花咲線はまだ存続しているのか、期待を込めて今後も根室半島の動きには目を付けておこうと思う。

 

読みにくいけど、気取った言い回しをせずに、見たものをすっと感想にしているような感じで、今見返すと感慨深い文章

 

その日は納沙布岬に寄って川湯温泉に泊まるというハードスケジュールだったので、朝5時くらいのアホみたいに早い列車に乗り込んだような気がする

 

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列車から見えた厚岸湖が絵みたいに綺麗やった

 

文末には、今後も気が向けば根室半島のことを目にかけときます程度のことを書いてあるが、この次の年から俺は毎年根室半島に通うことになる

 

 

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毎年この空気を吸うために、貴重な夏休みを全投入する

絶対に日常では味わえない「異質」な空気を吸い込みに行くのである

 

 

そして今思い返せば、ここまで根室半島に惚れ込んだのは、事前に宿題が出されていたのも1つの要因じゃないかなと思う

宿題の存在により、アンテナが普段より立ち、より多くのものを吸収し、そしてそれを文章化することで余計に自分の中に印象づけられた気がする

 

この経験を思い返すと、旅行に行く際の事前のちょっとした下準備と、旅行後のアウトプットは大事だなあと思わされる

でもわかっていてもなかなかできないものなので、今後は意識してできたらいいな

どうしてもアウトプットの方はその都度書き出さないといけないので面倒であるが、下準備の方は色んな旅行に使い回せるので、そっちに力を入れてみようかな

 

今年は民俗学かなにかをかじってみて、なにかしらの電波を受信するアンテナを張った状態で旅行に出かけたらどうなるのか、というのを試してみたいと思う