なおやんの 手記手記 しゅっき〜

なおやんの 手記手記 しゅっき~

痛みに耐えて よく頑張った

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夜行バスは世界と切り離されている

外へ

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あたしは今 プラザモータープールにいます

 

プラザモータープールとは、大阪の中津にある高速バス専用のバス乗り場

ここを利用するのは夜行バスを使うときくらいかな

そして幸いにも出張に夜行バスを使わされるようなブラック企業勤務ではないため、夜行バスに乗るということは旅行へとレッツラゴーすることを表す

旅行なんて人生で1番楽しいに決まっているので、前の日はただただ興奮して4時くらいまで寝付けないことすらしょっちゅうある

アホほど旅行へ出かけているにも関わらず

  

 

 

しかしプラザモータープールで迎える夜は違う

そこには気力で停滞感の漂う空間が広がっている

もちろん俺もその空気に呑み込まれる

お互いをお互いに「こいつ夜行バスなんて乗るんや 笑」と、細い目で蔑む

その軽蔑の根拠としてあるのが、夜行バスの待機スペースの劣悪な環境である

椅子などほとんど用意されず、ほとんどの人間は外で立ったまま待たされ、トイレは簡易式

こんな場所に乗り込んでくる交通機関は、裕福な人間を乗せるはずがないのである

 

そして、これが大事なことなのであるが、お互いをお互いに蔑んでいるということなので、当然その蔑視の対象となる集団に自分は含まれない

含まれないのである なぜそうなるのかはわからない

 

結果として、”自分は今から夜行バスに乗る しかし自分が夜行バスに乗るような人間と同じカテゴリに属しているはずがない” という、掴みどころのない矛盾に苦しめられる

 

もうこの時点で、自分が自分でないような感覚に襲われるのである

 

自分はそもそもどのような集団に属していたのか

世界と自分との関係はどうなっているのか

 

それでも自己を保とうと「こいつらええ歳こいて夜行バス乗っとるでよ 笑」と、ぐるりと辺りを見渡すと、一瞬自分の姿が視界の隅に写り込んだ気がした

ああ そうか 自分もこの集団の一部なのか と気付く

 

では今の俺の達観された視点はなんなのか

発狂するでよ

発狂するでよ 

 

 

こうして人格破綻の閾値を超えるか超えないかのタイミングでいつも夜行バスはやってくる

それでも救われるわけではない そもそもの原因はこいつなのである

 

 

夜とは海のようなものである

前職では電車の車掌をしていた

 

1月の終わり頃のある日、時刻は21時過ぎ

寒い日であった

当然の成り行きとして、車掌の俺は車内の暖房をつけてあげようとしていた

 

しかしなんということだろうか

前職鉄道のオンボロ車両は、暖房スイッチと車内電灯OFFスイッチが全く同じ形をして横に並んでいた

これは言い訳だろうか 言い訳だろうと思う 同じ形をしているから俺はミスをしたのだ と主張したいのだろうか

 

結論から言うと走行中の電車の電灯が全て消えた

光が失われた車内には、突然に、大量に、”夜”が流れ込んできた

俺が電灯OFFスイッチをポチッと押した瞬間に窓ガラスが粉々に割れ、夜の海が車内に押し寄せてきたのである

 

いきなりのことに乗客もさすがに周りをキョロキョロと見渡す

そして他の乗客の姿を認識する

それまでにももちろん視界には入っていたのだろうが、改めて互いの存在に気付く

夜の海に満たされた車内で視界にうつる他人

おそらくこのとき、互いに”受容”が発生したのではないかと思う

夜という圧倒的で巨大な空間に包まれた彼ら彼女らは、地球という母の羊水にプカプカと浮かぶだけの存在となり、無意識に同一母体への帰属を果たしたのである

 

「人類みな兄弟」

 

道徳の教科書に記された、ただの理想論だと思っていたその言葉が急に現実味を帯びる

そう、ついに彼ら彼女らは世界とつながったのだ

 

 

 

 

 

俺は詰所に戻るとA4の鉛筆を渡され、藁半紙に反省文を書かされた

腹立つから600人消しました

 

www.asahi.com

 

 

内へ

さて、夜の海をひた走る夜行バスであるが あるが

 

夜行バスに乗ったことのある貧民 愚民 世捨て人 阿呆 痴者 草の根 下水 汚水 共々ならわかるはずであるけれども、夜行バスの窓にはカチカチにカーテンが閉じられ、外の景色を見ることはできない

 

おのおのから世界の中心へと繋がっているへその緒は、このカーテンで完全に断ち切られる

バスを待っている時点で自我が身体から飛び出し心ここにあらずの乗客たちは、このカーテンによって世界との関係性を再構築する機会を失う

 

そしてバスに乗り込むと、外へ飛び出した自我が助走をつけ、今度は極端に自己の中心へと意識が向かうようになる

 

夜行バスの車内にて発生する様々なトラブルは、こうして自我が極度に体の軸にまとわりつくことにより発生する

要するに、自己中心的にならざるを得ないのである

 

例としてこれまでに隣の席へと乗り込んできた、自己中心的な人々を挙げる

きちんと例を挙げることができるほど夜行バスに乗っているが、決して夜行バスに乗るような貧民ではないので勘違いしないでほしい

 

太り客

いやもちろん避けられない病気とかで太ってしまっている人に対して文句は言ってはいけないのだけれども・・・

ただ、夜行バスに乗るようなやつは暴飲暴食が原因で太っているに違いないので言わせていただく

俺の座席のスペースにまで食い込んできている彼らが、なぜ俺と同じ運賃なのか

領土の半分程度が占領されていることもある

中華人民共和国に領土を実効支配される弱小国はこのような気持ちなのだろうか

為す術もない

金を払え 俺の運賃の半額を 払え

 

臭り客

極論、ここが他人など一切存在しない世界であると考えれば、お風呂なんて入る必要がないのかもしれない

そのような特殊条件にて生み出されるモンスターがこれである

1日中快活に動き回ったであろう体は、そのまま俺と密着するように横たえられる

人生で殺人を犯してしまうとしたらこの瞬間だろうと毎回思う

口呼吸をしようにも、なんとなく口呼吸の方が気味悪い気がしてきてどうしようもなくなってくる

為す術もない 金を払え

 

スマホいじり客

目に光が当たると本当に寝れないタイプなので堪忍してほしい

スマホをちまちまとイジられるだけでもキツいのに、たまに堂々とスマホで映画とか見出す奴がいる

そのとき横に座った外国人も、運の悪いことにスマホで映画を見始めた

腹が立つのでチラっと横を見ると、見たことのある宇宙服が見える

インターステラーであった なんということか 上映時間2時間49分

夜行バスにて映画を見てはならない しかし他国にて自国の映画を見る場合を除く などという不文律が存在するのだろうか

いつかこいつの故郷に行って夜行バスで7人の侍を見てやろうと思う 絶対に復讐する

 

ちなみに、当然自分も例に漏れず自己中心的になるので、よくやっている悪事を紹介すると、

・後ろの客に気付かれない程度に徐々に席を倒していく

という、姑息で卑しい行為をしています

 

これは2014年にオリックスバファローズを優勝目前の2位に躍進させた森脇監督が調子に乗って書いてしまった著書「微差は大差」のタイトルより参考にした考えであり、コソコソと領土侵犯するか、大胆にするか、また領土を横に侵すか縦に侵すか、の違いだけで、やっていることは太り客と同じようなことかもしれない

ちなみにこの本を書いた翌年、一点差で負けた試合が30試合以上にのぼり、悪い意味で「微差は大差」を体現し、森脇監督は途中退任するというギャグみたいなことになっているので、この言葉は人生の教訓にして良いようなものじゃないような気がする

 

移動感覚の消失

それ以外にも、カーテンによる遮断はネガティブなことを引き起こす

外が見えない、これは移動の感覚を失わせ、旅行の楽しみを奪っているのではないか、というものである

 

中川家のネタで、兄の剛がどこでもドアを開ける真似をし、「あーやっと関空かー」というボケをかまし、弟の礼二が「ラピートの分なくなっただけやんけ!」みたいなツッコミをする流れがある

 

さて、もしもどこでもドアが完成したとして、世界中のあらゆる地点に1秒で到達可能になった世界

これはなんともロマンがないと思う

遠方に行くにあたっては、関空までの手間は減らしたいけども関空からはきちんと飛行機に乗って飛び立ちたい気がする

 

これは自分だけの感覚かもしれないけれども、旅行中は常に自分の現在地を俯瞰して見ており、「これだけ移動した」というのが1つの達成感になっているところがある

外が見えないというのは、そのような移動の過程が見えなくなるも同然で、長時間拘束されるにも関わらず、どこでもドアで移動したような感覚に陥る

これではロマンがない上に、短時間での長距離移動というどこでもドアの利点すら失われることになる

世界との関係性がわからなくなるというところで先ほどの話と同じところがあるが、概念的な自我の話に対して、こちらは実際の地図上の話になるのでわかりやすいかもしれない

 

 

 

という、上記2点の夜行バスのダメな点

人々が自己中心的になること、移動の楽しみが奪われること

 

しかしこれらを凌駕する、目的地で朝から動けること、運賃が安いこと

これらのメリットに目がくらんで気がつけばチケットを買ってしまうのである

ぬくぬくとした家のソファでチケットを買い、実際に寒空の下でバスを待つ羽目になる瞬間にやっと後悔する、というのを何回も繰り返している

どうせこれからも幾度と乗ってしまうのだと思う

そこになんの楽しみもないのだけれども、なんやかんや目的地に着けてしまうからである

1回でも大幅な遅延や事故があればもう二度と乗らないのだと思う

その最後のセーフティネットを保ってくれている夜行バス関係者には感謝しているし今後も頑張っていただきたいです