なおやんの 手記手記 しゅっき〜

なおやんの 手記手記 しゅっき~

痛みに耐えて よく頑張った

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遅れてやってきた湖西線の列車は シンガポールに夏をもたらす

 

湖西線

湖西線は、滋賀県長浜市近江塩津駅から琵琶湖の西岸を経由して京都府京都市山科区山科駅に至る西日本旅客鉄道鉄道路線である。(Wikipedia

 

湖西線、なんて名前をつけてよいのだからつくづく琵琶湖というものは圧倒的なシンボル性があるのだと思わされる

日本で1番でかい川に沿って走るしなの鉄道は「川北線」なんて名付けられていないし、そもそも川北・川南なんていう地名もあまり聞いたことがない

おそらくそれは河川のもつ流動的な性格を示しており、川なんてその場でおとなしく留まってシンボル化してくれないのである

 

しかし琵琶湖は圧倒的規模を持って滋賀の真ん中に鎮座する

そしてその規模が日本一であるからこそ湖西線だなんて名付けられたのである

「2位じゃだめなんですか」

絶対にだめだったんです

 

そんな湖西線沿線に住む友人Kがこの年明けにシンガポールへと転勤になる

Kとは大学の学部が同じであった

彼は安曇川に住んでおり、俗に言うAdobe族であった(AdogawaにBeしている)

しかしAdobeのようにPDF化されてしまうような、また流動性の低い琵琶湖のような、そんな人間ではなく、常にアップデートされて会うたびに以前より輝いて見えるような人間であった(偉そうに意見してすみません)

 

彼は長身で男前で頭が冴えて、そしてよさこいサークルに入っていた

私はよさこいが苦手であった

そして苦手の対象は母体ではなく、構成員にあった

 

たとえば中国という国は自国民や他国民へ人権侵害を行っていることから個人的に批判しているのだが、中国人1人1人に嫌な感情を持つかというともちろんそんなことはなく、当然そんなことをしてはいけないと思っている

大学時代は京都に4年間住んでいたが、中国人から道を尋ねられたりした際は率先して案内を買ってでたし、言葉は通じないながらもスマホを介して色々会話したりして楽しかった(もしかしたら台湾人であったかもしれないけど)

 

このように、普通は母体を批判する場合でも、その中で実際に生きているひとりひとりには尊敬を持って接しなければいけないと思っている

よさこいは逆であった

 

私自身が徳島の生まれであったことから、高知で発祥した踊り文化である「よさこい祭り」は、阿波おどりの弟分として(あくまで弟である)素晴らしい祭りであるし、いつか生で見てみたいと思える

このように、よさこい踊りという文化自体には非常に尊敬をもっているのだが、構成員がどうも苦手である

特に大学のよさこいサークルの構成員、これがどうも

 

なにが苦手かというと、楽天的な立場や感情を共有、強要しにくるところである

例を出すと、不登校の同級生に向かって「なんで学校来ないんだ?楽しいぞ!」と手紙を書いてしまいそうな一面があるのである

これはもちろんよい一面もあるのであるが、同時に他人を苦しめてしまう可能性もある

 

では実際にお前はよさこいサークル構成員にこんなことをされたのかと問われると、あまり記憶がない

じゃあこれは憶測で書いたのか!名誉毀損ではないか!と怒られると、なにも言い返せない

改めて考えると、なんでこんなに苦手意識を持っているのかはわからない

どうせ社会人として世の中に出たとき、私みたいな人間よりもよさこいサークル出身者のほうが絶対に優秀であるし、社会を回していくのである

日本は彼らによって構築されるのである 文句を言ってはいけない

 

 

そして友人Kはよさこいサークル出身者ではあったが、私と仲が良かった

私みたいな人間に合わせてくれる器の大きさがあった

私が本当にお金がなくて、食堂で温泉卵とオクラと米のみの200円丼を作って食べていても「なんでハンバーグ食べないんだ?美味しいぞ?」とは言ってこなかったし、なんて優しい人間なんだといつも感動していた

 

 

そんなKがシンガポールに旅立ってしまうのである

大学の友人でも海外に行ってしまった人というのは今までおらず、急に寂しい感じがする

それはやはり「海外」というところへの距離感が寂しさを生むのだと思う

たとえばシンガポールと北海道の猿払村とを比べたときに、シンガポールの方がもはや行きやすいのかもしれないが、それでも猿払村に転勤になったと言われれば「またいつか会えるな」と思える安心感がある

 

 

 

1月2日、Kがシンガポールに旅立つ日

その日私は正月の帰省により徳島にいたので空港まで見送りには行けず

ただ私とKの共通の友人でもある友人Cが空港まで見送りに行っているらしく、Kに向けた最後のメッセージをSNSで募集していた

 

なにかメッセージを書こうと思って悩む なに書こうかな

シンガポールに行けば日本となにが変わるのだろうか

超模範的日本人として1秒でひらめく「四季がないではないか!」

 

↓四季については過去の記事でも述べている

buffaloes24.hatenablog.com

 

上の記事にあるとおり、私自身梅田近辺に引っ越して四季がよくわからなくなってしまった

つまり、自然が少なく、人間の資本力をもって雑草のようにビルがニョキニョキと生えてきた大都市は、四季をぼやけさせてしまうのである

シンガポールなんていわずもがなの大都市である

そして地理的条件からも四季というのが存在しない場所である

 

シンガポールの気候

ーほぼ赤道直下のシンガポールは四季のない熱帯性モンスーン気候。年間の平均気温は26〜27度で高温多湿。11〜2月が雨季、3〜10月が乾季となります。日中は30度を超える日が多く、夜間も気温はあまり下がりません。(阪急交通社より)

 

四季がないのはわかった

ではシンガポールには日本の四季にあたるどの季節であれば存在するのか

四季ではないにしても「一季」はあるのだから

この気候でいえば、一年を通して「夏」は存在するのではないか

 

しかしこれの正解は「一季もない」である

 

ちょうど年末年始にかけて和辻哲郎の「風土」を読んでいた

とっつきやすい内容ではないのでまだ半分しか読めていないけれど

その「風土」にちょうど以下のような記述があった この本にこの時期に出会っていたからKにアツいメッセージを送ることができたといえる

 

しかも我々にとて南洋は異境である。なぜならば我々がそこに「夏」として見いだしたものは南洋にとっては「夏」ではないからである。我々にとっての「夏」は、虫の音がすでに秋を含み、はずした障子が冬の風を含んでいる夏である。若葉や筍と百舌鳥や柿との間にはさまった夏である。しかるに南洋にとってはかかる秋冬春を含まざる単純な夏が、言い換えれば夏でない単調な気候が存するのみである。植物はその葉を変えるのに時を定めない。三月の初めにゴムの木の紅葉と落葉と新緑と青葉とが立ち並んでいるように、六月末にも四つの季節は相並んでいる。果物も少数のものを除いては年じゅう絶えることがない。かかる単調な、固定せる気候は、絶えず移り行く季節としての「夏」と同じものではない。人間が夏として存在するのは気分の移り行きとして存在することにほかならぬが、南洋の人間はかかる移り行きを知らない。

和辻哲郎「風土」P33より)

 

 

夏というのは「秋」の予感を感じさせるから夏なのである

つまり季節というのは絶対的なものではないのだ

 

そんなことを最近本で読んでいたので、「俺がお前の四季になってやる」みたいな泣けるメッセージを友人Cに向けて(Kに読んでもらうために)送った

 

友人Cからは「小笑いでした」と帰ってきた キレそう

 

しかし実はメッセージがKの心の奥底に届いていて「春が見たい」などと言われれば俺はどうすれば良いのだろうか

桜の写真を撮って送ればよいのか、いやそれならグーグルの画像検索で十分である

やはり自分自身が桜となりきり、まず桜のポーズを確立させる(直立不動で立った状態で両手をバンザイのポーズにし、時折くねくねと動くことで穏やかな春風を表現)

そしてこのポーズを友人Kにも真似てもらえれば、桜の輸入が完了する

やや、しかし先ほどの「風土」を参考とするならば、そこに「梅雨」を感じさせてこその春なのである

口からよだれを垂らして「ツユクサから滴る一滴の雨水」を表現しなければならないのか

そんなものが送られてきたら日本が嫌いにならないだろうか

 

 

だが冷静に考えて彼はシンガポールの「夏」を感じることができるのであった

 

それは彼が湖西線沿線に住んでいたことに因る

湖西には様々な自然現象が存在する

1番有名なのは比良山系から吹き下ろされる「比良おろし」と呼ばれる強風である

このせいで湖西線にはしょっちゅう遅延や運休が発生する

また冬には降雪もあり、北へ行けばいくほど段々と色が失われる感覚がある

下の写真は去年の冬に湖西線に乗ったときの写真であるが、近江今津手前ではガッツリ雪景色となってしまう

 

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近江高島付近

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近江今津付近

 

Kの住む安曇川付近ではそこまでの降雪はないらしいが、それでも雪の影響は「湖西線の遅延・運休」によってもたらされる

 

定刻になっても全く列車がやってくる気配のない駅のホームで湖西線の列車を待つとき、その待合室にいる客はみな「湖西線文化圏」を共有する同民族なのである

直接体が吹き飛ばされる風がなくとも、直接頭に降ってくる雪はなくとも、それでも湖西線の遅れによって間接的に「我々は風が吹き、雪の降る地域に住んでいる」といった風土を再認識するのである

 

そんな冬の湖西の風土との「対比」によってKはシンガポールの夏を感じるのである

これは厳しい冬を経験している人にしかできない夏の感じ方であるが、彼にはそれが可能であった

 

そして大学4年間で彼とは日本各地を旅行した

北は北海道のルスツから南は鹿児島の奄美まで

東北も信州も四国も訪れた

各地方で感じた風土の記憶も、シンガポールへ夏をもたらすにあたって大きな助けとなるのではないかと思う

 

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そんな中でも印象深いのが渋温泉での一夜かもしれない

大学4回生の夏に学部の友人4人と初めて渋温泉という場所に訪れたのである

 

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渋温泉の魅力はここでは語りきれないのでいつかちゃんと文章化するとして、渋温泉の宿に到着後夕方から夜にかけて外湯をぐるぐると回ってヘトヘトになった我々は、深夜の酒パーティーでまた息を吹き返した

どうせ猥談なんかも飛び出していたんだと思うしめちゃくちゃハイになっていた

そんなところにふと目に留まったのがVHSのエロビデオであった

歴史ある旅館ゆえ、こんなものがまだ部屋に置いてあったのである

 

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気になるタイトルが並ぶ

究極のパンチラとはなにであろうか

パンチラも究極までいけばもはや「見せない」に回帰するのではないか

究極のパンチラ7となっていることから、もう7作目まで行ってしまうと人すら登場せず酪農の現場が映し出されるとかそんな前衛的な次元まで行くのではないだろうか

 

しかし我らが商学部5人が選んだのは「おまめさん」であった

良いタイトルは余計な修飾がないものである

ひらがな五文字の純文学的な響きは、我々5人に様々な想像を与えた

もうおまめさん以外我々に選択肢などなかったといってもよい

散々妄想を膨らませたのち、ついにビデオをデッキに挿入し、皆から集金した100円玉をそろりと入れ込む

 

しかしVHSビデオは過去の遺産

もはや歴史遺産として宿はそれを置いていたのかもしれない

歴史民俗博物館にて展示されている復元の「雪隠」で本当にウンコをしてしまったようなものかもしれない

つまりビデオデッキは完全に壊れており、おまめさんはビデオデッキの中へ幽閉されてしまったのである

なぜかおまめさんに取り憑かれてしまった我々は、ビデオデッキのメーカーに電話をかけようとするも既にメーカーは倒産しており、泣く泣く宿の主人に伝えて返金してもらうことになった(今考えると電話したところでどうしようというのだろうか)

手元に返ってきた300円のなんと惨めなこと 恥の重みをまとった硬貨であった

 

そんな夜に、私は当時好きだった子といい感じになっていたのだが「他に好きな人ができた」とLINEが来るのである

そういえばその子もKと同じサークルの構成員であった

よさこいサークルへの苦手意識は私怨にほかならないのかもしれない

失礼いたしました

 

皆が寝静まったあとにそのLINEを見てひとりそっと立ち上がり、冷蔵庫からビールを取り出し、ロビーの椅子でそれをすすったあの夏の夜

もはやすすっているのは自分の鼻なのかビールなのかわからない

泣いているのか笑っているのかすらわからない闇の中でロビーの窓から温泉街の明かりをぼーっと眺めていた

次の日にライフカードのクレジットを滞納しすぎてブラックリストにブチ込まれるというさらなる悪夢が待っていることも知らずに

 

 

そういったわけで彼はシンガポールへと無事に旅立って行きました

琵琶湖とちょうど同じ大きさの国、シンガポール

非常にめでたいことであります 彼の出世ロードの始まりなので

 

もしシンガポールの気候に辟易として、季節もよくわからなくなったときは、琵琶湖と同じ大きさの同国の少し横を走っているであろう架空の湖西線に想いを馳せてみるとよいのかもしれない

もはやその妄想において列車が秩序正しく走っている必要すらもない

湖西線は少し遅れてやってくることによって湖西の季節感をまとい、そしてシンガポールに夏をもたらすのだから