なおやんの 手記手記 しゅっき〜

なおやんの 手記手記 しゅっき~

痛みに耐えて よく頑張った

ブログタイトル

コンサートと余韻について

プロローグ

にわかで何が悪いのだろうか

 

深夜2時半にムクリと起き上がり、テレビの前にぼんやりと陣取る

 

今日は2018年7月2日

もうすぐワールドカップのベルギー戦が始まる

 

サッカーというスポーツが特段好きなわけではない

サッカーをしている人間は苦手なくらいである

サッカーをしている人間のボケで笑ったことがない

サッカー選手はボンバーヘッド荒川しか知らない

ボンバーヘッド荒川はボケでもないのにめちゃくちゃ面白い

これがボンバーヘッド鈴木 とかだと全然面白くない

クスリともしない

スベっている

荒川という名詞に紐付けられた”ボンバーヘッド”は荒れた川の底で木くずや砂が混ざり合ってできた丸形のふわふわした固形物が連想されるから面白いに決まっている

 

ボンバーヘッド荒川

 

ボンバーヘッドを肥大化させればヘディングの際にボールを頭髪に吸収させてそのままゴールに突っ走って得点することが可能である

そのまま加速度的に肥大化し続けた荒川のボンバーヘッドは大地となり我々は荒川の頭上での生活を余儀なくされる

その世界において荒川は孤独であった

だから荒川はボンバーヘッドを一定の大きさに保っているのだ

 

これが自分が考えうるもっとも深度化されたサッカー哲学である

 

そして始まったゲーム

日本はなんとベルギー相手に2点を先取した 狂喜乱舞 信じられない

そのあと3失点して負けた

戦後の国際社会における日本の立ち位置の変化を見てるようで胸が詰まる想いであった

ただめちゃくちゃ興奮したし感動してしまった

 

そして試合後、魂が抜けたようにテレビ画面をぼーっと眺めていると、ぼんやりと音楽が聞こえてくる

グラウンドで流れていたOasisのDon't Look Back In Angerである

それを聴いてふと泣きそうになった

ボンバーヘッド荒川しか知らないにわかサッカーファン&画面越しに聴いているという状況でもここまで感情を揺さぶられているのだから、会場にいたならばオイオイと泣いていたに違いない

 

 

これこそが余韻である

余韻とは昂ぶった感情を一旦均していく時間

でも今あるだけの土で均すのではなく、新たに土を運んできて、底上げをしつつ踏み固めていくのである

Don't Look Back In Angerが流れた瞬間、それは俺の中の六甲山から新たな土がベルトコンベアで運ばれ、俺の中のポートアイランドへと降ろされた瞬間であった

 

久々にきちんと余韻を味わった夜

GWは東京へ行っておりました

東京という街は恵まれたものでコンサートや演劇を見ることができる機会が格段に多いわけです

なぜならば人口が集積してるから 当たり前だけど

一定数の集客が見込めるし、アーティストはそもそもみんな東京に住んでいるので移動せずに済む

 

そんな事情もあってか東京に来るとよいコンサートをやってないか見てしまうのです

 

 

夕暮れの大手町を抜け、国際フォーラムへ

 

 

エリック・中川英二郎本田雅人に加えてゲストに平原綾香、そしてなんといっても川口千里のドラムが凄まじかった 

次期女性天皇総選挙があるとしたら芦田愛菜川口千里の一騎打ちになること間違いなしである

ほんと人生でも指折りに感動したライブでございました

 

ライブが終わり、帰路へ

 

 

ゆっくりと階段を降り、人の流れとともに丸の内へ吐き出される

これがエレベーターとかだと味気ない

できれば階段かエスカレーターでゆっくりゆっくりと進みたい

 

 

吐き出されるとすぐに街とつながっているのも良い

そのままふわふわした気分で歩く

 

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そしてディナーへ!

ああなんという贅沢 このために生きている

今まさに俺の中のポートアイランドが埋められている、満たされている、、、

 

田舎にずっといたので演劇やライブ後の余韻というものをあまり味わったことがなく、いつも終電間際の電車で急いで帰っていた記憶がある

こうやって何かを味わったあとにそれを余韻としてきっちり消化できる時間を持てるというのは都市に住む特権なのかも、と思った

もちろん田舎に住んでいても帰りの電車の中で色々語れることはあるんやけれども、やっぱり落ち着いてお酒を飲みながらあーだこーだと言いたいものである

 

例えば終電の時間がもっと遅くなれば余韻を楽しめる人が増えるかもしれない

コンサートのチケットの半券で近くのホテルが割引されればみんな泊まってその街にお金を落としていくかもしれない

 

例えばコンサートホールから駅までの動線を美しいものにしたらあるきながら心地よく余韻に浸れるかもしれない

徳島市でいま計画されている新駅は文化ホールのすぐ横に建設するらしいが、駅自体は非常に簡素な造りにするらしい

文化ホールから歩いてすぐのみすぼらしい駅よりも、少し徒歩で歩いて徳島駅に向かわせて、その動線を楽しいものにするほうが良いのかもしれない、なんて思ったり(もちろん駅は日常利用が大半なのでそんな事情で新駅反対とはいわない)

 

また、コンサートが終わったあとなんて急いで帰る必要もないのだし、ゆっくりと進む乗り物でぼちぼちと帰ってもよいかもしれない

甲子園からの帰り、梅田行き各駅停車(座敷席&生ビール付き)なんてのがあったら最高だと思う

 

こんな感じ

 

ベルギー戦を見ても明らかなように、日本はもはや成熟社会に入っている

ゆっくりと進む文化的で豊かな社会へ

これからは余韻というものがひとつのキーワードになっても面白いのかもと考えさせられました

 

皆様も心の中の人工島、大事にしてあげてくださいね

 

最後に最近読んだ本より一節

 

人はパンがなければ生きていけない。しかし、パンだけで生きるべきでもない。わたしたちはパンだけでなく、バラも求めよう。生きることはバラで飾られねばならない。

ーー「暇と退屈の倫理学 p33」より