どこにいるの
最近東京に行く機会が増えた
休日に東京で電車に乗っていていつも思うのが「思ったより人がいない」ということであった
数年前の平日にて山手線に乗った際にはあまりの混雑に田舎者の自分は為す術もなく気がつけば車内で小田和正になっていた
少し地面から浮いていたようにすら思う
あまりの体の痛さに耐えかねて一駅で降りて後続の電車を待ったことがある
しかしコロナ禍かつ休日の東京の電車にはそこまで人が乗っていない
山手線なんかは環状線と混雑具合がそんなに変わらない印象である
ただ自分は小田和正になったことがある
自分は知っている 東京の人口はこんなもんではないと
どこかにいるはずなのだ どこかに
ここは北海道釧路市
小学生の時期から地図帳を見るのが大好きだった自分は北海道において釧路というのは大都市であると思っていたし、函館札幌釧路が神戸大阪京都みたいな関係であると思っていた
しかし大学3回生のときに初めて訪れて腰を抜かす
人が本当に歩いていない 立ち並ぶ街灯は誰を照らしているのか
なぜ駅前一等地において10年以上前に閉店した大型デパートが平然と佇んでいるのか
ここはもしかして北海道における中核都市ではないのか
いた
最近東京に行く機会が増えた
東京に行く機会が増えたということは東京での入浴回数が増えたということであり、そのうち何回かは気分転換のため銭湯に行くのであった
てくてくと東京砂漠を歩いて銭湯という名のオアシスへ
男湯ののれんをくぐり、脱衣し、浴場へのドアを開ける
いた ここにいた
その光景はアイ・アム・レジェンドにおける廃ビルの中のゾンビであり
廃ビルまみれの釧路市における居酒屋の盛況具合と同じであった
そう、東京砂漠の炎天下において明らかに数が少なかった東京人はここにいたのだ
東京の銭湯において浴場への横開きのドアをガラガラと開けるということ、それは釧路市において居酒屋のドアを開ける行為と同じなのである
東京の銭湯の混み具合というのは本当に想像を絶する
まず洗い場が空いていないことがある 信じられない
洗い場だけは何があっても埋まらないと思っていた
目の前の信じがたい光景に正常性バイアスが過剰に作用し、既に洗い場にいる人間の膝に座って洗髪をしたくなる衝動に駆られる
当然浴槽も混み混みである
窮屈に三角座りにて湯に浸かると尻にふわふわしたものが当たるのでおそらく人の死体が沈んでいるのだと思われる
サウナのドアの前には5人ほどの列ができており、待つための椅子が設置されてある銭湯なんかも見かけた
人々はその椅子を「ありがたい」と享受するのだろうか
それはDV男から時たま発せられる愛のささやきそのものである
水風呂に入るのも当然待ち時間が発生し、全身から湯気を出した複数の人間が直立不動で佇んでいる光景は圧巻である
”明治期の北九州”を人間だけで表現しなさいと言われたらこういう風になるのではないかと思われるような迫力である
当然こんな様態なのでサウナに行こうとは思わない
浴槽から北九州を眺めるだけでもう精一杯
しかしこれだけの不利益をひっくり返すほどのものが東京の銭湯にはある
それが”黒湯”である
日常に濃い泉質がない大阪の人間にとって、黒湯というのは本当に感動するくらいの上質なお湯なのである
浸かってて飲みたくなることすらある
これは大田区がメインに湧出しており、源泉は少し温度が低いのもぬる湯好きの自分にとって好都合
大田区の銭湯を何軒が巡ったけれども、突出してよかったのは「はすぬま温泉」
熱くも冷たくもない、俗に言う「不感温度」というものを体験できて、体が透明の膜に覆われてふわふわしたような宇宙のファンタジーを味わえます
ただ、はすぬま温泉は偶然混んでない時間に行けたのでこれも満喫できた大きな要因であったように思われる
混んでる時間に行くともしかしたら評価がまた違ってくるのかも
とにかく東京の銭湯は混雑との闘い
わりかしサウナも楽しむ方だけれど東京の銭湯でサウナを満喫することはもうやめました
その代わり東京では極上の黒湯が味わえるので、たまに東京へ行くだけの人間はもうそっちに集中しちゃったほうが良いと思われます