先輩の引っ越し
会社で歳の近い先輩が関連企業に出向することになり、四国へ引っ越すそう
大阪から四国への引っ越しは色々と大変だろうけど、うちの会社における出向というのは出世ルートでもあるので、おめでとうございますという感じである
そんな先輩を見ていて「あ〜引っ越し いいな〜」なんて思ってしまった
そして気付く いつでもできることに
更に気付く いつでもできるのが今しかないことに
遊牧民になれる時期
今の環境に不満があるわけではない
中崎町というのは素敵な街で、中崎町についての愛を綴った記事を書きたいと思い続けてまだ書けていないけれど、もうほんとに愛せる街なのである
また付近をぶらつくと梅田のビル群や商業施設、中之島の水辺の景色、点在する近代建築、公園機能も兼ねた淀川の河川敷など、素敵なスポットがたくさんある
なんとも離れがたい場所であることは間違いない
しかし、違う街に住んでみたい欲求もある これも間違いない
住んでみないと見えてこない景色というのは絶対にあるし、人生において居住地はそう簡単に変えられるわけではない
子どものうちは親元(実家)で暮らさなくてはいけないし、その後大学生になると実家を出ることはできても親が絡む契約的な事情や金銭的な事情で簡単に引っ越しはできなくなる
そして社会人になり結婚するともう引っ越しなんて容易ではなくなる
その後は場合によってはローンなんて組まなければならなくなるかもしれない
ローンというのは、数十年分の労働を差し出して土地に縛り付けられてしまうというものであり、引っ越しという単語からは無縁のものである
老後も資金と体力の問題でそうやすやすと転居を繰り返せるわけではない
ああ なんと儚い人生
しかし安心してほしい 以上の記載には抜けている時期がある
それが「社会人であり、かつ独身である時期」なのだ
これこそ人生において唯一、遊牧的生活が可能となる時期なのである
どこにいこうか
さあ急に湧き上がってきた引っ越し欲
何を基準に引っ越すかは本当に人それぞれ
↓中崎町に引っ越したときの記事
とりあえず大事になるのは職場までのアクセス性である
これについては、大まかにではあるが市町村単位で簡単に調べる方法がある
あくまで各市町村の役所を起終点とした移動時間であるが、これを見ると大まかに会社への所要時間がわかる
実際に自分の出身地からの時間を見てみるとかなり実感に合った数値となっていたので目安としては有用だと思われる
例えば奈良市であれば72分となっている
ああ〜奈良市めちゃくちゃ住んでみたいけど1時間超えはちょっとな〜
あとは近所にあってほしいもの
図書館や、夜まで空いているカフェはあればありがたい
オツなバーとかもあれば嬉しいし(行かんけど)、公園や自然もあってほしい
チェーン店ばっかりじゃなく個人店も適度に欲しい 個人店のほうが多いくらいでよい
あとは幅員の広い歩きやすい歩道とか愛せる景色とか、、、等々
考えだしたら色々と浮かんでくるのでこういったものを書き出して重み付けをして、住みたい候補のいくらかの街を定量的に評価するというのは1つの手かもしれない
こんな感じに具体的に書き出せれば店の数で簡単に街を点数化できる
ちなみに上記ツイートを見て「なんてつまらない基準」と思ってしまったけれどもこれは個人の問題なのでなにも言ってはいけません
ひとつ加えておくと、谷町線沿線には天満橋の京阪モールというユニクロ無印ダイソー(個人的に自分が住んでいる街には必要ない施設)が揃う素晴らしき施設があるので、中崎町や谷六なんかは自分の街を尖らせられるわけです
そう思うと広く沿線単位のポテンシャルを見て居住地を選択するというのも理に適っているなあと思うわけで(特に職場までの定期券が支給される人間であれば)
という具合に今日は急に湧き上がった引っ越し欲に対処していたのであります
実際住みたい街はあるだろうか
まず奈良市はひとつの選択肢になる
これは完全に鹿男あをによしを読んでしまった影響である
あれを読めば誰しも早朝に奈良公園をぶらつきたくなるし、住んでみたくもなる
あとはなにか「この街といえばここ!」というスポットや強みがあったらいいなと思う
それはそのまま「愛する理由」になる
中崎町は奇跡的に戦火から逃れた貴重な長屋群や環状線の交差する都島本通の景色、手狭な個人店がひしめき合っている雰囲気なんかが愛せるポイントである
石切に住めば大阪の夜景が、塩屋に住めば坂と海の美しい景色を愛せるだろうし、吹田に住めば学生に溢れた雰囲気に懐かしさを覚えるかもしれない
そういった面白い街に住んでみたい
”とにかく駅近ならなんでもいい”だなんてそんな消極的な街選びは、もう少し成長して背負うものが増えてからでもいいと思うのです
とおくで自分を呼ぶ声がする
旅行で未知の地に降り立つと、付近をぶらつきながら「ここ街に生まれてたらこの学校に通ってて、、だからこの駄菓子屋が溜まり場になっていて、あの公園で野球をしていたのだろうか、、、」という妄想に浸ることをよくするのだが、これは実は妄想にとどまらない
どういうことかというと、並行世界というものが無限にあるとするならば、当然その街で生まれた自分も存在するわけである
今でも奈良市に住んでいる自分や塩屋に住んでいる自分は確かに存在するわけで、今回不意に引っ越し欲が湧いたのも、先輩の引っ越しというトリガーとともに、どこか離れた場所から自分の声がしたからなのかもしれない
そこへ行けば、なにか違う自分に出会えるのかもしれません