なおやんの 手記手記 しゅっき〜

なおやんの 手記手記 しゅっき~

痛みに耐えて よく頑張った

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音威子府

浜頓別出身の親友がいる

友人ではなく親友である

 

「浜頓別出身の親友がいる」と言いたいがために【知人・友人】から【親友】へと昇格したとかではない

 

そもそも親友の定義とは何であろうかと考えることがある

色々あるだろうけど「3時間サシ飲み」ができれば親友だと思う

だから4年くらい会っていない親友もいるし、逆にしょっちゅう会うけれど親友ではない人もたくさんいる

 

「向こうも親友だと思っている」を親友の条件に挙げる人がいるかもしれないが、自分以外は虚構なのでそんな定義は全く意味不明である

こちらが親友だと一方的に捉えれば、それで全く構わない

 

 

 

浜頓別を検索すると神々しい画像が出てくる

あの光に導かれ、空から何か出現するのであろうが、画像にある情報からのみ推測すると、どうせ巨大なハクチョウが現れるに決まっている

 

そんな浜頓別から車で1時間の距離にあるのが「音威子府村」である

「おといねっぷ」と読む

 

 

音威子府村の中心駅となる音威子府駅には、有名な駅そばがある

 

 

大学4回生最後の卒業旅行、友人たちとルスツリゾートへスキーに行き、そのまま自分だけ北海道に残り、真冬の北海道を動き回った

そのときに訪れたのが音威子府駅であり、噂に聞いていた絶品の音威子府そばを駅で食べた

音威子府そばの特徴はその真っ黒な麺の色にある

すすると独特かつ強烈な風味が襲い、真冬の駅の待合室という環境も相まって、感動的とも言える食体験であった

 

この駅そばは、店主がお亡くなりになったこともあり、今では食することができない

更に、音威子府そばの製麺所が廃業となったこともあり、一時は音威子府そば存続の危機に陥っていた

 

しかし、そんな音威子府そばを提供する店が東京にあることを知り、東京へジェフ・ローバーを観に行くついでに浜頓別の親友を誘い、訪れることに

 

 

 


「冷や」=「冷やかけ」だと思い頼むと、ざるそばが出てきてしまった

普通に美味しかったけれども、あの駅そばの記憶にアクセスしたかったので、浜頓別が頼んだ温かいそばをパクる

 

 

こんな感じだった気がする 美味しい

 

 

ここまでは前置き 途中何回書くのをやめようかと思ったことか

前置きが長すぎると本当に文章作成に嫌気が指すので、さっさと本題にいくようにしようと思う

前置きだけ書いて途中で放棄した記事が実はいくつもある

 

 

 

 

さて、問題はここからである

 

そばを食べ終えて会計をしにレジへ

脇に浜頓別を従えた自分は当然のごとくレジの店員へ自慢をする

「彼、浜頓別出身なんすよ」

 

ここで期待していた反応は

 

「浜頓別すか!自分は◯◯出身で!」との店員の嬉しそうな顔や

 

「自分はよくわからないんですけど、、店長〜」(店員が店主を呼ぶ)(店主が現れる)

「ほう君は浜頓別かね 私は店主で◯◯出身だよ 同郷だ 肩を組もう 歌おう 中央に抗おう」との店主の郷土愛に満ちた表情であったり

 

現実は違った

自分以外は虚構であるけれども、それでも勝手に他人の会話を妄想して進めてしまうのはよくないなと改めて感じる

レジで行われたのは、「あ、そうなんですね。店主ですか?東京です。」との5秒のやり取りのみであった

 

上の出来事をもって、食べ終えた時点で星5つだったものを星4つにしようとかは全く思わない

普通に美味しかったし、浜頓別も「こんな味だった気がする」と言ってたので、味に間違いはない

調べると音威子府製麺所から麺を取り寄せているとのネット記事も出てきた(製麺所が廃業してからどうしているのかはわからない)

とにかく、味は十分に「本物」であった

 

しかし店主が東京出身と聞いたときの脱力感はなんだったのだろうかと思う

この文章を店主が目にしたら激怒すると思う

出身地なんて関係あるのか、味が全てだろう、と

違う そうではない 怒らないで

店主の頑張りがどうのこうのではなく私の感性の問題なのです

 

 

 

2年前にセミナーに参加した際に作ったパワーポイントがここで役に立つ

これは観光の文脈での「真正性」についての分類であるが、「真正性」つまり「本物」とはどのようにして人に受け取られるのかといったことが整理されている

 

あくまで観光からの視点なので無理やり当てはめるとそぐわないところもあるけれど、この場合、自分はおそらく①の客観的真正性を求めていた

つまり「音威子府村周辺出身」あるいは「北海道出身」じゃないと、本物とは認めない

これは原理主義的な危険思想である 

日本の地方がこれから経験したこともない急激な人口減少に襲われるなか、このような原理主義の立場を取っていると地方の文化は消滅してしまう

この音威子府そばだって、外からの力がないと存続できなかったかもしれない

 

自分もそこまでの危険思想は持っていないので、①はなくとも、③の実存的真正性があれば・・・くらいに考えていた

これは、店主や店員が個人的に音威子府村に居住経験があるとか、深い交流があるとかである(解釈が正しいかどうかはわからない)

しかし、浜頓別というワードに一切反応しないことから、勝手に「道北に詳しくない」と判断し、実存的真正性においても自分の中で満たしてほしい水準を満たしていないと判断してしまった

 

色々調べればわかるが、こちらの店主は音威子府村をリスペクトし、きちんと現地にも通い、一度駅そばを食べただけの自分の数億倍は「本物」なのである

 

なので、ここでの話は「音威子府そばを食べて美味しかったけど少しがっかりした話」では決してなく、「自分はどういうところに本物性を見出すのか」という話であった

 

 

「本物」の話でいうと最近許せないのが、セクシー女優の入れ乳問題である

セクシー女優の人気ランキングでは、上位に何人もの入れ乳女優が食い込む

入れ乳はもう一目でわかる 「なにわ海の時空間」みたいな形をしている

 

海に浮かぶ構造、かさむ電気代…「なにわの海の時空館」閉鎖10年で維持費7000万円 : 読売新聞

 

乳が本物か偽物かわからないようなら自ら手を挙げて畜生道を歩むべきである、と言ってもいいくらいあからさまに偽物である

 

ただ、怒りの対象は女優には向かない

売れるためには様々な手を使わなければならないので、当然ニーズのあることは取り組む

つまり、許せないのは、入れ乳を積極的に評価する男性諸君である

 

 

ここでも作ったパワポを引用する

 

「地形」というのは非常に本物性が高い

もちろん、戦車の爆撃によって地形が変形した、津波に備えて地面を嵩上げした、など人為的なものはあるが、基本的に地形というのは何百年も変わらずそこに存在する

入れ乳は当然これに反する

ある日目が覚めると急に家の前にあった小高い丘が2,000メートル級の山へと変貌している

こんなフィールドにタモリがやってきてブラタモリしてくれるだろうか

否、タモリは「風土」のある場所にしか来てくれない

「風土」とは、人の営みによって自然かつ必然的に形成されるものであり、紐解くことで逆に地域の歴史や特性を読むことができる

 

 

しかし実際、日本の男性諸君は、風土のない土地を称賛し、セクシー女優ランキングで上位まで押し上げてしまうのである

なんたる文化成熟度の低さであろうか 絶望するしかない

 

プロ野球において、誰しもが薬物によって筋肉増強を行い、画一的なガタイの選手ばかりが揃ったチームなんて応援したいだろうか

各自が生まれ持った能力をもって戦うからこそ面白いのであって、そこに文化が生まれる

 

本物性を追求しすぎることは、原理主義のような思想にもつながるので、ほどほどにしないといけない

しかし、本物性を放棄し、短絡的に結果だけを求めるとどうなるか

多様性や文化が失われるだろうし、これも危険な世界になってしまう

 

ありのまま生きてよいけれど、適度に眼に力を入れて歩きましょうというお話でした