行ったことのない街でお酒を飲むのが好き
もちろん飲み会の回数としては、天満や梅田で飲むことが多いけれど、たまに「なんやねんそれ」みたいなところに行きたくなる
天満や梅田にある小ボケの数々は、小ボケを設置した人間が「これは面白いぞ」などと認識してしまっている、我々の一般常識に内包されたつまらない小ボケである
一方、普段行かないような街で出会う森羅万象は本当に自分の心を揺らしてくる感覚がある
「本物」だなと思う
先日「そういえば、野田で飲んだことないな」と、野田で飲むことを思い立ち、その周辺の地図を見る
旅行に行くときも、旅行先で訪れるであろう箇所の周辺地図を何も考えずボーっと眺めていると、たまにとんでもなく面白い場所を見つけることがある
Oh...Serendipity... な瞬間
なので、ボーっと地図を眺めるというのは幸運を捕まえるために必要不可欠な作業なのです
さて下の地図を見て、どこに目が留まるだろうか
これは明らかに「地獄谷冥土BAR」である
名前がエゲツない どういうこと?
そしてすぐ北の店を見て更に興奮する
「地獄谷エルマノスカレー」
近接した店に同じ名前が含まれていることから推測されるのは「その名詞は地名ではないだろうか?」ということである
「地獄谷」とは一体どんな場所なのだろうか
俄然興味が湧いてきた
そして、地獄谷を探り当てた自分の彗眼に感服するのであった
地獄谷のことをネットで調べると、公式HPがあり、アクセスすると上からしんしんと雪が降り注ぐ
全く意味がわからない 邪魔すぎる 野田は絶対に豪雪地帯ではない
不可解な壁の前に立ち尽くし、涙が出てくる
ずっしりとした、でも実体のない重み、これこそが「本物」である
気がつくと、環状線の11時の方向へ、私は駆け出していた
野田に着くとさっそくキラキラしたビルを見つける
この世のすべてのフォントが揃っていて感動する
お気には「スナックみほ」と「シャントン」かな
さてさっそく地獄谷に足を踏み入れたのだが、本当に腰を抜かしそうになった
なかなか現地を歩かないとわからないかもしれないが、とにかく退廃的な雰囲気で、ゾクゾクとした緊張感すら感じる
なにがそうさせているのかというと、窓のないただの「壁」の面積があまりにも大きい点が主な要因じゃないかと思う
わかりにくい説明になるけれども、よくある裏路地の飲み屋街というのは「オモテだけどウラ」なところが惹きつけられる点である
要は、普通に飲み屋が並んでおりガヤガヤとしているが、周りの環境から遮断されたような「ウラ」の感じが人々を魅了する
ただ、ここは違う
無理やり言うならばその逆で「ウラだけどオモテ」
前述した「オモテだけどウラ」の「ウラ」はあくまで雰囲気のことを指すのに対し、地獄谷の「ウラ」は本当に建物の裏であり、そのような環境でありながらも飲食店が密集し、「オモテ」の雰囲気を醸し出している
すごい場所を発見してしまったと、心底感動してしまった
さてここまでが前置き
すべて省いても何ら問題がないが、なにせ地獄谷の素晴らしさを伝えたかった
そんな地獄谷で、おそらく常連が集うであろう古めかしい居酒屋へ「せっかくやから」ということで突撃をした
これはすごい なんて素晴らしい飲み屋だろうか
やはり人間というのは外に出歩かないといけないと思う
特に、出かけたことのない街というのは何かしら気付きを与えてくれるし、単純に新鮮な風景というのは面白い
自宅でモゾモゾと過ごしている間にも、日本の様々な街が同じように歳を重ねている
当然ながら同じ世界を生きているわけで、いつでも飛び込んでよい
だったら突撃しよう その街の風土もいつまで維持されるかわからない
そんな素敵な飲み屋さんであったが、壁にソフトボールチームの集合写真が飾ってある
なんの疑問も抱かずに、店主のおばちゃんに「お孫さんですか?」と尋ねる
「いや、ちゃうねん・・・」と話し始めたおばちゃんの話が素晴らしいものであった
話によると、このソフトボールチームは、飲み屋に通う常連さんで作ったチームであった
それだけでもすごいが、よく見ると写真の下に”40周年記念”と書かれてある
「40年やってるんですか!?」と思わず聞いてしまう
そうすると40年前、結成当初の話をしてくださったのだが、最初はバットも買えず、角材を振り回してソフトボールをしていたそう
あまりにも面白い はだしのゲンの世界観
そしてこのソフトボールチーム結成の目的がすごかった
ここは飲み屋であり、当然お酒を提供するのであるが、「飲みすぎて不健康になってはいけない みんなに長生きしてほしい」とのことで、健康増進のためにチームを組んだというのである
そこでは対外試合をするわけではなく、ひたすら紅白戦を行い、楽しく体を動かすのがメインであるそう
感動してしまった
これはもはや「社会福祉」である
地獄谷を訪れ、そして社会福祉飲み屋に出会えた
ああなんて素敵な夜だろうか
すごく満たされた気分になった
ちなみに「地獄谷」というのは地名ではなく、なんと愛称であった
意味は「一度来ると帰ることができないから」という泣けるほどグッとくる由来
この愛称がどのようにして決定したのかわからないけれども、その名前を大事にして色々な店があたかも地名のように店名に混ぜているというのはすごいことだなと
この街の成り立ちを詳しく知りたいし、単純に街並みが面白すぎるので、今後何度も行くことになると思う
ただ、そもそも「社会福祉」の観点でいうと、飲み屋やバーの存在はそれだけで社会福祉なのじゃないかと思う
自分は非常に孤独を感じやすいウサちゃん型人間であるが(かわいい)、近所のバーの存在にめちゃくちゃ助けられている
これは【会社】【家】に加えての、俗に言う「サードプレイス」となる
孤独に打ちひしがれ、誰かと話したい気分のときは、フラっと街に出て近所のバーに行けばマスターともお客さんとも会話することができる
もちろんお酒を飲むのにお金はかかるが、精神的な不足をお金で解決できるというのは非常にありがたいことであり、支払う金額以上のメリットを享受しているからこそ、たびたび出向くのである
ただ、自分はこのようにバーに助けられているが、「お酒を飲めない人」はどうなるのだろうかと考えることがある
たまたま自分は最低限お酒を受け入れられる体だからバーで孤独を解消することができているが、そうでない人は救われる道があるのだろうか、と
また、自分はたまたま育った環境が良いため最低限の社交性を身につけられているが、そうでない人々はなかなかこのような場所に出向くことができないのではないか、と
そんな話を行きつけのバーで話した
そして「お酒が飲めない、社交性があるわけでもない人々を救うための【ダサい店】が必要ではないか」といった話へと展開した
(これを書くと自分は【ダサくない店】に通えているような選民思想を持っているようで、それこそめちゃくちゃダサいのであるが、そのダサい思考を認めた上で書いている)
(そのように括弧で補足的に説明すること自体が最高にダサい)
(それを括弧で補足的に・・・ 以下繰り返し
「そんなダサい店を開ければいいですけどね」とマスターに話すと
「じゃあ坂本くん、そんな店の店主になって毎日カウンターに立ちたいかい?」と聞かれ、それもヤダなぁなんて思ってしまう
なんて自分勝手な
また、「お酒が飲めない人もこの店に来るし、心配しなくともそんな人もきちんと楽しく生きていってるよ」と
あぁ 勝手に「誰かを救いたい」というのが先行し、めちゃくちゃ傲慢な考えになっていたな、と反省させられる夜であった
でも、なにかしらの「居場所」を人々に提供するというのは人生の究極の目標かもしれない
誰しも居場所を求めている
だから、死ぬ間際に駄菓子屋とか開ければよいなぁと思う
そして小学生と本気で喧嘩をしたいし、以下の記事に登場する駄菓子屋店主の意志を継ぎ、ヤッターめん本位制を確立したいと考えている