「坂本くんって趣味なさそうやな」
会社の30歳くらい上の人に言われてびっくりしてしまった
わりかし自分のプライベートは職場でオープンにしているつもりだったけど、それでも無趣味な人間だと思われていたようであった
「◯◯さん、CAD使うでしょ?」
瞬間的に頭に浮かんだ例えによって、スラスラと口が動く
「CADの画層のようにね 僕という人間もいろんなレイヤーで構成されてるんですよ」
すごく納得した顔をされていた
自分でもよい例えだと思った
この間、東京で会社の若手と飲んでいると、昔うちの職場にいたという今は他社にいる人間が途中から合流してきた(自分は初対面)
6時間ほど飲み続け、最後にゲイバーへ向かう
そこでその他社の人間が自分たちへ向かって「俺はいろんな会社の人間と知り合いになりたい お前らは同じ会社だからお前らの中の1人だけと知り合えればいい」と言い放つ
こいつどれだけ浅い人間なんだとびっくりしてしまった
これもひとつの画層のみで他人を判断しているということであり(最初の職場のおじさんに全く悪意はなかったけど)、人間ときちんと向き合って欲しくなる
自分自身が厚みのないレイヤーで構成されているからこういった発想になるのだろうか
モヤモヤした気持ちでいると目の前のKABAちゃんみたいなゲイが話しかけてくる
「お兄さんどこから来たの〜」
「奈良の吉野」
「知ってる!吉野ヶ里遺跡でしょ〜」
自分はゲイバーが嫌いかもしれない
KABAちゃんは吉野と吉野ヶ里遺跡を混同することがどれだけのタブーかわかっていない
奈良と佐賀は邪馬台国起源説を共に提唱する敵同士であるのだ
浅い 浅すぎる 有明海のよう
その後気を取り直して、隣の若手と「将来は白馬で一緒にペンション経営でもしようか」なんて妄想話を話し合っていると
「やめときな〜 もう外国人に土地買い占められてるよ インバウンド対応も大変だよ やっていける?」とKABAちゃんが急に話に割って入って詰めてくる
なぜゲイバーが苦手かこのときやっとわかった
ゲイは「解決」しに来るのである
本気で白馬にペンションを建てるわけないし、こちとら妄想の世界で遊んでいただけである
浅い戯れの中で急にがっぷり四つでぶつかって来られても自分は困惑してしまうだけであった
そもそもゲイバーにおいて自分のような態度が間違いなのは百も承知であるが、改めて「みんな本当に解決されに来てるの?」と不思議な気持ちになった
自分はよくひとりで近所のバーへ行くが、バーではおなじみのマスターと話すとともに、その場にいる他のお客さんとも話すことになる
客の組み合わせも話題の組み合わせも、もちろん行ってみないと予測不能であり、そのような世界にいると自分の中の普段使わないような画層が現れたり、いろんな画層が重なり合ってよくわからない状態になったりする
要は、客同士の関係性そのものは浅いものの、そこで構成される世界観と対峙することで、自分の深いところに潜り込んでいくことができるのである
例えばこの前隣に座った女性が語った「この間、共産主義者の男の家に泊まりにいったとき、男が飲み物のことをずっと”ドリンク”と呼称していたのを少しイジると『言葉狩りから福田村事件は始まった』という話を延々とされたので恐怖のあまり夜中に逃げ出して最寄りの身延線の駅まで2時間歩いた」という話
こういったとんでもない話を通常状態の自分が受け止められるわけがない
この暴力的な巨大な球を受け止めるためには、普段使わない画層のスイッチを稼働させ、自分を瞬間的に強化しなければいけない
話そのものを聞く行為ももちろん面白いが、それを受け止める自分の「揺らぎ」も同じく興味深い
この揺らぎを感じるために自分はバーに通っているのだと思う
なので、ある程度着地点が自分の中で予測できてしまう、ゲイバーの「解決」を終点に置く会話は、あまり面白くないと自分は感じてしまうのかな
この前も自分の右横に見た目60歳くらいのおっちゃんが座り、「おっ このカウンターは年齢順に並んでるね」と
そのとき確かにカウンター席は左からだんだんと若返っていき、一番右の自分が一番若いような構成になっていた
しかし自分の右に座っているおっちゃんはどう見ても自分より年上である その論理は通らないではないかと思い「どういうことですか?」と聞くと
「うるう年生まれだから、まだ俺は10代なんだよ」と
このとき数年ぶりに「うるう年が誕生日のため4年に1度しか年をとらないと言い張る人に対処する画層」のスイッチが入った
小学校のとき近所に住んでいたうるう年生まれの堀川くんがずっとこれを言っていてめちゃくちゃ面倒だったので、自分の中に確固とした画層として成立してしまったのである
もう一生使わない可能性があると思っていたので心底驚いた
まだこんなことを言う人間、しかもおっさんが生きていたのかと
そのおっさんは「結局セックスをして愛が深まるか遠のくか だよね」との言葉を残して帰っていった
この言葉は受け止める必要もなかったので特に揺らがなかった
会社でも、あの人のあの画層は自分しか知らない というのがある
ボーナス入ったらどうする?という会話を同世代の若手と話したとき
「全身脱毛行きます!でも下まで剃っちゃうのもアレですよね・・・男らしくないというか・・・いやでもせっかくなんで全部いっちゃいますけどね」
との言葉を聞いて、自分の中に電流が走った
男としてこうありたい
しかしそれに背いて陰毛を除去する行為
背反的パイパンだ・・・
以降、彼を見るとき、透過率95%くらいのうっすらとした「背反的パイパン」画層が自分だけには見えるのである
その画層はおそらく会社の全社員の中で一番面白いのであるが、それは自分しか知らない
そんな風に、周りの人間というのは無数の画層で構成され、それらが発現したり消えたり、透過して漂っていたり、カオスな世界が1秒毎に形成されているのである
世の中には、他人を褒めるときに「ハイスペック」だなんていう言葉を用いる人間がいるが、他人を定量的に判断し、その数値が高ければ良い評価を下すなんていうのはあまりにも面白くない発想ではないかと思う
自分の恋人に「ハイスペック」だなんて評価されたら喜ぶのではなく絶望したほうがよい
なぜなら定量的指標によって判断されると、あなたは全ての項目においてロボコップに完敗するからである
ロボコップと対峙せぬよう、明日からも我々はゆらりゆらりと混沌の世界に生きるしかないのである