なおやんの 手記手記 しゅっき〜

なおやんの 手記手記 しゅっき~

痛みに耐えて よく頑張った

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居場所を奪わないでください

中崎町界隈にはライフというスーパーがあり、付近には「ナベル」というオリックスのハズレ外国人みたいなよくわからない名前のスーパーしかないので、食料品の買い物のほとんどをライフで済ませている

 

そんなライフの鶏肉コーナーが最近おかしい

最初はたまたま目的の品が売り切れなだけかと思っていたがそうではないらしい

 

そもそも、金のない弱者に取って鶏肉、特にブラジル産鶏肉は命の源である

牛も豚もとても高くて手が出せないときにも、ブラジル産鶏肉だけはいつも変わらず弱者に微笑みかける

弱者の体はブラジル産鶏肉で形成されているといっても過言ではない

 

そんな私の愛用する(もはや週3~4くらいで食べているので愛用という言葉を使っても問題ない)ブラジル産鶏肉であるが、最近どうも元気がないのである

ブラジル産鶏肉といえば陽気なサンバの血が脈々と受け継がれ、今にも踊りださんとするように容器からムチムチとした肉体を光らせていたものであった

名付けるなら「サンバ肉」とでも言えようか

鶏肉コーナーに近付くだけでサンバの地響きを感じていたものが、最近やけにおとなしい

 

どういうことかと思って近付いた私は絶句する

肉が無残にも切り刻まれているのである

容器のラップを突き破らんとする3次元的な迫力は見る影もなく、「おさまるところにおさまりました。」といった顔の小規模な肉の塊が点在しているのみであった

そして値段を見て腰を抜かす

50円ほど値上がりしているのである

 

たかが50円といってはいけない、これは日用品なのだ

塵も積もればなんとやら、である

そして値上がりは相対的に測るものであり、元々190円くらいでサンバ肉が売られていたのに対し、ブツ切りされたノーサンバ肉は250円を超えていた

 

冷静に考えてほしいのであるが、「お金を払うから肉を切っておいてほしい」という資本家的、貴族的な発想を持った富裕層がブラジル産鶏肉を買うだろうか

ブラジル産鶏肉を買うような人間は、鳥人間コンテストのごとく、水面に落下するかしないかのギリギリのラインでペダルを漕ぎ続け、たまにボーナスという名の追い風が吹くことでふわりと浮き上がり、またクラクラと落下していくような、そんな人間なのである

 

 

 

そんな貧乏人間、それは毎日を生き抜くのも大変であるが、一方で日々を懸命に生きているという意味では生命力に満ち溢れた存在でもある

サンバ肉の生命力に呼応するように我々貧乏人間も必死で踊り続けている

 

そこにやってきた”想像力のない強者”はこう言う

「最初から肉が切ってあった方が食べやすいでしょう?」

 

アホか いらん付加価値をつけるな

むしろ価値を落としている

そしてそのことに気付いていない

 

「おさまるところにおさまりました。」の顔をしているノーサンバ肉のなんと卑しいこと

お前も抵抗しろ 切られるな

 

こういった強者の善意ほど恐ろしいものはない

”街が汚かったら困るでしょう?だから新しく再開発しますね”といってボロボロの飲み屋街を一層する

そりゃあなた達は困らないけれども、弱者は居場所を失う

 

きっとそんな人間は本屋に行き、文量が限界を超えてサッカーゴールのような形をした京極夏彦の文庫本を見て

「これって前編・中編・後編に分けたほうが読みやすいですよね」と言って本を切り刻むようなことをするのだろう

違う 強者の考える”便利”などクソくらえである

京極夏彦の本は、「本は縦長」という世の常識をぶち壊すその圧倒的な違和感と迫力こそ魅力なのだ

 

 

そして切り刻まれたノーサンバ肉を見て強者はこう言う

「これ弱者のためにくっつけたほうが良いのではないですか」

これも恐ろしい

強者があえて汚い雑多な街を作ろうだなんて不可能に決まっている

作為的にそんなものは作れないのである

そして鶏肉をくっつける作業にもまた付加価値をつけて値段はさらに50円上がり、サンバ肉の外見をしただけの魂のない鶏肉が300円で売られることになる

堪忍してください 見逃してください

強者はサンバ肉を語らないでください

 

ああ愛しのサンバ肉

日常を奪われた私はどうしたら良いのでしょうか

こうやって我々の居場所は失われていくのです