なおやんの 手記手記 しゅっき〜

なおやんの 手記手記 しゅっき~

痛みに耐えて よく頑張った

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「ルポ西成」を読んで

ジュンク堂が推すので

先週は金土日と友人が家に来た

そのおかげもあって今は部屋が片付いている

家に人を呼ぶことは最低限の環境維持に必要だなーとしみじみと思う

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二階幹事長と絡みのある友人なので床に寝かせた 親中派は敵

 

さて金土と割と酒を飲んだので日曜はのんびり過ごそうと思い、友人と中崎町ランチをしたあとはジュンク堂に寄って本でも買って解散することに

 

この梅田のジュンク堂はめちゃくちゃデカくて、おおよそ欲しい本は手に入ってしまうのだが、1階の1番目につくところに整然と並べられていたのが「ルポ西成」であった

 

ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活

ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活

 

 

1〜2ヶ月くらい前から何度か書店で見たことがあり、少し興味があった

自分自身もよく金をケチって会社帰り西成に泊まっていたし、宿泊名簿を書く必要が一切なく、5秒でチェックイン可能な「ドヤ宿」にも泊まったことがある

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ここは本当に死ぬかと思った 

朝にはおそらく日雇いの労働者が大量に斡旋センターみたいなところに集っており、一体これから彼らはどういう仕事をするのだろうかと気になったこともある

なので西成の実態というものに興味がないわけではなかったけど、わざわざ買うほどもないかと毎回スルーしていた

そしてその日もスルーして、文庫本を見に2階へ

 

驚いたことに2階にも「ルポ西成」がズラリと並べられていた

押しに弱すぎる人間なので、気がつけば手に取りレジに足が向かっていた

先日もウォーターサーバーを営業されて申し込んでしまって、本体が届く4日前に正気に戻り慌ててキャンセルしたことがある

このときは正気に戻る前にレジで買ってしまっていた

本にクーリングオフは適用されない

 

感想

その日のうちに読み終えた

スラリとした文章で読みやすく、誰でも1日あれば読み終えることができると思う

 

結論から言うとこの本はゴミ箱に捨てるつもりである

今すぐ捨てたい

捨てたあとはゴミ収集車に俺も乗せてもらい、舞洲工場でくたばる瞬間を見届けたい

 

なぜまだ捨てれないかというと、この感想を書くのに用いらざるを得ないからである

 

 

 

さて、この本を論じるにあたり触れておきたいネット記事がある

去年炎上した、ホームレスに関する記事である 

cakes.mu

 

これに対する批判は

・ホームレスは自分とは切り離された存在として見ている

・自分の枠組みの中に勝手にホームレスを取り込み、ストーリー化している

 

この2点が多かったように思う

要は、ホームレスは自分とは住んでいる世界が違う人間だと扱い、そしてホームレスとなった過程も考慮せずに自分の視点からホームレスを「すごい生き物」みたいに捉えているのが問題となっていた

 

正直自分は最初読んだとき、

とはいえ、私たちはおじさんたちのような路上生活をしようとは思っていないし、現在のテクノロジーに囲まれた生活を続けていきたいと思っている。

の一文だけは、んん?となったものの、あとはそんなに違和感なく読んでしまったので、この文章の中に隠された様々な問題点に気付くことはできなかった

なので、当時は自分も無意識にこのような捉え方をしているのかもしれないと自戒の意味も込めて、色々な批判記事に目を通していた

 

 

ドイツの哲学者カントは

「人を単に手段として扱うことなく、常に目的として扱え」との”人格主義”を説いており(最近哲学部の人間と遊ぶことが多いのでまた詳しく教えてねん)、この炎上記事はまさにホームレスという他者を、記事を書くための手段として落とし込んでしまったのではないかと思ってしまう

ちなみに人を目的として扱うというのは、現代倫理学において「その人の意思を尊重すること」と解釈されているらしい 知らんけど

 

さてこの記事に対して牙を向いた様々な人たち

そんな人間がこの「ルポ西成」を読んだら卒倒するんじゃないかと思う

 

 

まずこの本がどういう本かをさらっておく

筑波大学に7年通ってしまい就活にも当然失敗した筆者は、大学卒業後裏モノ系ライターに

新宿のホームレスののびのびとした生き方に感銘を受け、ホームレスに関する卒業論文を書いていた筆者は、「将来このようなおじさんになったら自分はどう生きるのか 廃人のように死ぬのかそれとも開き直って明るく生きるのか」を常に考えていたところ、出版社から「じゃあ西成に行ってみたら?」と言われ、潜入取材をすることに

そして西成で実際に過ごした78日間を綴ったのがこの本である

 

その78日間で筆者はドカタの仕事やドヤ宿の清掃の仕事などをこなすのであるが、困ったことに筆者は西成の人間を終始見下してしまうのである

本当に容赦なく、こき下ろす

 

以下、いくつか書いてみる

 

・路上での飲み会で出会った歌丸そっくりの老人について

歌丸にはプライドというものがない。前科についても「やっちまったんです、へへへ」という感じでまるで人ごとのように話す。それは自分の犯した過ちを包み隠さずに人に話すという罪の意識ゆえの行為ではなく、ただ捕まって刑期を終えて出てきたという事実のみを並べ、他に意味を含まない話し方だ。

生活保護に関しても肝臓が悪いから福祉で食べさせてもらえばいい、というような単純な気持ちで、少しでも良くなって社会復帰しようという意志はまるで感じられない。犯した罪を尋ねると、さらりと「空き巣ですわ」と答えた。歌丸には窃盗という罪がとてもお似合いだ。

 

39ページ、割と序盤にこの文章が出てくる

もうこの時点で読むのをやめてもよかった

明らかに倫理的にまともな人間が書くような文章ではない

大学に7年通った落ちこぼれが立派に他人観察をし、相手の背景も一切無視して自分視点のみで相手をこき下ろす

いきなり先制パンチを食らわされた

 

 

・ドカタ現場で先輩に仕事を頼むシーン

「はい。知識も経験も自分にはなにもないですが、できることからやっていこうと思いますのでご迷惑おかけしますが色々教えてください!」

ヤクザや前科者扱いをされ、なぜか罪の意識が芽生えつつあった私。自分はどうしようもない人間なのだから力を抜くことなんて許されない。そう思うと頭を下げてお願いすることに何の抵抗も抱かなくなった。相手も同じように一生飯場暮らしのお先真っ暗人間ではあるが、土下座だってできてしまいそうだ。

飯場=土木工事や鉱山の現場にある、労働者の合宿所

 

ここで筆者のプライドが垣間見え始める

どんな仕事であれ、職場での経験年数が多い者に、少ない者が頭を下げるというのは当然のことである

あえてこのような書き方をしているところに、根本の人間としての価値が自分のほうが上だという意識が見えてくる

 

 

・自分の仕事を明かすシーン

休憩時間、坂本さんとコーヒーを飲んでいると、「萌、お前なんでこんなところにおるんや?」と改めて聞かれた。たしかに先日大学を卒業した若者が、意味もなくここにいるとはにわかに信じがたいだろう。

「じつは、私は普段ライターをしておりまして。西成の本を一冊書くことになり、ここに来ているんです」

言ってしまった。嘘をつき続けるのも色々と辻褄が合わなくなりしんどいということもあったが、紛れもなく自己顕示欲から出た発言であった。自分は人から評価されるような人間ではないという自覚はあるが、ここにいる人たちとは違うという思いも根底にあったようだ。

 一旦ここで本を投げた 筆者化け物やんこいつ

その前にも工事現場で自分は筑波大学出身だと発言してしまうシーンがあり、キショ・・・となったあとのこれなのでキレてしまった

変に分厚い本なのでウラウラと汚い弧を描いて飛んでいったのがまた癪に障る

この文章が出た時点でそのあと読めば読むほど胸糞が悪くなるだろうなというのは予想できていたが、こうなったら読むしかないと腹をくくる

 

 

その後も色んな人に対する悪口が出てくるが、東のおっさんに対する悪口は特にひどい

ちょっと面白いくらいボロカスに書かれている

 

腰を曲げながらトン袋を引きずり、ヒイヒイ言っている東のおっさんや福田のおっさんを見ていると、インドのカルカッタで裸足同然のサンダルで街を駆け回る車引きを思い出した。おっさんも車引きも、死ぬまでその仕事しか与えられることはないだろう

東のおっさんが木材を積むために、高さ二メートルはあるだろうコンテナをよじ登っている。すると足を滑らせ転落し、そのままアスファルトに腰を打ち付けた。思わず駆け寄り東のおっさんを休ませようとする。

「いいんや、邪魔するな!お前みたいな素人はあっち行け!」

たしかに私は残酷なことをしたと後で思った。この仕事を奪ってしまえば、東のおっさんの存在価値は本当に無くなってしまうのである。

 

気が遠くなるほど長かった飯場がついに今日で終わる。正直いって嬉しさしかない。名残惜しいなんてひとつも思わない。こんなところで一生暮らすなんて考えると人間辞めたくなってくる。きっと三ヶ月くらいで自殺すると思う。

東のおっさんなどは一体なんのために生きているというのか?「もうボケてるんだからほっとけよ」と周りには相手にされず、ひたすら廃材をトン袋に詰める日々。もちろん貯金もなければ家族もいない。飯場に戻ると缶ビールを三本ほど買い、独りで美味そうに飲んでいるが、そんな生活の何が楽しいというのか・・・。そんなことを考えながらバンに乗っていたところであることに気が付く。

「なんのために生きるのか?」と私たちはよく考えるが、別に何かのために生きなきゃいけないなんて一体誰が決めた?東のおっさんのように汗かいて疲れて飯食って酒飲んで寝る、ただ生きているという生活こそ本来の動物の姿である。

ただそんなことを言っても、やはり「社会の約に立たない人間には存在価値がない」という人間的な考えは根底にあり、自分はこんな生活こりごりだと思うしかないのであった。

 

お前ごときが他人の人生の価値なんてなぜ決められるのかと本当に胸糞が悪くなってくる

カントに殺されてくれ

 

そして本はこのような文章で締めくくられる

 

西成には、西成の男たちにしか見ることのできない境地というものがあるのだと、私は感じる。自分を捨ててしまうといった感情だ。自暴自棄といえばそれまでだが、彼らは自らのその”どうしようもない運命”を受け入れながら生きている。

一年半前、私が初めて見た西成という街の印象は”楽園”であった。たしかに行き場を失った人々にとっては紛れもない楽園かもしれない。しかし彼らにとってはそうでも、私にとっては違う。私にはまだ行かなくてはならない場所、やらなければいけないことが山ほどある。

 

深いため息をつく

去年の年末、京極夏彦の「厭な小説」という本を読んだ

それより厭な本であった 本当に厭な気分になった

 

抑えきれない自己顕示欲と、西成の人間への差別感情

そしてルポなんて大層なタイトルをつけながら、筆者がこんな人間性なので当然書くことが薄い

面白人間博覧会みたいな本になっており、そしてその人間をけちょんけちょんにする

これはフィクションであればそこそこ笑える本かもしれないが、残念ながら実在する人間なので笑えるわけがない

 

まあ、この本にも良い点はあり、西成の実態や生活保護受給者から金を中抜きする悪質ビジネス等について知ることができるのは学びになるかもしれない

しかし残念ながらその正の面を大きく凌駕する負の側面がある

散々書いたが、西成という街、そして生活困窮者への差別感情である

文中では生活保護受給者についても、「国民の税金で生かしてもらっている」等の否定的なことを書いている

アホな読者はこれを読むことでそのままあいりん地区居住者への差別感情や生活保護受給者への反感を持つのではないか

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この前の長崎出張にこの本持っていくべきだったな〜(諫早BTにて)

 

さてこの本、現在ネット上で割と高い評価を受けている

生活困窮者に対し、自分とは違う世界の住人だと一線を引き、その生活ぶりを面白おかしく書いた本が一般ウケされてしまうならこの国は終わり

どうしてなんの違和感もなくこの本が読めてしまうのか 俺が偽善者なのだろうか

こんな本をズラリと並べたジュンク堂も恥を知れと思ってしまう

 

この記事に用いた引用、当然その前後の文脈が抜け落ちているので、本当は違った意図があったのかもしれない(自分はわからなかったけど)

もし興味があるなら読んでみてもいいかもしれない

こんな感情になっているのはもしかしたら自分だけかもしれないし、なにかを読み飛ばしているかもしれないので

 

ただ、自分から誰かにこの本を貸すことはできません 5分後に捨てるので

 

引っ越してみてびっくりしたことでもあるけど、大阪って燃えるゴミと燃えないゴミの区分が曖昧なので、せっかくやし瓶の黒霧島と一緒にゴミに出してみようと思います