なおやんの 手記手記 しゅっき〜

なおやんの 手記手記 しゅっき~

痛みに耐えて よく頑張った

ブログタイトル

インプット=具材?

2/26(金)文章

パソコンの前におっちんする

おっちんするって言わん?言うよな

おっちんしたわけよ

 

おっちんして ブログを書こうと思った

しかしおっちんしたはいいものの、手が全く動かない

テーマは決まっているのに

頑張って書き出したはいいものの、すぐに手が止まる

読み返しても腐るほど面白くない(普段からおもんないけど)

 

どうしたものかと思ってふと考える

そういやインプットをしていなかった

最近あまり本を読めていなかった

 

おそらく月ごとにブログに投稿した記事数と読了本数を比較すると相関関係がある

それくらい、本を読まないとなにも書けない

実際に相関関係を調べてみようと思い読書メーターを見に行くも、月ごとに何冊読んだかのグラフは生成されないみたい

これすらできずによく読書記録サイトを名乗れているなと思う

これくらい図太いメンタルで生きていきたいものである

 

まあ肌感覚としておそらくそういう相関はあったはずなので、おっちんはやめて一旦せっちんをし、じゃぶじゃぶタイムへ

 

ちなみに赤ちゃんに赤ちゃん言葉を教えたところでまたちゃんとした日本語を教え直さないといけないので、使わないほうが良いとされてるみたい

そうは言ってもかわいい赤ん坊には自然と赤ちゃん言葉使っちゃうよね

机上の空論やめな〜

長渕剛のファンは赤ちゃんに対してもおしっこのことを「小便」と呼ぶらしい)

 

 

さて、お風呂へ

ひとり暮らしを始めると電気代とかガス代とかが気になっちゃうもので、お風呂にお湯を貯めるのは極力控えとこうと思っていた

しかし、そういや実家じゃ家族の順番待ちもあって長風呂できなかったな〜と思うと、お湯を貯めてアホみたいに長風呂するのはひとり暮らしの特権ではないか?と、これまた思えてきた

故、最近はお湯を貯めている そしてここに本を持ち込む

これ以上の至福の時間はない

 

今日のお風呂のお供は、先週くらいから読み始めた、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル 

 

不思議な世界観の本で、読み始めると止まらないほどの惹きつけ感はないものの、チビチビと読める本であった

残り100ページくらいだったので、風呂の中で読み切るのは難しいかな〜なんて思いながらそろりと読み始めたけれども、最後の最後に出てくる新キャラ「間宮中尉」の語りが凄まじかった

この本では登場人物が自分語りをするシーンが割とあるんやけれども、どのエピソードもめちゃくちゃで、最後にこの間宮中尉が大爆弾を投げつけてくる

時間も忘れるほど急激に惹き込まれ、結局100ページ超を読み終えてしまったところで気がつけば水温は35度

全身が気泡に包まれて大分の長湯温泉みたいになっていた

風呂を出て目に入った時計に、1時間以上入浴していたことを知らされた

 

2/27(土)音楽

高校時代の吹奏楽部の先輩で、高校卒業後音楽学校へ行き、現在ジャズミュージシャンをやっている人がいる

楽器はコントラバス

高2のときにその先輩に「これがジャコパストリアスや」と初めてジャコの曲(おそらくジャコパストリアスの肖像のどれか)を聴かされたけど高2の俺にはなんのこっちゃだった記憶がある

そして今改めてジャコパストリアスなんかを聴くと、高校時代にあの人はこの音楽に浸かってたんやなぁなんて畏敬の念を抱いてしまう

 

その先輩がライブに誘ってくださったので行かせてもらうことに

引っ越して時間ができたことで少し音楽の勉強をしようと思い、この間その先輩の家でコード理論について基礎的なことを学ばせてもらったので、音楽の勉強としても絶好の場だなと思い

 

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谷9のジャズライブハウス

地下鉄の出口までの通路にこんなところがあったなんて

 

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近くにはオツ看板


ちなみに全然関係ないけど谷町筋の好きなところは

谷町○丁目の○の部分を算用数字で書いても違和感がないところ

 

谷4 谷6 谷9

 

かわいい

 

その日の気分によって 谷四 谷六 とか、ちゃんと漢数字にしてみたり

 

蒲4 とかも一応巷では使われてるけども、全然ダメ

蒲と4が分離してる 一体感が全くない

谷9の”9”なんか”谷”のことが好きすぎてそのまま左に寄り掛かりそうに見える 見えない?

 

そしてライブが始まった

緊急事態宣言の発出によりビルボードライブで観る予定だったライブも2つなくなり、もう久しく生で音楽を聴いていなかったところなので、生の音楽を聴いているという行為にまず幸福を覚える

ジャズというのは正直イヤホンで聴く分にはなんのこっちゃであんまり普段から聴くものではないけれども、生で聴くとめちゃくちゃ面白い

そんな幸福な音楽を浴びていると、俄然音楽がしたくなってくる

目の前のプレイヤーの方々がカッコ良すぎるし、自分も「あちら側」に行きたくなってしまう

 

そんなこんなでライブはあっという間に終わり、余韻を残しつつ帰路へ

 

インプットの効果

さて今すらすらと文章を書いている 書けている

これは風呂で読んだ村上春樹のおかげである

 

ここで考えたい

この記事をアウトプットとする

例として調理済みの「料理」だと考える

そうしたとき、果たしてインプットはただの「具材」なのかということ

 

本を読まないと文章が書けない

これは、本を読んで日本語をインプットしないと、アウトプットとして文章が書けないということなのだろうか

当然そういう側面もあると思う 整った日本語に触れた直後はその影響も受けるはず

しかし、本など読まなくてもきちんと義務教育を受けさせてもらった人間であるので、日本語くらい書ける

つまり記事も書けるのである

 

ではどうして本を読まないと記事が書けないのか

アウトプットを肉じゃがとしたとき、インプットとして肉やジャガイモなどの「具材」だけをかき集めて肉じゃがが完成するだろうか

そこには生肉とカチカチのジャガイモが転がっているだけである(生肉が牛肉を指すのか豚肉を指すのかは別の議論)

 

 

インプットが果たす他の役割、それは「着火」ではないか

 

その着火方法は色々ある

村上春樹の文章や、高校の先輩の音楽から着火へと結びつく元の感情は、「羨望」が大きいだろうし、「嫉妬」なんてものも少し含まれているかもしれない

あまり良くない着火方法かもしれないけれども、これが仮に酷い文章(ルポ西成のような)を読んだとしたら、「俺の方がマシなんじゃないか?勝てるのでは??」なんていう「優越感」や、これまた「嫉妬」(なんでこんな文章が持て囃されるのか?俺のほうがマシでは?)が着火の原動力になるかもしれない

 

 

と、そんなことを考えた昨日と今日

別に深く考えなくても思いつくことではあるんやけれども、実体験として落とし込めたので

 

加えて、インプットにおける「着火」という面を引き出すためには、対象の物事に対して能動的に接し、”客席”から”ステージ”へと上がる覚悟がいるのだと思う

 

ずっと客席から音楽を聞いているだけでいいや と思うと、ただの具材集めで終わってしまうのかもしれない