阿波踊りの真正性とは
阿波おどりが終わってしまった
なにかひとつのことに打ち込んで燃え尽きるなんてことは長いこと経験していないような気がする
それも、練習が面倒だなとか一切思わず、純度100%のハピネスのまま駆け抜けたことなんて記憶にないかもしれない
みうらじゅんが「趣味は突き詰めると”癖”になる」と言っていたが、まさに阿波踊りは「癖」となっており、時間さえあれば手と足が二拍子を刻んでいた

7月から週に1〜2回徳島に通い、2時間練習
練習終わりすぐに特急うずしおに乗り込み高松へ
体は火照ったままで、汗は板野あたりまでずっと引かない
高松駅から家までは軽快なステップを刻み、家の玄関を開けると手も添えて阿波踊り練習第二部がスタート
そのまま1時間ほどルンバのように家のなかを行ったり来たり、本当にそんな狂った日常を過ごしていた
さて、練習の際に私が口酸っぱく言われていたのが「腰を動かすな」であった
軽快なリズムに反応して、どうしてもゆっさゆっさと腰が上下してしまうのである(結局本番まで直らなかった・・・)
腰の位置を低くし、動かさず静かに踊る、これは阿波踊りにおいて「正調」と呼ばれている

有名連でいうと「娯茶平」は正調まっしぐらといったところである
軽快に踊りたい反面、正調で踊りなさいという抑圧を受けることとなり、ここで自分の中に【見る/見られる】の関係が生じることとなった
そもそも企業連というのはどういう立ち位置なのだろうか
前回の記事でも触れたが、4年ほど前にお茶の水女子大学の教授である中村まい氏の講座を受けることができ、そこで企業連について研究している旨をおっしゃっていたのを思い出し、中村氏の論文を見てみることに
阿波踊りにみられる企業連の多様な参与実態とそれを支える要因
―三原やっさ踊りとの比較を通じて―中村 まい
https://www.jstage.jst.go.jp/article/hikakubuyou/29/0/29_25/_pdf
これを見ると企業連でも熱の入り具合が全然違うことがわかり面白く、E社に対してはなめるなよと声を荒らげたくなってしまう
ウチも週に1回程度の練習で少ない方かと思っていたが、そうではなく熱心な方なのかもしれない
当日まで一度も練習せず、本番は取引先の人間を踊らせるような企業にとって、阿波踊りというのは「手段」でしかない
この祭りを踏み台にして自社内や取引先との関係を円滑にしようという目論見だろうか
一方のA社はオーディションまで行う真剣さである
これはもう阿波踊りが「目的」となっているのではないか
そう、阿波踊りは目的でなければならないのだ
そこに埋没して、沈んでいかなければならない
もちろん、盆踊りというのは先祖供養のための手段に過ぎないのかもしれないが、そこにきちんと巻き込まれると一瞬かもしれないが「目的」となるのである
この論文は練習終わりの特急うずしおの中で読んだので、不真面目な企業連に憤ってしまっていたのだが、ふと冷静に考えるとそこには【見る/見られる】の図式が当然のように横たわっているのである
「踊りは”見られる”ものであるのでそれにふさわしいものでなくてはならない」
といった、カチカチの考えに支配されている自分に気付き、首をひねる
自分の頭では大したことを考えられないので、それからは練習の行き帰りの列車内で面白そうな論文を読むこととした
最も参考になったのは以下の藤本氏の論文である
現代における盆踊りの再検討-鶴見俊輔による 「限界芸術論」 概念を通じて
藤本 愛
↑なぜかPCでPDFを開けないのでスマホで開くしかない
ここでは、鶴見の「限界芸術論」を用いて、盆踊りを分類分けしている
この三分類は頭の中のもやもやに補助線が引かれたような、そんな明瞭さを有しており、今後も折に触れて活用できそうなものであった
ここで,本論文のベースとなってゆく『限界芸術論』の基礎概念,「純粋芸術」「大衆芸術」「限界芸術」について振り返っておく。まず,1「純粋芸術」(Pure Art):今日の用語法で「芸術」とよばれている作品で,専門的芸術家によってつくられ,それぞれの専門種目の作品の系列にたいして親しみをもつ専門的享受者をもつ。次に2「大衆芸術」(Popular Art):純粋芸術にくらべると俗悪なもの,非芸術的なもの,ニセモノ芸術と考えられている作品で,専門的芸術家によってつくられはするが,製作過程はむしろ企業家と専門的芸術家の合作の形をとり,その享受者としては大衆をもつ。そして3「限界芸術」(Marginal Art):両者よりもさらに広大な領域で芸術と生活との境界線にあたる作品で,非専門的芸術家によってつくられ,非専門的享受者によって享受される,というものである。これらを表にまとめると以下の表 1 のようになる。


ここで阿波おどりは表2(鶴見本人が作成)で下線が入っているように「限界芸術」に位置づけられている
しかし本当にそうだろうか?と筆者は問いかける
三分類については、大変ありがたいことに既存の祭りを分類してくれておりすごくわかりやすい
まず限界芸術については「十津川盆踊り」が挙げられている
奈良県の最南端である吉野郡十津川村には,武蔵地区と呼ばれる地域に昔ながらの盆踊りが残っている。民俗学の研究者らには有名なもので,鶴見のいう「モノズキな人,趣味人だけの関心のマト」にもなっているものの,交通アクセスの悪さゆえ,あまり観光客が多く寄り付くということもなく,地元のコミュニティによって伝承し続けられている。この盆踊りは図 2 のように輪踊り形式のため,パレード型盆踊りのような事前登録は不要であり,踊りの輪に参加できさえすれば,誰でも自由に参加することが可能である。
つまり限界芸術としての盆踊りは,参加度が高く,誰でも事前登録なく参加ができること,踊り手と観客,すなわち見る/見られるの垣根がほぼないと言えるものであるといえる。
※下線はアタシが追記
そして大衆芸術として「よさこい祭り」
高知市よさこい祭り公式 web site によると,高知市でのよさこい祭りは,まず 150 人以上の連と呼ばれるグループを組織して,パレード形式で演舞を行うものである。また音楽や踊りについても規定があるため,曲のアレンジや踊りの振り付けなどを行うのは全くの素人には困難な作業である。例えば音楽には右図 3 のような規定が課せられている。そのためよさこい祭りで使用する楽曲をアレンジする業者は,今やインターネット上でも数多く見つけられるようになっている。
では同じくパレード型盆踊りである阿波踊りはどうであろうか。阿波踊りはかつて鶴見が「芸術の体系」において「限界芸術」であると位置付けたものである。阿波踊りの音楽は前述のようにアレンジ業者が関わっているわけではなく,連としての参加登録をしていなくとも「にわか連」として当日飛び入りで参加することが可能であり,比較的限界芸術の要素を残したパレード型盆踊りと言えるだろう。しかしながら桟敷席が年々拡大し,旅行代理店での阿波踊り観光ツアーも早々に売り切れてしまうという状況は,大衆を享受者として,旅行業者や企業らが製作する盆踊りであると言えよう。
大変不本意なことに、ここに阿波おどりも片足を突っ込んでいることがわかる
確かに「見せる踊り」が先行しすぎて競技化している部分も否めない
この前”マツコの知らない世界”の阿波踊り特集にて、「シンクロ率」や「一糸乱れぬ」といった表現で阿波踊りが褒められていたが、それらは大衆を排除する表現であってあまり心地のよいものではなかった
ただそれでも、言及のあるような「にわか連」など、誰しもに開かれた部分は残されており、限界芸術と大衆芸術の中間に位置しているようなところだろうか
最後に純粋芸術として「西馬音内盆踊り」が
「専門的芸術家によってつくられ,専門的享受者をもつ」ものとしてここで挙げておきたいものは,保存会などで正調の踊り,歌などを設定し,それを伝統として守ってゆこうとするものである。その一例として,秋田の西馬音内盆踊りを例示する。秋田の西馬音内盆踊りが行われる羽後町観光物産協会の web サイトには,このように記載がある。「昭和十年(1935)の東京での始めての公演をきっかけにして形式が整えられ,五十六年には,高い芸術性を有する民俗芸能として国の重要無形民俗文化財に指定されました。 伝統の技はしっかりと受け継がれ,磨き上げられ,新たな歴史を刻んでいます。」
ここで言われる「東京での始めての公演」とは,第 9 回全国郷土舞踊民謡大会」のことである。その後は保存会が結成されたり無形文化財として指定されたりと,伝統文化としての様相が増していったようである。
たまに、こういう進化の仕方をしている伝統芸能に対して硬直的だの衰退するだのいう人間がいるが、自分はこういった方針も素晴らしいものであり尊重されなければならないと思う
黒石寺の蘇民祭が担い手不足などで消滅の危機にあった際、「よそ者を入れるくらいなら・・・」と潔く祭り自体終わらせてしまったのは、美しい決断だったと思う
さてこの三分類に照らし合わせてみると、阿波おどりというのは微妙な位置におり、どこを目指すべきかという明確な答えはないものの、個人的にはやはり限界芸術に向かうべき(鶴見の分類からいえば”戻す”という表現になるか)だと感じた
そうなると色々と自分の中でも葛藤が生まれることとなる
上手く見せたいが、その”上手く見せたい”という目論見が、長い目で見ると逆説的に大衆を遠ざけるのではないか

ここで先ほどの表1の分類に戻ると、大衆芸術の享受者は「大衆」、限界芸術の享受者は「非専門的享受者」となっている
この違いはなんだろうか
大衆は観客とも言い換えられそうである
踊り手とは線引きをされ、一歩引いた存在となる
一方で非専門的享受者は、これも大衆には違いないが線の内側にいそうだ
こういう解釈が正しいかどうかはわからないが、非専門的享受者を「住民」と言い換えると単純明快になる
阿波おどりは「徳島市民」や「徳島県民」に開かれなくてはならない
そうなると先ほどの【見る/見られる】の葛藤に悩む必要がなくなる
私は徳島市で生まれた徳島市民であり、見るも見られるも、上手いも下手も関係なく、自分が楽しければそれで限界芸術としての阿波おどりは成り立つからだ
例えば私が徳島県に縁もゆかりもない人間だったらどうしていただろうか
あえて下手な踊りを見せて、阿波おどりを大衆に開く役割に徹しただろうか
そもそも上手い下手というのも長年阿波おどりに参加してきた中で刷り込まれてきた「多分これが上手いということだろう」という認知にすぎない
ちょうどこの前40年前の阿波おどりの映像をNHKで見たのだが、現在のアワオドラー目線からすると明らかに”下手”なのである
しかしあの生き生きとした表情と、老若男女がふらっと踊りに混ざるあの市民主体の華々しさというのは見ていて自然と笑顔になるような美しい光景であった
つまり、阿波おどりを開けっ広げに大衆へ開放すればなんでもよいかというとそういうわけではなく、そこには主体となる市民が太い軸としてそびえていなければならない
市民不在の踊りや祭りは、もみくちゃになりながら結局全てコモディティ化され、都市型盆踊りのようなくだらない真ん丸な形に収束するのがオチである
余談であるが、30歳前後で祭りというものに興味を持つきっかけになったのが能代の天空の不夜城であった
巨大灯籠の迫力以上に印象的であったのが、灯籠を引き連れる地元の中学生の姿であった
この祭りにおいては、灯籠を引きながら囃子を演奏する役割を地元の中学生が担っており、彼ら彼女らがあまりに楽しそうに演奏し、そして踊っているのである

地元の高校生なら他の地域の子どもも混ざるが、中学生となるとほぼ完全に能代の血で構成されており、地元の活力がそのまま具現化されたような景色に圧倒されてしまった
驚きと、そして心底の羨望、嫉妬
なぜ私は能代で生を授からなかったのかと本気で思った
やはり「地元」である
祭りは地域のものであり、地域に開かれなければならない
まず我々のいちばん気遣っている弊害は、踊りは見せるもの、単に褒められるために踊るものと解せられて、せっかくの農村の自由な楽しみが、次第に職業の苦しみに変化して行くことである。能でも芝居でもその他の近世の舞踊でも、起原を尋ねてみれば、ことごとく素人芸であった。それがあまりに多勢から感心せられた結果、始終頼まれては演じているうちに、ほかの仕事に携わる余裕がなくなり、こればかりで生計を立てる必要上、収入を要求するようになると、勢い自分たちの面白くない時にも、なお空々しく踊らねばならぬ境遇になったのである
ー柳田國男「郷土舞踊の意義」
ちなみに以下の論文もめちゃくちゃ面白い
民俗芸能における真正性と伝承方法に対する一考察
―「おわら風の盆」のフォークロリズム的解釈を通じて―田邊 元
https://researchmap.jp/gengen719/published_papers/15952715/attachment_file.pdf
ここでは、地元が中心となり、変化も受け入れながら継承していこうとする「保存会」と、地域外の人間も参加しつつ本来の型を厳格に守る「道場」が二項対立で描かれている
つまり、真正性を「地域」に置くか「踊りの型」に置くかということになる
これはめちゃくちゃ興味深い議論であり、阿波踊りも「阿波おどり」と平仮名で表記される「徳島市で開催される阿波踊りイベント」はこれからも徳島市民、徳島県民のものであろうが、「阿波踊り」は日本各地で踊られ、そのうち徳島県民の手から離れてしまいそうな感じすらある
将来人口減少が進み、徳島県民が200人とかになったとして、阿波踊りが徳島県民以外の人間によって厳格に踊り続けられていたとしても、そんなことに意味はあるのだろうか
真正性はやはり”地域”に宿るのであり、阿波踊りは安徳天皇として徳島県とともに沈む運命なのである
地域性に価値を見出さなければ、阿波踊りもエイサーもなんでもかんでも大都市に吸い取られてしまい、それっぽい再生産がなされるだけ
↓松田聖子の再生産の話
本番
準備
前置きが長くなりすぎたが、いざ本番の日
昼過ぎに集合となっていて、夜まで練習でもするのか?と思っていたらひたすらお酒を飲む時間であった
祭りという場では、お酒を飲むなりしてある程度自我を揺らがせないと、魂が上のほうまで上がってこないのだと思う
しかし阿波踊りの法被に着替えるととてもトイレがしにくい
なんか色々締め付けられているせいでズボンのチャックが男根より上に来るのだ
こうなると排水溝のように、小便が変に溜まる場所が発生して、あとから波が押し寄せ悲惨なことになる

そんな事情もあり、あまりお酒は飲めなかった
徳島駅
踊りは無料演舞場で行うのだが、演舞場に行く前に、ホテルのロビー、駅のホーム、駅ビルの中でも踊りを披露する
割と狭いところで踊るので全員が参加できるわけではなく、選抜メンバーで踊ることとなるのだが、選抜メンバーの名前が受付場所に張り出されていて、中学の野球部依頼に「背番号をもらえるかしら」というドキドキを味わうこととなった
無事に選抜メンバーに選ばれ、最初は駅横のホテルへ向かう
外はうだるような暑さの徳島であるが、ホテルのロビーへ一歩入るとひんやりした空気と白々しい上品な雰囲気に五感が満たされる 心地よい
しかし突然けたたましい鐘の音とともに現れるガニマタの男たち
気がつくとホテルの内線スピーカーは囃子のベテランおばあちゃんが占拠している
初めておばあちゃんの歌っている声を聴いたが頭がクラクラしてくるような見事さで、踊りながらホテルの客と同じ気分の、なにか客観的な幸福を感じていた
ロビーを一周して再び外の熱気に包まれたときには、ブルジョワを打倒して帰ってきたような、そんな爽快さがあった
駅で踊るのも意味不明であった 普通に通行の邪魔である
しかし我々の使命は日常をぶち壊すことであって、通路が通りにくくとも、楽器隊の爆音で駅の案内放送が聞こえずともかまわない
むしろこちら側に全ての答えがあるのであり、列車の種別も行き先も、阿波踊りの中から見出すことができるのだ
その後は駅ビルの中を行進
皆がビビって逃げていくのはクレヨンしんちゃん嵐を呼ぶジャングルのケツだけ歩きのシーンのようであった
演舞場にて
有料の桟敷席で踊るわけではなく、無料の演舞場で毎年踊るそう
ちなみに無料の演舞場は抽選で振り分けられるそうだ
自分が参加した日は両国本町と新町橋東の二箇所
まばゆいライトに照らされて踊るのはナイターの甲子園で野球をするようなもので、嫌でも浮足立ってしまい、あとから動画を見返すと文字通りもうウキウキ下半身で腰がブレブレであり、ひどい踊りであった
初めてナイターの甲子園で打席に立つ球児も、ウキウキ下半身でボールがブレるのだろうか
踊りの時間は当然演舞場の長さにも左右され、新町橋東はあっという間に終わった反面、両国本町は長すぎて死ぬかと思った
初めて「阿波踊り早く終わってくれ」と願ってしまった もう腕が上がらない
それでも男踊りはなんとでもごまかして踊りきれるが、女踊りのキツさといったらもう本当に尊敬するしかない
対決
最後にまた駅前で踊るのであるが、これは完全に身内での個人競技といったところで、連長が指名した複数人が輪の中心で踊るというもの
自分はたまたま隣にいたおじさんと2人で踊ることとなったのだが、この日初めてお会いしたこの方にボコボコにされることとなった
このおじさんに限らず、本番になって急に現れるOB・OGの方が結構いて、やはりベテランだけあって独特のうまさがあるのだ
練習段階では自分のことを天下のアワオドラーだと自負して調子に乗っていた自分も、本番当日にふらふらと現れた年配の方々の熟練の踊りに完全に目を奪われてしまっていた
2人で踊れと指名され、まず若い自分が輪の中心に勢いよく飛び込む
テンポは少し早くなっており、細かい2拍子に合わせて足を上げる
ヒヨッコのくせにそこそこ上手く踊れていると調子に乗っていた自分は完全に周りが見えていなかった
ふと振り返ると、おじさんが目に入った
おじさんは、酔拳のごとき妙技を披露していた
その瞬間頭が真っ白になった
完全に”拍”が合っていなかった
家族や親戚もその光景を見ていたのだが、家族がのんきに喜んで見ている中、オーケストラ経験者の叔母さんだけが息を呑んで見守っていたそう
あとで聞くと、自分と全く同じことを感じていたようで「2拍子のあなたと4拍子のおじさんが拍のズレをどう修正するのかヒヤヒヤしながら見ていた」と
そう、ベテランはときたま阿波踊りを4拍子で捉えるのだ
明らかな拍子のズレを感じた自分は急に足がこんがらがり、もうめちゃくちゃ
なんとか立て直して最後は少しだけ4拍子に合わせ、大きな動きを意識して踊り終えたが、もうボコボコにやられてしまった
しかしなんという気持ちよさだろうか
曙太郎のKO負けのような、華々しい失神である

ペアで踊り、そしてリアルタイムで起きていることに全く対応できず打ちのめされてしまったという体験
なかなか阿波踊り1年目でできるものではない 本当に恵まれている
もう心得た 完全にわかった
阿波踊りとは「ジャムセッション」である
アンプラグドな楽器隊に、厳密ではない踊り作法
この自由な要素によって表現の幅は無尽蔵に広がり、そしてそれは人と人との突き合わせで更に複雑なものとなるのだ
本当にこれは阿波踊り原体験としていつまでも体内に残り続けるのだろうと思う
アイデンティティ
この2ヶ月程度の阿波踊り体験は、単純に好奇心を満たすという意味合いだけでなく、自己のアイデンティティを発見する旅でもあった
▼いとこと私 昔は連と連の間にフラッと飛び込めた

今年阿波おどりに参加するからと、徳島帰省に伴い何度も親戚や家族の前で踊らされる羽目になった
老人ホームにて祖母の前で踊ったときは、祖母のにこやかな顔が急に真剣になり、なにやら感慨深い目をしていた
吸い込まれそうな目だった
ああ 祖母に見せるために2ヶ月アホみたいに踊り続けていたのだとこのとき悟った
阿波踊りは地域のためであり、連のためであり、そしてなにより家族のために踊るものであった
家族親戚から阿波踊りレクチャーもせがまれ、みんなで踊っているうち、いつの間にか仏壇の前で輪踊りになっていた
これこそ阿波踊りの原初的姿である先祖供養の盆踊りなのだろう
毎年定番にすることにした
にわか連
最後の最後に愚痴になるが、本番に出た次の日は普通に客として阿波おどりへ行き、にわか連に参加しようとした

配られたうちわ、そしてレクチャータイムでの掛け声を聞いて絶句した
「にわかだ にわかだ」に呼応する掛け声は、「やっと やっと やっと やっと」であったのだが、今年から「Canva Canva Canva Canva」になっていた 終わり 終わりです
SNSを見ても誰も文句を言っていなかったのだが、これは本当に由々しき事態であって、「にわか連にスポンサーがついた結果、昔からの掛け声が企業名に差し替わった」なんてディストピアのような話が現実になっているのだ
あまりに気持ちが悪いのでにわか連から逃げ出して新町橋よいよい囃子にて安住の地を得たのだが、今でもむかむかとした気持ちがある
にわか連というのは、前述の鶴見で分類では「非専門的享受者」にも開かれた連であって、ここでは開かれているこそ最低限の決まりを知って帰ってもらわなければならない
ここで学んだ人間が地元に帰り阿波踊り連を立ち上げたとして、掛け声を「Canva Canva Canva Canva」にしてしまう可能性も0とはいえない
にわか連には絶対にスポンサーをつけてはいけないし、それでもつけるというのなら俺が「㈱YATTO」を立ち上げるしかない はぁ

素晴らしかった阿波踊りにて、にわか連だけガッカリポイントでした
来年はもう大阪に帰ってしまうけれども、連長からは来年もふらっと参加していいよと言われたので、なんやかんや来年以降も踊り続けるかもしれない






















