なおやんの 手記手記 しゅっき〜

なおやんの 手記手記 しゅっき~

痛みに耐えて よく頑張った

ブログタイトル

うれしはずかし阿波踊り

阿波踊りの真正性とは

阿波おどりが終わってしまった

なにかひとつのことに打ち込んで燃え尽きるなんてことは長いこと経験していないような気がする

それも、練習が面倒だなとか一切思わず、純度100%のハピネスのまま駆け抜けたことなんて記憶にないかもしれない

みうらじゅんが「趣味は突き詰めると”癖”になる」と言っていたが、まさに阿波踊りは「癖」となっており、時間さえあれば手と足が二拍子を刻んでいた

 

 

7月から週に1〜2回徳島に通い、2時間練習

練習終わりすぐに特急うずしおに乗り込み高松へ

体は火照ったままで、汗は板野あたりまでずっと引かない

高松駅から家までは軽快なステップを刻み、家の玄関を開けると手も添えて阿波踊り練習第二部がスタート

そのまま1時間ほどルンバのように家のなかを行ったり来たり、本当にそんな狂った日常を過ごしていた

 

さて、練習の際に私が口酸っぱく言われていたのが「腰を動かすな」であった

軽快なリズムに反応して、どうしてもゆっさゆっさと腰が上下してしまうのである(結局本番まで直らなかった・・・)

腰の位置を低くし、動かさず静かに踊る、これは阿波踊りにおいて「正調」と呼ばれている

 

 

有名連でいうと「娯茶平」は正調まっしぐらといったところである

 


www.youtube.com

 

 

軽快に踊りたい反面、正調で踊りなさいという抑圧を受けることとなり、ここで自分の中に【見る/見られる】の関係が生じることとなった

 

そもそも企業連というのはどういう立ち位置なのだろうか

前回の記事でも触れたが、4年ほど前にお茶の水女子大学の教授である中村まい氏の講座を受けることができ、そこで企業連について研究している旨をおっしゃっていたのを思い出し、中村氏の論文を見てみることに

 

阿波踊りにみられる企業連の多様な参与実態とそれを支える要因
―三原やっさ踊りとの比較を通じて―

中村 まい

https://www.jstage.jst.go.jp/article/hikakubuyou/29/0/29_25/_pdf

 

 

これを見ると企業連でも熱の入り具合が全然違うことがわかり面白く、E社に対してはなめるなよと声を荒らげたくなってしまう

ウチも週に1回程度の練習で少ない方かと思っていたが、そうではなく熱心な方なのかもしれない

 

当日まで一度も練習せず、本番は取引先の人間を踊らせるような企業にとって、阿波踊りというのは「手段」でしかない

この祭りを踏み台にして自社内や取引先との関係を円滑にしようという目論見だろうか

一方のA社はオーディションまで行う真剣さである

これはもう阿波踊りが「目的」となっているのではないか

 

そう、阿波踊りは目的でなければならないのだ

そこに埋没して、沈んでいかなければならない

もちろん、盆踊りというのは先祖供養のための手段に過ぎないのかもしれないが、そこにきちんと巻き込まれると一瞬かもしれないが「目的」となるのである

 

この論文は練習終わりの特急うずしおの中で読んだので、不真面目な企業連に憤ってしまっていたのだが、ふと冷静に考えるとそこには【見る/見られる】の図式が当然のように横たわっているのである

「踊りは”見られる”ものであるのでそれにふさわしいものでなくてはならない」

といった、カチカチの考えに支配されている自分に気付き、首をひねる

 

自分の頭では大したことを考えられないので、それからは練習の行き帰りの列車内で面白そうな論文を読むこととした

最も参考になったのは以下の藤本氏の論文である

 

現代における盆踊りの再検討-鶴見俊輔による 「限界芸術論」 概念を通じて

藤本 愛

https://scholar.google.com/scholar?hl=ja&as_sdt=0%2C5&q=%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E7%9B%86%E8%B8%8A%E3%82%8A%E3%81%AE%E5%86%8D%E6%A4%9C%E8%A8%8E+%E2%80%95%E9%B6%B4%E8%A6%8B%E4%BF%8A%E8%BC%94%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%80%8C%E9%99%90%E7%95%8C%E8%8A%B8%E8%A1%93%E8%AB%96%E3%80%8D%E6%A6%82%E5%BF%B5%E3%82%92%E9%80%9A%E3%81%98%E3%81%A6%E2%80%95&btnG=

 

 

↑なぜかPCでPDFを開けないのでスマホで開くしかない

 

ここでは、鶴見の「限界芸術論」を用いて、盆踊りを分類分けしている

この三分類は頭の中のもやもやに補助線が引かれたような、そんな明瞭さを有しており、今後も折に触れて活用できそうなものであった

 

ここで,本論文のベースとなってゆく『限界芸術論』の基礎概念,「純粋芸術」「大衆芸術」「限界芸術」について振り返っておく。まず,1「純粋芸術」(Pure Art):今日の用語法で「芸術」とよばれている作品で,専門的芸術家によってつくられ,それぞれの専門種目の作品の系列にたいして親しみをもつ専門的享受者をもつ。次に2「大衆芸術」(Popular Art):純粋芸術にくらべると俗悪なもの,非芸術的なもの,ニセモノ芸術と考えられている作品で,専門的芸術家によってつくられはするが,製作過程はむしろ企業家と専門的芸術家の合作の形をとり,その享受者としては大衆をもつ。そして3「限界芸術」(Marginal Art):両者よりもさらに広大な領域で芸術と生活との境界線にあたる作品で,非専門的芸術家によってつくられ,非専門的享受者によって享受される,というものである。これらを表にまとめると以下の表 1 のようになる。

 

ここで阿波おどりは表2(鶴見本人が作成)で下線が入っているように「限界芸術」に位置づけられている

しかし本当にそうだろうか?と筆者は問いかける

 

三分類については、大変ありがたいことに既存の祭りを分類してくれておりすごくわかりやすい

まず限界芸術については「十津川盆踊り」が挙げられている

 

奈良県の最南端である吉野郡十津川村には,武蔵地区と呼ばれる地域に昔ながらの盆踊りが残っている。民俗学の研究者らには有名なもので,鶴見のいう「モノズキな人,趣味人だけの関心のマト」にもなっているものの,交通アクセスの悪さゆえ,あまり観光客が多く寄り付くということもなく,地元のコミュニティによって伝承し続けられている。この盆踊りは図 2 のように輪踊り形式のため,パレード型盆踊りのような事前登録は不要であり,踊りの輪に参加できさえすれば,誰でも自由に参加することが可能である。
つまり限界芸術としての盆踊りは,参加度が高く,誰でも事前登録なく参加ができること,踊り手と観客,すなわち見る/見られるの垣根がほぼないと言えるものであるといえる。

※下線はアタシが追記

 

 

そして大衆芸術として「よさこい祭り」

 

高知市よさこい祭り公式 web site によると,高知市でのよさこい祭りは,まず 150 人以上の連と呼ばれるグループを組織して,パレード形式で演舞を行うものである。また音楽や踊りについても規定があるため,曲のアレンジや踊りの振り付けなどを行うのは全くの素人には困難な作業である。例えば音楽には右図 3 のような規定が課せられている。そのためよさこい祭りで使用する楽曲をアレンジする業者は,今やインターネット上でも数多く見つけられるようになっている。
では同じくパレード型盆踊りである阿波踊りはどうであろうか。阿波踊りはかつて鶴見が「芸術の体系」において「限界芸術」であると位置付けたものである。阿波踊りの音楽は前述のようにアレンジ業者が関わっているわけではなく,連としての参加登録をしていなくとも「にわか連」として当日飛び入りで参加することが可能であり,比較的限界芸術の要素を残したパレード型盆踊りと言えるだろう。しかしながら桟敷席が年々拡大し,旅行代理店での阿波踊り観光ツアーも早々に売り切れてしまうという状況は,大衆を享受者として,旅行業者や企業らが製作する盆踊りであると言えよう。

 

大変不本意なことに、ここに阿波おどりも片足を突っ込んでいることがわかる

確かに「見せる踊り」が先行しすぎて競技化している部分も否めない

この前”マツコの知らない世界”の阿波踊り特集にて、「シンクロ率」や「一糸乱れぬ」といった表現で阿波踊りが褒められていたが、それらは大衆を排除する表現であってあまり心地のよいものではなかった

 

ただそれでも、言及のあるような「にわか連」など、誰しもに開かれた部分は残されており、限界芸術と大衆芸術の中間に位置しているようなところだろうか

 

 

最後に純粋芸術として「西馬音内盆踊り」が

 

「専門的芸術家によってつくられ,専門的享受者をもつ」ものとしてここで挙げておきたいものは,保存会などで正調の踊り,歌などを設定し,それを伝統として守ってゆこうとするものである。その一例として,秋田の西馬音内盆踊りを例示する。秋田の西馬音内盆踊りが行われる羽後町観光物産協会の web サイトには,このように記載がある。「昭和十年(1935)の東京での始めての公演をきっかけにして形式が整えられ,五十六年には,高い芸術性を有する民俗芸能として国の重要無形民俗文化財に指定されました。 伝統の技はしっかりと受け継がれ,磨き上げられ,新たな歴史を刻んでいます。」

ここで言われる「東京での始めての公演」とは,第 9 回全国郷土舞踊民謡大会」のことである。その後は保存会が結成されたり無形文化財として指定されたりと,伝統文化としての様相が増していったようである。

 

たまに、こういう進化の仕方をしている伝統芸能に対して硬直的だの衰退するだのいう人間がいるが、自分はこういった方針も素晴らしいものであり尊重されなければならないと思う

黒石寺の蘇民祭が担い手不足などで消滅の危機にあった際、「よそ者を入れるくらいなら・・・」と潔く祭り自体終わらせてしまったのは、美しい決断だったと思う

 

さてこの三分類に照らし合わせてみると、阿波おどりというのは微妙な位置におり、どこを目指すべきかという明確な答えはないものの、個人的にはやはり限界芸術に向かうべき(鶴見の分類からいえば”戻す”という表現になるか)だと感じた

 

そうなると色々と自分の中でも葛藤が生まれることとなる

上手く見せたいが、その”上手く見せたい”という目論見が、長い目で見ると逆説的に大衆を遠ざけるのではないか

 

 

ここで先ほどの表1の分類に戻ると、大衆芸術の享受者は「大衆」、限界芸術の享受者は「非専門的享受者」となっている

この違いはなんだろうか

大衆は観客とも言い換えられそうである

踊り手とは線引きをされ、一歩引いた存在となる

一方で非専門的享受者は、これも大衆には違いないが線の内側にいそうだ

 

こういう解釈が正しいかどうかはわからないが、非専門的享受者を「住民」と言い換えると単純明快になる

阿波おどりは「徳島市民」や「徳島県民」に開かれなくてはならない

 

そうなると先ほどの【見る/見られる】の葛藤に悩む必要がなくなる

私は徳島市で生まれた徳島市民であり、見るも見られるも、上手いも下手も関係なく、自分が楽しければそれで限界芸術としての阿波おどりは成り立つからだ

 

例えば私が徳島県に縁もゆかりもない人間だったらどうしていただろうか

あえて下手な踊りを見せて、阿波おどりを大衆に開く役割に徹しただろうか

 

そもそも上手い下手というのも長年阿波おどりに参加してきた中で刷り込まれてきた「多分これが上手いということだろう」という認知にすぎない

ちょうどこの前40年前の阿波おどりの映像をNHKで見たのだが、現在のアワオドラー目線からすると明らかに”下手”なのである

しかしあの生き生きとした表情と、老若男女がふらっと踊りに混ざるあの市民主体の華々しさというのは見ていて自然と笑顔になるような美しい光景であった

 

つまり、阿波おどりを開けっ広げに大衆へ開放すればなんでもよいかというとそういうわけではなく、そこには主体となる市民が太い軸としてそびえていなければならない

市民不在の踊りや祭りは、もみくちゃになりながら結局全てコモディティ化され、都市型盆踊りのようなくだらない真ん丸な形に収束するのがオチである

 

 

余談であるが、30歳前後で祭りというものに興味を持つきっかけになったのが能代の天空の不夜城であった

巨大灯籠の迫力以上に印象的であったのが、灯籠を引き連れる地元の中学生の姿であった

この祭りにおいては、灯籠を引きながら囃子を演奏する役割を地元の中学生が担っており、彼ら彼女らがあまりに楽しそうに演奏し、そして踊っているのである

 

 

地元の高校生なら他の地域の子どもも混ざるが、中学生となるとほぼ完全に能代の血で構成されており、地元の活力がそのまま具現化されたような景色に圧倒されてしまった

驚きと、そして心底の羨望、嫉妬

なぜ私は能代で生を授からなかったのかと本気で思った

 

やはり「地元」である

祭りは地域のものであり、地域に開かれなければならない

 

まず我々のいちばん気遣っている弊害は、踊りは見せるもの、単に褒められるために踊るものと解せられて、せっかくの農村の自由な楽しみが、次第に職業の苦しみに変化して行くことである。能でも芝居でもその他の近世の舞踊でも、起原を尋ねてみれば、ことごとく素人芸であった。それがあまりに多勢から感心せられた結果、始終頼まれては演じているうちに、ほかの仕事に携わる余裕がなくなり、こればかりで生計を立てる必要上、収入を要求するようになると、勢い自分たちの面白くない時にも、なお空々しく踊らねばならぬ境遇になったのである

ー柳田國男「郷土舞踊の意義」

 

 

ちなみに以下の論文もめちゃくちゃ面白い

 

民俗芸能における真正性と伝承方法に対する一考察
―「おわら風の盆」のフォークロリズム的解釈を通じて―

田邊 元

https://researchmap.jp/gengen719/published_papers/15952715/attachment_file.pdf

 

 

ここでは、地元が中心となり、変化も受け入れながら継承していこうとする「保存会」と、地域外の人間も参加しつつ本来の型を厳格に守る「道場」が二項対立で描かれている

つまり、真正性を「地域」に置くか「踊りの型」に置くかということになる

これはめちゃくちゃ興味深い議論であり、阿波踊りも「阿波おどり」と平仮名で表記される「徳島市で開催される阿波踊りイベント」はこれからも徳島市民、徳島県民のものであろうが、「阿波踊り」は日本各地で踊られ、そのうち徳島県民の手から離れてしまいそうな感じすらある

 

将来人口減少が進み、徳島県民が200人とかになったとして、阿波踊りが徳島県民以外の人間によって厳格に踊り続けられていたとしても、そんなことに意味はあるのだろうか

真正性はやはり”地域”に宿るのであり、阿波踊りは安徳天皇として徳島県とともに沈む運命なのである

 

地域性に価値を見出さなければ、阿波踊りもエイサーもなんでもかんでも大都市に吸い取られてしまい、それっぽい再生産がなされるだけ

 

↓松田聖子の再生産の話

buffaloes24.hatenablog.com

 

 

本番

準備

前置きが長くなりすぎたが、いざ本番の日

昼過ぎに集合となっていて、夜まで練習でもするのか?と思っていたらひたすらお酒を飲む時間であった

祭りという場では、お酒を飲むなりしてある程度自我を揺らがせないと、魂が上のほうまで上がってこないのだと思う

 

しかし阿波踊りの法被に着替えるととてもトイレがしにくい

なんか色々締め付けられているせいでズボンのチャックが男根より上に来るのだ

こうなると排水溝のように、小便が変に溜まる場所が発生して、あとから波が押し寄せ悲惨なことになる

そんな事情もあり、あまりお酒は飲めなかった

 

徳島駅

踊りは無料演舞場で行うのだが、演舞場に行く前に、ホテルのロビー、駅のホーム、駅ビルの中でも踊りを披露する

割と狭いところで踊るので全員が参加できるわけではなく、選抜メンバーで踊ることとなるのだが、選抜メンバーの名前が受付場所に張り出されていて、中学の野球部依頼に「背番号をもらえるかしら」というドキドキを味わうこととなった

 

無事に選抜メンバーに選ばれ、最初は駅横のホテルへ向かう

外はうだるような暑さの徳島であるが、ホテルのロビーへ一歩入るとひんやりした空気と白々しい上品な雰囲気に五感が満たされる 心地よい

しかし突然けたたましい鐘の音とともに現れるガニマタの男たち

気がつくとホテルの内線スピーカーは囃子のベテランおばあちゃんが占拠している

初めておばあちゃんの歌っている声を聴いたが頭がクラクラしてくるような見事さで、踊りながらホテルの客と同じ気分の、なにか客観的な幸福を感じていた

ロビーを一周して再び外の熱気に包まれたときには、ブルジョワを打倒して帰ってきたような、そんな爽快さがあった

 

駅で踊るのも意味不明であった 普通に通行の邪魔である

しかし我々の使命は日常をぶち壊すことであって、通路が通りにくくとも、楽器隊の爆音で駅の案内放送が聞こえずともかまわない

むしろこちら側に全ての答えがあるのであり、列車の種別も行き先も、阿波踊りの中から見出すことができるのだ

 

その後は駅ビルの中を行進

皆がビビって逃げていくのはクレヨンしんちゃん嵐を呼ぶジャングルのケツだけ歩きのシーンのようであった

 

演舞場にて

有料の桟敷席で踊るわけではなく、無料の演舞場で毎年踊るそう

ちなみに無料の演舞場は抽選で振り分けられるそうだ

 

自分が参加した日は両国本町と新町橋東の二箇所

まばゆいライトに照らされて踊るのはナイターの甲子園で野球をするようなもので、嫌でも浮足立ってしまい、あとから動画を見返すと文字通りもうウキウキ下半身で腰がブレブレであり、ひどい踊りであった

初めてナイターの甲子園で打席に立つ球児も、ウキウキ下半身でボールがブレるのだろうか

 

踊りの時間は当然演舞場の長さにも左右され、新町橋東はあっという間に終わった反面、両国本町は長すぎて死ぬかと思った

初めて「阿波踊り早く終わってくれ」と願ってしまった もう腕が上がらない

それでも男踊りはなんとでもごまかして踊りきれるが、女踊りのキツさといったらもう本当に尊敬するしかない

 

対決

最後にまた駅前で踊るのであるが、これは完全に身内での個人競技といったところで、連長が指名した複数人が輪の中心で踊るというもの

自分はたまたま隣にいたおじさんと2人で踊ることとなったのだが、この日初めてお会いしたこの方にボコボコにされることとなった

 

このおじさんに限らず、本番になって急に現れるOB・OGの方が結構いて、やはりベテランだけあって独特のうまさがあるのだ

練習段階では自分のことを天下のアワオドラーだと自負して調子に乗っていた自分も、本番当日にふらふらと現れた年配の方々の熟練の踊りに完全に目を奪われてしまっていた

 

2人で踊れと指名され、まず若い自分が輪の中心に勢いよく飛び込む

テンポは少し早くなっており、細かい2拍子に合わせて足を上げる

ヒヨッコのくせにそこそこ上手く踊れていると調子に乗っていた自分は完全に周りが見えていなかった

 

ふと振り返ると、おじさんが目に入った

おじさんは、酔拳のごとき妙技を披露していた

その瞬間頭が真っ白になった

完全に”拍”が合っていなかった

 

家族や親戚もその光景を見ていたのだが、家族がのんきに喜んで見ている中、オーケストラ経験者の叔母さんだけが息を呑んで見守っていたそう

あとで聞くと、自分と全く同じことを感じていたようで「2拍子のあなたと4拍子のおじさんが拍のズレをどう修正するのかヒヤヒヤしながら見ていた」と

 

そう、ベテランはときたま阿波踊りを4拍子で捉えるのだ

明らかな拍子のズレを感じた自分は急に足がこんがらがり、もうめちゃくちゃ

なんとか立て直して最後は少しだけ4拍子に合わせ、大きな動きを意識して踊り終えたが、もうボコボコにやられてしまった

しかしなんという気持ちよさだろうか

曙太郎のKO負けのような、華々しい失神である

 

 

ペアで踊り、そしてリアルタイムで起きていることに全く対応できず打ちのめされてしまったという体験

なかなか阿波踊り1年目でできるものではない 本当に恵まれている

もう心得た 完全にわかった

阿波踊りとは「ジャムセッション」である

アンプラグドな楽器隊に、厳密ではない踊り作法

この自由な要素によって表現の幅は無尽蔵に広がり、そしてそれは人と人との突き合わせで更に複雑なものとなるのだ

本当にこれは阿波踊り原体験としていつまでも体内に残り続けるのだろうと思う

 

アイデンティティ

この2ヶ月程度の阿波踊り体験は、単純に好奇心を満たすという意味合いだけでなく、自己のアイデンティティを発見する旅でもあった

 

▼いとこと私 昔は連と連の間にフラッと飛び込めた

 

今年阿波おどりに参加するからと、徳島帰省に伴い何度も親戚や家族の前で踊らされる羽目になった

 

老人ホームにて祖母の前で踊ったときは、祖母のにこやかな顔が急に真剣になり、なにやら感慨深い目をしていた

吸い込まれそうな目だった

ああ 祖母に見せるために2ヶ月アホみたいに踊り続けていたのだとこのとき悟った

阿波踊りは地域のためであり、連のためであり、そしてなにより家族のために踊るものであった

 

家族親戚から阿波踊りレクチャーもせがまれ、みんなで踊っているうち、いつの間にか仏壇の前で輪踊りになっていた

これこそ阿波踊りの原初的姿である先祖供養の盆踊りなのだろう

毎年定番にすることにした

 

にわか連

最後の最後に愚痴になるが、本番に出た次の日は普通に客として阿波おどりへ行き、にわか連に参加しようとした

 

 

配られたうちわ、そしてレクチャータイムでの掛け声を聞いて絶句した

「にわかだ にわかだ」に呼応する掛け声は、「やっと やっと やっと やっと」であったのだが、今年から「Canva Canva Canva Canva」になっていた 終わり 終わりです

SNSを見ても誰も文句を言っていなかったのだが、これは本当に由々しき事態であって、「にわか連にスポンサーがついた結果、昔からの掛け声が企業名に差し替わった」なんてディストピアのような話が現実になっているのだ

あまりに気持ちが悪いのでにわか連から逃げ出して新町橋よいよい囃子にて安住の地を得たのだが、今でもむかむかとした気持ちがある

 

にわか連というのは、前述の鶴見で分類では「非専門的享受者」にも開かれた連であって、ここでは開かれているこそ最低限の決まりを知って帰ってもらわなければならない

ここで学んだ人間が地元に帰り阿波踊り連を立ち上げたとして、掛け声を「Canva Canva Canva Canva」にしてしまう可能性も0とはいえない

 

にわか連には絶対にスポンサーをつけてはいけないし、それでもつけるというのなら俺が「㈱YATTO」を立ち上げるしかない はぁ

 

 

素晴らしかった阿波踊りにて、にわか連だけガッカリポイントでした

 

来年はもう大阪に帰ってしまうけれども、連長からは来年もふらっと参加していいよと言われたので、なんやかんや来年以降も踊り続けるかもしれない

 

ひとり阿波踊り

阿波おどり?阿波踊り?

踊りそのものは「阿波踊り」と表記して、祭りのことは「阿波おどり」と表記するとどこかで見た

以下、そのように表記する

 

徳島市の阿波おどりには昔から参加しており・・・と書こうとして、”徳島市の阿波おどり”とはなんだと自問自答することとなった

世の中には「日本三大阿波おどり」という奇怪極まりない言葉があり、徳島・高円寺・南越谷で行われる、日本各地で実施される阿波おどりの中でも代表的な3つを指すとのこと

 

たまにふと目にする「あいうえお作文」でそのワードそのものを使っているものがあり、心底恐ろしく思うのだが(以下例)、日本三大阿波おどりもそれに類する全く理解不能なワードである

ex)ゴリラのあいうえお作文で「ゴリラの・・・」から始めちゃう

 

また、ときおり「原曲を超えるカバー」だなんて表現でカバー曲が褒め称えることがあるが、0から1を生み出すことへのリスペクトがあまりにも足りないのではないか

日本三大明石家さんまは「明石家さんま」「ほいけんた」「原口あきまさ」とでも言うのだろうか

 

というわけで、ここでいう阿波おどりというのは当然徳島市で行われる阿波おどりを指すことも大前提である

(4年前くらいに参加したお茶の水女子大学で阿波踊り研究をしている教授の講演会にて、「徳島にも阿波おどりがあるんですね」という学生がいてびっくりしたという話をされていた)

 

さて、徳島に祖父母を持つ私は、幼少期からほぼ毎年阿波おどりに参加しており、自分の根本にはアワビートが刻まれている

反面、正式に参加したことはない

 

正式にとあるが、非公式に適当に路上では踊っていたし、「にわか連」という観光客を対象にした自由参加の連もある

ただ、きちんと練習を積んで連で踊ったことはないのであった

 

まず、連に入るというのがかなりハードルが高い

年間通して週末に練習があったり、日本各地の格落ち阿波おどりイベントに駆り出されたりと、8月のモノホン阿波おどりを迎える前に息も絶え絶えになってしまう

大阪にもいくつか連があるが(有名なのは大阪天水連だろうか)、そこに入ってしっかり踊るのは覚悟が必要である

 

なぜかテレビに抜かれたことはある

 

そうなると”軽い気持ちで”阿波おどりの連に参加することにはどうすれば?となるのだが、そこで助けになるのが「企業連」である

企業連とはその名の通り企業が組む連であり、スポンサーになる、大会運営に協力するなどの貢献と引き換えに連として参加できるのだ

この企業連というのもよくできたシステムで、企業としては連での活動を通して地域愛を育んだり、組織内の団結を深めたりといったプラスの効果がある

また、楽器隊をもっていない企業連については有名連などから楽器隊が貸出され、ギャラが支払われることで地元の連もちょっと助かるという相互の関係もあったりするらしい

 

長い前置きになったが、いま四国の企業に勤めている自分にとって、企業連に潜り込み阿波おどりでオフィシャルに踊り狂うことができる千載一遇のチャンスが来たのである

来年には大阪に帰るので本当に人生最後のチャンスかもしれない

 

これを逃すわけにはいかないと思い、無理を承知で参加を申し出た

ここでいう「無理」というのは、18時からの練習のために会社を早く抜けなければならないということもあるし、練習場所が徳島になるので高松から往復5千円投げなければならないというのも私の表情を一瞬曇らせる

ちなみに諸事情により交通費が実費なのは自分だけで、他の参加者はほとんど支払っていないと思われる

練習は全部で8回くらいあるため、5千円✕8回の4万円が吹き飛んでしまう

すると何が発生するだろうか

自分だけ、”熱”が発生するのだ

 

そう、4万円を払って参加している自分と、周りの無課金参加者との間に、埋めようのない温度差が発生する

私が来年からは参加できない身分であることもそれに拍車をかけている

 

 

初回の練習

ド初心者であるため、副連長さんにまず足の運び方を教えてもらい、足だけ動かす

腕は後ろに組み、とにかく重心を落として足の動きに集中する

去年、白石島の白石踊りの練習会に飛び入り参加したときも最初は足だけを動かすように教わった

盆踊りの基本はまず足の運びということになろう

 

次の日はとんでもない足の筋肉痛に襲われたが、家の中でも極力重心を落とし、阿波踊りの足の運びで移動するようにした

 

2回目の練習ではもう足の運びは無意識にできるようになり、超基礎的な手の動きを教えてもらう

そして3回目、4回目となっていくうち、自分でもわかるくらい圧倒的な成長を感じるのであった

仕事でそんなもの一度も感じたことないのに、阿波踊りにおいては猛烈に自分が磨かれていくのを実感する

 

もちろん初心者が脱初心者になった程度なので周りから見ると大したことはなく・・・と書きたいところであるが、もうほとんどの人間より上手くなった気がする

 

前述のように練習は18時から始まる

夕方と夜の境目は「逢魔時」と言われるが、この世ならざる者が出没する時間とされている

徳島における夏の夕刻はまさに逢魔時であり、定時を迎えた市民は社会人から「踊り子」という中間的な存在となり、フワフワと揺れるのである

 

眉山が夕焼けに染まっていく風景と、周辺から聞こえる笛や太鼓のぼんやりした音に包まれるあの感覚は夢のようであり、本番そのものよりもこの瞬間を味わうことこそ極上の阿波踊り体験といえるのではないかとすら感じる

 

 

しかしこの”自分だけ異様な熱のある状況”というのは少し辛いものがある

男子ちゃんと歌ってよ と合唱の練習で女子がキレるステレオタイプな学校あるあるの、その女子の気持ちが少しわかるのだ

あれは、男子が手を抜くことで合唱コンクールで良い成績を取れないではないかという怒りの声ではなく、自分と同じ熱量の存在を渇望する、孤独の叫びである

標的をとりあえず男子にしているだけで、あれはこの世界そのものへの叫びなのだ

 

自分も孤独に、そして孤独だからこそ外界と切り離され余計に尋常ではない揺らぎを体験しつつ、気が狂ったように踊っている

家に帰ればパンツ一丁になり、鏡の前で姿勢のチェック

信号待ちの際には足の運びを再確認

職場ではうちわを仰ぐふりをしてうちわの回し方を練習

もはや他人の目線が常に邪魔になってしまい、「公共」という概念そのものへの反発を覚える

人がいない地下道を通るときは大チャンスだ

ワンマン阿波踊りが開催される

 

 

▼阿波おどり専用ロボット「オドロット」彼も究極に孤独だっただろう

 

おそらく、自分が上手く踊れているというのも狂った自認であり、もう全てが歪んでいるのだと思う

 

おかしくなっている

 

助けて

 

▼孤独になると自己は縮小するのか肥大するのか 自分は後者

 

ただひとつ確かなのは、おかしくなるほど阿波踊りというのが面白いということ

とんでもなく面白い 狂ってしまう

単純な二拍子であるがめちゃくちゃ難しい

 

これはサックスで難しいパッセージを吹きこなさなければならない難しさとはまた違い、「さあアドリブソロを吹いてください」という難しさに近い気がする

きっちりと動きを合わせる連では前者の難しさかもしれないが、ありがたいことにゆるふわの連なので、踊りは”なんとでもなる”のだ

なんとでもなるというほど頭を悩まされるものはない

 

答えがないから、毎日とにかく踊り、絶対神への距離を探っていくしかないのだ

その絶対神のイメージは毎年観てきた阿波おどりのぼんやりとしたイメージであり、無数の踊り子の魂の集合体である

その魂に一歩でも近付くというのはなにか宗教的行為にも思えてくる

同じことをYOSAKOIに明け暮れる大学生が言ってたとしたら黙れと一喝するが

 

▼ちなみにその魂の集合体から堀江貴文だけは省かれている 文化へのリスペクトを一切感じない酷い踊りであった

 

阿波おどりがきちんと終わればまた感想を書きたいと思うが、今まさに練習に明け暮れて狂っている自分の感覚を書き残しておきたいと思った次第

踊る阿呆に観る阿呆 同じ阿呆なら踊らにゃソンソンというが、「踊る狂人に観る常人」でしかない

狂うには”こちら側”に来るしかないのである

 

肉眼

イタリア紀行でも書いたとおり、本当に目が悪くなってしまい、まともにモノが見えなくなった(イタリア紀行その2はもう書く気力がない)

 

buffaloes24.hatenablog.com

 

 

5月に健康診断があり、そこで視力0.2くらいと判定を受け、ついに降伏した

結局定量的な判断を下されないと人は動けないのかもしれない

手を上げてこちらに近付いてくる人影が友人だと気付けなくても、年に一度の検査で視力1.5だと言われれば肉眼で頑張っていたのだと思う

 

そんなわけでメガネを買うことを決意し、近所のyoumeタウンへ

抜け感サブカルオシャレメガネのメンズといえばやはり柳田國男であり、柳田のような丸メガネを探すことに

 

はじめに | 成城大学

 

色々探し回り、結果的には東條英機と大川周明のメガネを足して2で割ったようなブリッジの位置となり(あとの画像を参照)、私の中には”シバく方”と”シバかれる方”が共存し、対極主義をなすこととなった

 

 

さて、さっそくメガネをつけて瀬戸内海を観に行きビックリした

あまりにクッキリ見えるではないか

印象派の作品を観に来たのに写実主義を見せられても困惑するだけである

 

 

私が一年間付き合ってきた瀬戸内海というのは、視力0.2の薄ぼんやりとした瀬戸内海であって、メガネ越しに見る瀬戸内海はなんともそわそわとして落ち着きがないように見える

情報量としては明らかにメガネ越しの方が多く、色々なモノが鮮明に見えるのだが、「それがどうした」という意味不明な開き直りをしてしまう

 

家に帰って鏡で自分の顔を見るとオッサンの顔をしていた

いつもぼんやりとヌーブラのようなテカテカとした顔が鏡に浮かび上がるのをニコニコと肉眼で見ていたため、急に乾き雑巾のような人面が浮かび上がりギョッとする

慌ててメガネを外す これは虚構の世界に違いない 逃げろ逃げろ

 

肉眼でのぼんやりした世界とメガネ越しの鮮明な世界は明らかに前者が「本物」なのである

朝から晩まで避妊具をつけて生活していられるか?

アホらしい やめやめ

 

 

そして今日もレンズのない「本物の穴」から、たゆたうオレンジ色の光を浴びるのです

何も直視したくない31歳

それでも世の中は光に満ちている

満ちる光と島々 満島ひかり

 

メガネが似合わない

 

アリーナの郷愁問題

先週の水曜日、「ずっと真夜中でいいのに。」のライブを観にわざわざ神戸へ行った

高松から神戸への移動というのは結構わざわざなことであって、チケットを取ったものの直前まで行くかどうか迷っていた

でも音源を聴いているうちにやっぱり行くことにした

曲がやはり素晴らしいのである

 


www.youtube.com

 

ずとまよのサポートメンバーにはギターに菰口、ベースに二家本がいたり、フュージョン好きとしてもニヤけてしまう

自分が高校生くらいのときのフュージョン界期待の若手といえば、Dr坂東、Gt菰口、Ba二家本、Key白井の4人が代表として挙げられていた(気がする)

あれから10年以上経った今、4人ともフュージョンの分野にとどまらず広く音楽界隈で活躍しているのは嬉しい限り

特にこの中でベースの二家本だけはまだ生で観たことがないので、ずとまよを観るにあたっては二家本のベースも非常に楽しみにしていた

 

横尾忠則「雪の中の六方」


横尾忠則美術館に寄ってから会場へ向かう

会場はジーラインアリーナであった

神戸で公共交通関係の仕事をしていたため数年前からアリーナ計画があるのは知っていたが、実際に近くで観るのは初めてで、もちろん中に入るのも初めて

 

 

そして19時にライブが開始

奏者がステージに登場し、少しの静寂ののち一瞬にして心を持っていかれる、ライブのオープニングの高揚感というのは生の醍醐味である

さあ来い 爆音 俺の魂を揺さぶってくれ

 

 

田舎で育つと、よく猟銃の発砲音が山に跳ね返った「だあ」という、文明と自然の折衷案のような伸び切った音が聞こえることがある

今回のライブの1音目もそのようなサウンドであり、六甲山を一度経由して自分の耳に届いたかのようであった

 

もうそこから先の1時間くらいは本当に記憶がなく、なんの曲をしたのかもあまり覚えていない

全て六甲摩耶を経由して音が聞こえてくる

それは遠い遠い物語であった

 

自分が胎児の頃、母親がボンジョヴィを聞かせていたらしいが、おそらくこのような聞こえ方だったのではないか

すぐそこで鳴っているが、自分とは一切関係のないことが確信できる抽象的な音の粒たち

 

卑近な例を出せば、交差点で信号待ちをしている和泉ナンバーのアルファードから聞こえてくる爆音といったところ

あるとき交差点でアルファードから松任谷由実の「Hello, my friend」が聞こえ思わず足を止めたことがある

もはやそれは「Hey,my bro」といったところで、アルファードのカーステレオの暴力性に戦慄させられた

 

長渕剛のギターとハーモニカを美しく響かせることに特化して設計されたアルファードのカーステレオから生み出される、ずとまよの名曲たち

当然、ベースの音は極度に抽象化され、エンジンの一部としてアルファードの推進装置に組み込まれる

 

今年の1月にあなぶきアリーナでking gnuを観たときもこのような感覚になったのだが、神戸の音響よりはいくぶんマシだった分、二曲目くらいで現実世界に帰ってくることができた

 

ただ今回は本当に目の前で何が起こっているのかよくわからず、ただ呆然と立ち尽くし、音の距離的遠さが精神的遠さに変換され「郷愁性」を帯び始めた目の前の景色を眺めるしかない

音を跳ね返していた六甲山も、徐々に地元吉野山の姿に形を変えていく

 

 

ライブの後半でやっと体が慣れてきて楽しめるようになってきたものの、それでもやはり音はぼんやりと鳴っていて、何がどうなっているのかわからなかった

 

ボーカルだけははっきり聞こえており、めちゃくちゃ上手いのはわかったが、あとは「おそらく上手いのだろう」という評価しかできない

家のベッドで寝ているのに、隣町のぼんやり聞こえてくるだけの盆踊りを評価できないのと同じである

 

あなぶきアリーナでもジーライオンアリーナでも感じたこの「音ぼんやり問題」というのはどうすればよいのだろうか

日本の全てのアリーナがこのような音質であるなら絶望するしかなく、応援するアーティストに対しては、人気が出てデカい会場で演奏することがないよう、常に悪評を垂れ流しておかなければならなくなる

 

しかしハービーハンコックを横浜のぴあアリーナで観た際には音の良さに感動したので、デカい会場がおしなべて望郷性を帯びているわけではないようである

これは救いだ

 

自分は普段全然音楽を聞かない人間であるが(だいたい年末にSpotifyの年間総再生時間などを友人がSNSに挙げているのを見ると自分の10倍くらい聞いていて驚かされる)、ベースの音響だけは気になってしまう人間のようで、上原ひろみバンドもフェスティバルホールはアドリアンフェローのベースがわけのわからない音になるのでもうあそこでは聞きたくないと思ってしまう

 

色々書いたけど大前提として自分の耳がイカれている可能性も大アリなのでなんとも言えないが、もしあのときジーライオンアリーナで故郷の青い山々や白いアルファードがほんの少しでもステージの後ろに見えた人間がいるなら、あなたはその体験に1万円を払ってよいのかと問いたい

ステージ上のケーブルが全てアルファードに直で接続されているなどというのは、演者側もたまったものではないと思う

演者が見えればもうそれで満足というのもあるかもしれないが、そんな精神で音楽を聞きにきてはいけないのではないか

もうそういう奴は会場に残らせて、ジーライオンアリーナごと新港地区から切り離し、瀬戸内海の離島とすべきである

おそらく会場には5,000人ほど残るので、アルファードのエンジン機構により塩飽諸島まで進出すれば、現状250人と最も人口の多い本島を圧倒することができる

 

私もたまに郷愁を求めてそこに足を運ぶかもしれない

 

↑この第二突堤の付け根にダイナマイトを仕掛けて本州から切り離すのだ

 

31歳

20代というのはおそらく20歳〜29歳が正しいのであろうが、なんとなく区切りとして21〜30歳のように思ってしまう

つまり30歳は20代なのであって、31歳になりようやく30代に突入してしまったというわけ

そもそも人間の年齢が0歳から始まるのがキモすぎる 意味がわからない

生まれた瞬間に0から1になるべきなのに、あまりに貧弱な生物ゆえまだ1にカウントしてもらえないのだろうか

そう思うとなんとも人間本位な数字の数え方であり、生まれてすぐに立ち上がってしまうシカなどはケツから出てきた瞬間に1歳とカウントするべきなのだ

 

2026年という西暦もまず気に食わないし、31歳という年齢も気に食わない

全て人間本位すぎるし、人間本位なのは西洋の価値観を反映しすぎているのではないか

 

さてやっと30代になったわけであるが、もうなんだか人生おしまいといったところで、31歳のテーマはずばり「諦観」である

30歳まではなにか自分には色々な可能性があったように思えていたが、31歳にしてそういった希望もなくなってきた

自分は頭の回転が遅いし、あまり人と話したくないし、そもそも他人に大きな興味を持てる人間ではないこともわかってきた

だんだんと自分の限界が見えてきたのだ

これは絶望でもあるし、でもなんだか気が楽になるような希望でもある

 

そうなるとなんだか自分の身の回りのことが気になってくる

29歳や30歳は「とにかく色々なことに飛び込んでみよう」などと思っていたが、31歳になり冷静に深呼吸をしてみると「まずは足元から」という発想になる

 

つまり

「ソトに飛び出して、そこからウチへと自分を見つめる」

というよりは

「ウチから自己の概念を拡張していき、ソトへと拡がっていく」

という感覚の方がすんなりいくような気がしてきたのだ

こんな発想の大転換をほんの1年2年でしていいのかといったところではあるが

 

そういうわけで自分の足元を見つめてみると、そこには強烈な歴史が沈殿する紀伊山地、そして吉野山がそびえたっている

おそらく自己からソトへの視線は、吉野山の山頂に固定されてしまうのだろう

 

郷里から広い世界を見る。動く世界を見る。いろいろの問題を考える。私のように生れ育って来た者にとっては、それ以外に自分に納得のいく物の見方はできないのである。足が地についていないと物の見方考え方に定まるところがない。

 

宮本常一『民俗学の旅』

 

 

このGWも山形の蔵王へ行った

親の還暦祝いの旅行でもあったのだが、吉野山との結びつきから「親を蔵王へ連れて行かないと」と瞬間的に頭に浮かび、それが当然の帰結のように慌てて航空券を取り、現地でも蔵王権現を拝観させていただいた

※下の写真は下宝沢の蔵王権現であるが、これを見たのは吉野の人間でもなかなかいないんじゃないかと思う

 

 

「蔵王」というのがGWの大テーマであり、詳細は以下のインスタの投稿に載せている

自分のインスタ、知り合いの中で1番文章量が多くて気味が悪い

みんな文章書いてよと思う反面、あまり言語化しすぎる自分もなんだか余白のないせせこましい人間のように思う

 

 

www.instagram.com

 

今は高松に住んでいるのだが、これも吉野を起点に色々と考えることができる

まず中央構造線で四国とは一心同体であり、なにかあったら共倒れの強固な精神で結びついている

空海は石鎚山の山頂から真っ直ぐ伸びる山脈をみて高野山を目指した、だなんて話もある

そして大きなくくりで見ると瀬戸内海の結びつきもある(海なし県がそれを言えるかどうかは怪しいが)

最近読んだゲンロンの「瀬戸内海に権利はあるか──自然の権利2.0と憲法学の想像力|植田将暉」において、小松左京の文章が引用されており、非常に共感することとなった

 

大阪にあって思う時、瀬戸内は異郷ではないのだ。大阪は瀬戸内の終点であり、大阪自体が瀬戸内にふくまれ、瀬戸内はまた、阪神の延長であり──それは関西の「内面性」の一半を形成しているような気がする。関西には二つの顔がある。一つは歴史的な外交性を含みながら東へむけられ、もう一つは水入らずの親密さをこめて西へむけられ──瀬戸内を通じて、九州、大陸をむいているのだ。東へむかう時、滋賀をすぎたとたんに早くも感ずる一種の異郷感は、瀬戸内ぞいに西へむかう時はほとんど感じられない

 

 

”水入らずの親密さをこめて西へむけられ”

なんと美しい文章だろうか

そしておそらく多くの関西人が頷くのではないかと思う

これでいえば逆に東日本、それこそGWに訪れた東北などは関西からあまりにも遠く思える

関西から北海道に旅行に行く人は数多いが、東北はびっくりするほど誰も行かない

東北は「死ぬ」という言葉を忌み嫌い、様々な言い換え言葉があるというが、関西人はすぐ死んでまえとか平気で言う

人間が違う

※ちなみに関西から一番遠いのは東北だが一番うまくいかないのは名古屋だと思っている

 

冒頭にも述べた「諦観」の感覚、東北にはこれを強く感じる

太宰治の”津軽”なんてもう諦観の塊のような文章で笑ってしまう

だから東北にすごく奥行きを感じ、親しみを覚えてしまう

逆に東北の人間は関西人が怖いだろうと思う(震災のときにボランティアが関西弁だとなかなか心を開いてくれなかったとなにかで読んだ)

 

話を戻すと、吉野山からは山を伝い、また海を通して四国と接続することが可能であり、そのような意識でアクセスすると自己が拡張したような感覚になる

 

 

ソトからウチを見るやり方では、自己の解像度が上がり、どこに立っているかのピントが合うような感覚なのだが、ウチからソトの発想では自己が巨大化していく

こうしていつかはアジアへ進出したいと考えている

1年前はヨーロッパに行きたい行きたいばかりでアジアを訪れたいなんて全然思わなかったのだが、今はアジアの各地を巡ってみたい

もうそんな時間はなかなか取れない年齢にもなってしまったのだが

 

余談だがこの前レオマワールドのブータン館(レオマとブータンのつながりは本当にわからないので置いておくとして)に行くと、金峯山寺の蔵王権現に似た仏像や仏画があった

吉野山はブータンとも繋がれるかもしれない

 



さて人生の限界も見えてきたし、多分仕事バリバリ頑張るぞ人間ではないこともわかってきた

みうらじゅんの「仕事なんて所詮副業であり衣食住が本業である」という言葉に「そうだよなあ」と思ってしまうのだ

多分これからもそういう発想で毎日をこなしていくのだろうが、そうなると困ったことがある

趣味を適当にこなすことができないのだ

仕事バリバリ人間は「まあ所詮これは趣味であり息抜きだから」という発想を持つことができるが、仕事に手を抜く自分のような人間はそんなこと漏らすともうどうしようもない人間になってしまう

「仕事でしか自己実現できない社会」なんておかしいではないか、「趣味で自己実現する」という選択肢が当然あって然るべきでは、みたいなことを三宅香帆が”なぜ働いていると本が読めなくなるのか”で書いており、これも深く頷くところがあった

 

 

嗚呼、そうなると私はもう趣味で手を抜くことが許されなくなってしまう

そもそも自己実現ってなんなんだ気色の悪い

 

ひとつ言えるのは、こういうことを書けてしまうのは自分が非常に恵まれた身分であり、それが本当にたまたまであるということ

 

31歳のテーマを「諦観」としたが、そもそも95年世代は根本に「諦観」を持っているのではないかというのが長らくの持論である

これは阪神大震災や東日本大震災といった自然災害や、ゆとり教育といった「大きなものからの影響に対し為す術もない」という経験を大きく受けた世代であることを根拠としており、実際に自分はそういった発想で生きてしまっている

 

buffaloes24.hatenablog.com

 

諦め、そして運

これは怠惰な自分を肯定するために作られた言葉でしかないかもしれないが、これは宿命のようなものでどうしようもない

究極を言うと、もう生きているだけで万々歳なのであり、多分この1年も、その先も大きな流れの中でぼんやりと生きていくのではないかと思う

足元に自分の影があり、ただ実存していれば、それはもう自己が実現され続けているのである

 

はあん シャキッとしたことが全然言えない

31歳から先はどうなっていくのか

今のところあまり乗り気でもないしそんなに楽しみでもない

ひとまずこういう心情です 今この瞬間を切り取ると、そうなる

 

終い

朝ご飯を食べながら、なんとなくのほほんとしてそうなドキュメンタリーを流したのだが、衝撃的な内容であった

 

www.nhk-ondemand.jp

 

四国大好き芸人なので青島という存在はもちろん知っていたのだが、漠然と「猫の島」という認識程度であった

猫に会いたければ塩飽に佐柳島というこちらも猫で有名な島があり、全国的にも瀬戸内の猫の島といえばこちらの方が知名度が高いのではないか

 

そんな、自分の中でぼんやりした認識の青島を題材にしたドキュメンタリーであり、猫とともに生きる島民ののんびりした姿が映されるのだろうと、今になって思えば非常に傲慢な視点で見ようとしていたのであるが・・・

 

まず驚いたのが、この島には現在3人しか住んでいないということ

朝から「さんにん!?」と声が出てしまった

それも、老夫婦2人と、もう1人も高齢になってから帰ってきた方で、高齢化率100%である

 

そしてもうひとつ、島民の数以上に驚かされたのが、猫に関すること

映像を見る限りめちゃくちゃ可愛いニャンコちゃん達が悠々自適に暮らしているのだが、すっとナレーションが差し込まれる「暮らす人は3人、年老いた猫は70匹・・・」

 

ここでまた私の喉から声が出る しかし先ほどよりくぐもった声だ

「としおいた・・・?」

 

この疑問を残したまま映像は過去の「猫による青島ブーム」として、大量の猫に囲まれる観光客たちの姿が映される

しかしこのとき、島では激増する猫と激減する島民という現実が進行していた

そして、2018年頃、島民はひとつの重大な決断を下す

”全ての猫を避妊させる” と

 

島民の中でも一番熱心に猫を世話しているおばあさんは語る「このまま猫が増えたとして責任は取れるのだろうか、と思った」

 

それは、もう青島には猫を世話するような若い人間が移り住んでくる可能性が極端に低いということを暗示している

決定事項は、ただ「猫を避妊させる」ということ

しかしそれは島民の運命、そして島の運命を決定づけるような、とんでもなく重い決定事項だったのではないか

 

そして現在、もう猫はあと2~3年ほどでほとんどいなくなるのではないかとおばあさんは漏らす

猫も人も高齢化率100%

人が猫を看取り、そして人は島に看取られる

一匹一匹、そして、一人・・・また一人・・・と 島から旅立っていく

 

家終いならぬ、島終いとでもいえようか

 

 

そんなわけで、たった20分のドキュメンタリーであったのだが、朝からめちゃくちゃに食らってしまった

もちろんまず出てくる感情としては悲しさや虚しさといったところで、自分の地元も着実に衰退しているのを感じるし、”匂い”のする地域というのは日本からどんどん消えていくのだろうなという絶望を感じる

ただそれと同時に、少しの羨ましさも感じてしまうのだ

島というひとつの閉じた世界において、島から哺乳類がいなくなるその終末期を過ごし、島とともにひとつの結末へ収束していくというのは、ある種のロマンを感じる

もちろん外部からこんな適当なことを言ってはいけないというのはわかっているのだが、無色透明な街で誰にも認知されずに死ぬよりどれだけ素敵だろうか

孤独に見えるが、なんと”囲まれている”のかと

 

青島はこれからも人が住み続けてほしいし、日本において無人島になってしまう島が極力増えてほしくないという勝手な願望もあり、青島の終末というのは絶対に悲しい出来事であるのだ

それはわかっている

だけれど、青島という世界のみにフォーカスを当てるとなんと美しい最期だろうか、と思ってしまった

 

何度も言うが外部の視点からの勝手な戯言で、傲慢なことを述べているかもしれないが、朝ごはんを咀嚼しながらテレビを消したその瞬間に、絶望の黒さと、その中で確かに揺れる光が見えたのであった

 

愛する高見島より

 

最近のこと

久々に文章を書く

毎度、ちゃんとしたものを書こうと意気込むせいでなかなか気軽に書けないのである

そうこうしているうちにかなり間隔が空いた

 

その理由のひとつに3月から同棲を始めたというのがある

同棲の前に入籍は済ませていたので、ウキウキの新婚生活というやつである

本当は入籍の前に同棲をしよう、という話になっていたのだが、自分の高松転勤で立ち消えになった

 

結果として入籍前の同棲だなんて恐ろしい事態が回避できて本当によかったと思う

おそらくその計画が実行されていたら私は一方的に糾弾され破局を申し込まれていたに違いない

というのも、本当に雑に生きており、部屋は汚く、メシはスーパーで安かった具材を空中で切り(まな板を使うのが面倒なので)、フライパンで焼いてフライパンのまま机に持っていって食べるような生活をしており

頑張れば”丁寧な生活”をしているフリはできたかもしれないが、おそらく3週間ほどで発狂し、終わっていた

丁寧な生活をしているが発狂している人間とは、結婚してくれない

 

高松転勤になった時点ではまさか2人で暮らすことになるとは一切思わなかったため、普通に1Kの部屋を借りており、狭い狭い1部屋での同棲が始まったのだが意外となんとかなる

ただなんとなく文章を書く時間が取れないのと、映像の世紀を見れないということ以外はそんなに変わらない生活をしている

 

結婚というのは実行してみると実にすんなりいくものであった

すんなりいくからこそ結婚できたという順番が正しいかもしれない

阪神梅田近くの地下通路ではあらゆる方向から人がなだれこんでくるのであるが、たまに異様な集中状態に入り、明らかに「一本の道」が見えるときがある

結婚とはなにかと聞かれたらそういうものだと答える(ここでいう結婚とは、結婚生活のことではなく結婚という瞬間的な事象やそれに至る経緯のこと)

結婚というのは、阪神梅田の地下通路において、絶対に引かれることのない真っ直ぐな赤い絨毯を踏みしめるような出来事である

 

AIで作成

 

同じ時期に弟も結婚をして、弟の奥さんとウチの嫁が仲良くしていたりする

これがなんとも奇妙な感覚

家族の概念が拡張していくようで、少し不気味でもあるし、言いようのない歓びを感じるようでもある

 

そんなわけで、同棲という内向きの渦に巻かれながら、渦ごと外洋へフラフラと流されているような日々を送っています

 

 

久々に文章を書く気になったのは大江健三郎の「万永元年のフットボール」を読んだからで、意味のわからない言葉を浴び続けているうちに、多分PCの前に座ってキーボードを打つ手が完全に止まることはないんじゃないかと思い、今こうやって文章を打ち込んでいる

この作品の前に筒井康隆の「万永元年のラグビー」という桜田門外の変において井伊直弼の首でラグビーするというめちゃくちゃな作品であったため、てっきり大江の本家作も熱血サッカー青春モノかと思って読み始めたのでパニックになった

 

しかし大江健三郎のような文章を読むと、もうストーリーなんて大してどうでもよくなる

栄養剤に味なんて求めないのと同じで、もう浴びるだけでいい気がしてくる

「眠った人間を模倣したまま、僕は立ち上がり、渋滞しながら暗闇のなかを歩く。」

短い文章なのだが、なんと想像を掻き立てられるだろうか

結婚と大江健三郎の二本立てである 何が言いたいのかわからなくなってきた

どう考えても自分はADHDなので、話題がコロコロ変わるのはご愛嬌である

高田純次と上沼恵美子が土曜の昼にやっている番組は自分の脳内を見ているようでウンザリしながらも興奮して見てしまっている

 

日常を過ごしながらふと思いついたことはスマホのメモに残している

最近のメモ

・フワちゃんやす子事件は100年後振り返ると日本が再度軍国主義へと舵を切った象徴的事象とみなされるのではないか→軍服を着た女が自由な言論を封じ込める

 

・島が浮いていなければ海は有限から無限となり、大きいか小さいかもわからなくなる

 

・スマホを子供に持たせざるを得ないのは子供が仲間外れにされるから、という言説はあまりにも情けない スマホを持たないガキだけを集めた学校を俺が作ればいい

 

・心から御礼 ゴールデン

(補足)政治家の挨拶を書き起こしするためAIに音声を投げたところ、「心から御礼を申し上げる」が「心からゴールデンを申し上げる」に変換されており、金の価値が上がったなあと感じた