「東京には・・・2年から3年以内に行ければ ってなってるけど」
東京本社
眼の前には今年から新たに部長となった方
建設コンサル業界はだいたい10月はじまりのスケジュールとなっており、少し仕事が落ち着き、また年末となる12月に、部長との面談がいつも行われる
部長は去年の面談(去年は別の部長だった)の内容を冒頭に振り返る
そこには1年前の自分が写し取られており、記事文頭の内容はそのときの自分が発した言葉だったらしい
当時は愛する人の住む街であった東京
今はそのような個人的意味を失い、ただ自分の所属する国の首都として経済的に関与する程度の都市となった東京
東京
今年の9月、急に上司から東京の大手私鉄への出向に興味はあるかと聞かれた
今の仕事もあるし、アラサーで東京へ飛び出すことで人生設計が狂うことへの恐怖より一旦は断ったものの、やはりこんなチャンスはないと思い「チャンスがあるなら行かせてください」と再度お願いをした
そのまま巨大な力をもって自分を東京へと吹き飛ばしてくれるのかと思いきや、10月くらいになり、選択の機会が与えられた
つまり、行くのか行かないのか、自分で決めることが可能となった
そしてそのタイミングで、具体的な仕事内容も伝えられたのだが、これが全然やりたい仕事と違っていた
簡単にいうと、ソフト的なことがしたかったが、ハードに寄った仕事であった
周囲にも相談し、自分でも色々と考え、先週の頭に会社の幹部へ「断り」の連絡を入れた
キャリアの中での出向の立ち位置が自分の中で消化できなかった というのが理由であった
東京への転勤を完全に受け入れていた去年と、会社を飛び出して様々な経験が積める可能性があるにも関わらず東京での仕事を断った今年
結果として今の仕事をそのまま続けることになったが、一度心が揺らいだ上で今の線路に戻ってきたわけで、自分でも「自主的に選択をして生きている」という実感がある
「自我の確立」について書かれた以下の文章が印象に残っている
私たちはいちおう全体を拒否し、時間の流れをせきとめなければならない。拒絶の美徳を忘れて、現実の偶然をなにもかも取り入れるのは、一種のおもいあがりである。部分としての個人にその力はない。
ーー「人間・この劇的なるもの」福田恆存
これは会社の中でも当てはまるかもしれない
上からの力に身を任せる、イエスマンになるということは、もちろん会社の中でも重宝されると思われる
ただ、そこに身を任せることで自分は「部分」として機能し、会社に貢献しているという確信を持っているのも、一種のおもいあがりなのかもしれない
自分は割となんでも来いやタイプだったので、偶然に身を任せてしまうことこそ美しいと思っていた人間であったが、今回色々な人に相談して、やはり経験があったり大枠で物事が見えている人は「あなた便利屋として扱われているかもよ」と忠告してくれた
まあしかし9月くらいにはちょっと舞い上がってしまって、東京のどこに住もうかなんて考えていたアホな時期もあった
徳島県民だから阿波おどりの盛んな高円寺かな〜 でも家賃高いナァ〜なんて思いながら色んな街を見る作業は、とても楽しかった記憶がある
そんな自分にとって、東京というのはヒグマのような街であった
根拠はない なぜと聞かれてもわからないけれど
ただ、東京という街の論理に迎合していると幸せになれないような気がしていた
話し合ってどうにかなる相手ではない
決して気を許してはいけない
そんな都市であった
そこには色々な感情や論理が交錯し、中には非常に幼稚なものや低俗なものもあったと思うけれども、なにせ東京が個人的事情と紐付いていた時期は面白くて苦しくて、まさに連続キャメルバックの様相であった
スチールドラゴン2000🎢
— ジェットコースター男™【公式】 (@jetcoasterotoko) 2021年6月10日
ラストの連続キャメルバックが最高に気持ちいい‼️
凸を越えるたびにフワフワと体が浮いて、まるで夢の中で空を飛んでいるような極上の気持ちよさ✨
あの快感が永遠に続いてほしい😇#ナガシマスパーランド pic.twitter.com/e81ZIbegeD
そう、連続キャメルバックというのは気持ちいいのである
でも少し体が休まったとき、ドッと疲労や物悲しさに襲われるときがあった
本当に苦しかったときに友人に送ったラインは今見返すと面白いけど、当時は逼迫した状況であった
東京との間接的かつ個人的な関わり、それは例えるなら家の近くの裏山にたまにヒグマが出るようなもので、襲われる確率は低いものの、常に緊張感を持って日常生活を営む必要があった
そして今回、東京へ飛び込むチャンスを得た
これはもうヒグマを部屋の中に入れ込み、同居するようなもの
めちゃくちゃ怖いけど、なんとも刺激的な、そんな日々が待っているに違いない
ただ気を許してはいけない
先ほどの話と同じように、ヒグマに身を任せた結果、とんでもない力の偶然性(本能と呼べるかもしれない)をもって人体が吹き飛んでしまう可能性がある
でもそんな環境に生きる自分はどうなっていたのだろうか、と興味深く思うこともある
もうその選択はできないので、東京に住んでいた自分はとんでもないことになっていたに違いない、と正当化するしかない
偶然ではなく自分でそれを選択したのだから、色んな想像はしばらく消えないだろうけど
Spotifyをみると年間最も聴いた曲は「Juxtaposition with Tokyo」だった
これとMONO NO AWAREの「東京」は、マイベスト東京ソングである
ここは東京 君の東京
いずれ故郷の六畳と白い灯台は
君を抱けば白んで消えていく気がしていたよ東京 君のいる街東京
いつになっても故郷の小学校や太鼓の音色は
悩ましいほど目頭に浮かんではくるけれど
ふるさとは帰る場所ではないんだよ
ここは東京 僕の東京
いつも望郷のまなざしを飛ばしながら
まだ見ぬ新たな母を探している
ーー東京 / MONO NO AWARE
東京に行く可能性が50%くらいあることは周囲に伝えていたので、これを伏せていれば「さようならパーティー」みたいなものが開催されていたはずであった
会の終盤、こそっと廊下に行き、隠してあった中型のBluetoothスピーカーを肩に担き、上田正樹の「悲しい色やね」を爆音で流しながら「なおちゃん、東京、行かへんで〜!!」と登場するのもちょっとやってみたかった
とりあえず、これからもエゾシカのような街オオサカで 、私は生きていきます