割と髪伸びてきたし今週お客さんとの打合せもあるし髪切っとくか〜といった突発的な感覚で会社のお昼休みに美容院を予約した
行きつけのところは埋まっていたので、会社近くの美容院を予約
残業あるかどうか微妙だしとりあえず20時くらいに予約しとくか〜といった流れで予約したものの、その日は大した仕事もなく、ノー残業デーであったことから定時近くに退社
20時まで時間もあるので美容院近くの中華料理屋へ
こちらが本格も本格の中華で、メニューを読ませる気が一切ない
干すって漢字あんまり中華料理で出てきてほしくないかも
中華料理は水分油分を多く含んでいてほしい
かといって「湿」って漢字が入っているのもナァ なんて思いつつ結局日本語メニューもきちんとあったのでそれを見ながらビールも飲みつつお食事
しかし連日の疲れが蓄積されていたのか、やけに酔いがまわり、一杯飲んだだけなのに顔を真っ赤にして店を出る羽目に
フラフラと歩いて辿り着いたのは美容院
そう、今日は髪を切らなければいけない
赤黒い顔の担当の男性が後ろにつき「今日はどうされますか」と聞いてくださる
もうこちらは酔っているので「伸びた分だけ切ってもらったら」としか言えない
途中割とウトウトしてたりもして、気がつけば髪は切られており、ぼやけた視界が徐々に鮮明になり、鏡に映った自分が映し出される
目の前には小学校6年生、地元のスポーツ少年団に加入していた当時の自分がいた
??
伸びた分だけと伝えたはず
身長のことだと認識された?
それなら身長が何cm伸びる前ですかって聞いてほしい
勝手に今より40cm伸びる前の姿に戻されても
それとも阪神なんば線が延びた分だけと認識された?
阪神なんば線が延びたのは2009年3月なのでギリギリ小学校6年生の時期とも重なる
いや阪神なんば線が延びた分だけ髪切ってくださいってなに?どういうこと?
そこで重大なことに気付く
「前髪重ためで」
これをどこの美容院に行っても伝えているのであるが、今回は酔っていて伝えていなかった
結果として、おでんツンツン男ならぬ前髪スカスカ男になってしまい、スポーツ少年団所属のスポーツ刈りみたいな情けない髪型になってしまったのである
つくづく美容師という仕事は大変だと思う
正直あまり高給取りではないと思われるのであるが、こうやって人の人生に大きな影響を及ぼしてしまう責任が生じてしまうからである
実際に自分はこの髪型によって週末だれかと飲みたいナ なんて予定が吹き飛んだ
その予定が入らなかったにせよ一人でフラッと近所のバーでも行こうかなと思っていたのも保留にした
なぜならスポーツ少年団に所属しているからである
スポーツ少年団に所属しているということは現役バリバリの小学生なのでバーに行っていいはずがない
スポーツ少年団に所属している学童は「イッツェー イッツェー(1 2 1 2 というランニングのときの掛け声が形骸化し音声情報も崩壊したもの)」という鳴き声とともに荒野を駆け回らなくてはならないのだ
しかし疑問なのは、なぜ美容師は前髪をすいてしまうのかということ
そもそも、髪が伸びなければ髪を切りたいという欲求はおそらく生じない
髪を切ることそのものによる快楽というのもほぼ発生しないし、髪を切らなくても生きていくことは可能
あくまでも髪を切るというのは生理的な欲求ではないように思える
そうなると、髪を切りたいと思わせる主体は「髪の毛そのもの」のみであるといえる
つまり中央政府である「人格」は、地方自治体である「髪」からの”人口増えすぎて住環境が悪化しているので対策をお願いします”との要請を受けて仕方なく補助金を出して対処しているに過ぎないのである
そうなるとより一層不思議になるのが美容師による”髪の毛を必要以上にすく”という行為である
人間の生理的欲求に「髪の毛を切りたい」という項目が含まれない以上、当然ではあるが髪の毛がないと美容師の仕事というのは成立しない
つまり髪の毛というのはマーケットそのものである
しかしそのマーケットそのものを縮小させるがごとく、バッサリと髪の毛を切りにかかる
例えば賃金システムが、対・切断毛量で決まるのであればまだわかる
切れば切るほどお金がもらえるし、他社に顧客を奪われないうちに刈り取ることができる
しかし当然そんなわけはないので、極論髪の毛を1本のみ切ったとしても正規料金は発生する
切る髪の毛が少なければ少ないほど、当然すぐに髪の毛は増え、美容院に行く頻度も増えるしそのほうが儲かるのである
であればなぜ必要以上に髪をすいてしまうのか
明らかにイケていない髪型にさせることで、本人がストレスを感じ、ハゲ散らかし、余計にマーケットが縮小する恐れさえある
悪循環ではないか
8人兄弟の6人目として生まれた柳田國男は、13歳のときに偶然近所のお寺で「間引き絵馬」を目にする
「その図柄は、産褥の女がはちまきを締めて、生まれたばかりの嬰児を押さえつけているという悲惨なものであった。障子にその女の影絵が映り、それには角が生えている。その傍らに地蔵様が立って泣いているというその意味を、私は子供心に理解し、寒いような心になったことを今でも覚えている。」という風に柳田は自著で述べている
これは、柳田國男自身が6人目として生まれたことから、家が違えば自分も間引きされる可能性があったという恐怖も加わっており、そこから飢餓を撲滅するため(間引きが起きないように)の民俗学への道を歩むとともに、「間引きされていたかもしれない自分」という自分の存在自体の揺るぎからロマン主義へと走るのである
ここで考えられるのは、髪の毛も「すいている」のではなく「間引いている」のではないかということ
美容師にとって髪の毛というものは自身の精神をすり減らすような存在であり、マーケット規模(毛量)も一定程度に抑制しておいたほうが都合がいいのかもしれない
美容師がマーケット規模を抑制する理由については全く思い浮かばない 誰か考えてほしい
もしかすると、そこには「間引き」のような複雑で深刻な世情が絡んでいるのかもしれない
ただ、ひとつ確実なのは、間引きによって私自身も柳田國男と同じようにその恐怖におののき、急にスポーツ少年団に再加入させられたことによる自我の揺らぎを経験しているということである