「1万5千円あったら何が欲しい?」
うーん なんでしょう
考え込んでしまった
家から徒歩10分 パスタが美味しいバー
ずっと行きたいと思っていたもののなかなか行く度胸がなく、今日が初めての訪問だった
ゆえに少し緊張しており、ぼーっとメニューを見ていたときに右隣のお姉さんに話しかけられたのが冒頭の言葉であった
カウンターの向かいにいる男前の若い店員が今月いっぱいで辞めてしまうらしく、なにか最後にプレゼントを贈ろうと思い、なにをあげたら喜ぶだろうと俺に質問してきたらしい
1万5千円って予算でかないですか?と指摘しつつ、唸りながら考える
生ハム・・・ですかね・・・
大学時代はランダムステージ構築に魂を売ってしまったのだが、その過酷さゆえ色んな人から差し入れをもらうことがあった
その差し入れのひとつに生ハムがあった
ランダムステージ構築係のドカタ連中はこの生ハムに狂喜乱舞した
その日から俺たちは生ハムと共に「過ごした」
生ハムが中心にある生活
なんて幸せなんだろうか
ただ写真を見返すと一緒にいる連中の民度が低すぎて差し引き幸福度はマイナスだった気がしてくる
生ハムを食べ過ぎるとどうなるか、これってそこそこの富豪も知らないんじゃないかと思う
当時、室内楽団という年会費3,000円のサークルを「年会費が高すぎる」という理由で離脱した極貧人間の自分だったが、生ハムを過剰摂取するとどうなるかという、富豪も知らない真実に21歳にしてたどり着いた
答えは油分の摂りすぎにより引き起こされる嘔吐であった
しかしそれはただの嘔吐ではない、「幸福な嘔吐」であった
椎名林檎の楽曲にありそうなタイトル
そんな生ハムと過ごしたかけがえのない日々を回想し、そしてそれを説明しながら、生ハムへの愛を伝えた
「でも生ハムって土台の木の部分も割と値段するっていうよね」
お姉さんから指摘が入る
「あ、そうなんですか!生ハムってランニングコストで稼ぐんですか!コピー機と同じですね!」
あとから思い返しても自分のこの言動は本当に意味がわからない
頭が悪すぎる
生ハム愛を伝え終えたからもうどうでもよくなっていたのだろうか
肉部分がイニシャルコストで木がランニングコストなわけがない
どちらかというと逆な気もするけど逆でもない
途中で40代くらいの男性のお客が店にやってきて、左隣に座った
俺はずっと右隣のお姉さんと話していたのだけれど、ちょこちょこ左隣の人と店員との会話が耳に入ってくる
その会話の断片には、大阪の色々なホールや劇場の名称が混ざっており、俄然興味が湧いてしまったので、お姉さんがトイレに行った際に左のお兄さんに話しかけてみる
劇団員の人であった もともとは劇団四季にいたらしい
無条件に憧れるよね 劇団員
「いやー なかなか演劇って若い子が見てくれないんですよね チケットが高すぎるんですよ」
劇団員は嘆く
バーで嘆く劇団員が1番かっこいい
誤った生ハムの収益構造を語る交通計画技術員が1番ダサい
よく出禁にされなかったなと思う
たまたま最近見た本に、ニューヨークやロンドンの劇場では学生向けの格安立ち見席が売られていて、気軽に若者が立ち寄ることができると書かれていたのでその内容を伝えると、
「それめっちゃいいですね!日本でもやるべきですよね」
と興味を持って話を聞いてくれ、そこからは色々とお話ができた
今は”ドリームガールズ”という演目に出演し、大阪公演があるときはこのバーに寄るそう
今週末も梅田芸術劇場でやるんですといった話や、演目内容を時代背景から丁寧に解説されているうちに、このお兄さんの演劇愛と相まってなんだか行きたくなってしまい、「行きまあす」と宣言してしまった
そのあと、演劇を観に行く見返りといっては下品だけれども、当時個人的に苦しんでいた出来事があったので、人生相談をさせてもらった
こちらの相談を受けたお兄さんはゆっくりとした口調で語る
「劇団員というのはね、悲しみや怒り、そういった消化できない感情に対して、自らを俯瞰的に見つめたうえでそれを演技に昇華させる。だから劇団員にとってそういった出来事は自分を強くする材料になるんです。」
私は劇団員ではないのですが・・・という言葉が前歯まで来ていたが、ただこれは一般化できる考えでもあるので、しっかりと受け止めた
昇華作業を行うプラットフォームはこういった文章によるものかもしれないし、人との会話かもしれない
あるいは全く別の、仕事だったり趣味だったり、そういったところに見出だせるのかもしれない
劇団員のお兄さんは明日も本番らしく、2杯ほど飲んで帰り支度をし始めた
チケット買っときますねと伝えると、「ああいいよいいよ、取り置きしとくから明日改めてLINEちょうだい」と、LINEの交換だけして、先に店を出られた
翌日
行くと言ってしまったから行かなきゃなあと思って演目のチケットを見る
1番安いB席でも5,000円
普段舞台とか行かないから高く感じてしまう
趣味における入り口問題って難しいよね
例えばスキーにしても、安く済まそうと思えば近所の滋賀のスキー場へ行くのが1番なのだが、スキー場の質は低く、本当に楽しめるのかと思う
一方、お金をかければ信州方面の良質なスキー場へ行けるわけだけど、初心者ゆえ支出額と楽しさを比較したときにきちんと納得してくれるか心配になる
おそらく今自分は信州方面のスキー場へ行こうとしている
たった5,000円だけれど
「昨日は楽しかったです!すみませんB席を1枚取り置きお願いします!」
昨日のお兄さんにLINEを送った
「ごめん!もうS席を押さえちゃってて (汗汗 の絵文字)」
予期せぬ返事に言葉を失う
S席?松竹梅の梅の頭文字BよりB席を指定したわけだが、松の頭文字Sいかれました?まじ?
恐る恐るホームページを見る
松竹梅の3段重ねがきちんと機能しており、松は梅の3倍!わかりやすい!明瞭会計あざすあざす!!
チケットが高すぎることを嘆いていたお兄さんの言葉
1万5千円あったら何が欲しいと尋ねてきたお姉さんの言葉
色んな音が脳裏を飛び交う
俺の1万5千円はここに収束した
でもこれもなにかの機会
なかなか舞台を見ることもないし、普通に興奮してきた
体感では客の8割が女性でびっくりする
席は2階の前の方だった
「2階の方が全体の構成とか見やすいよ!」と、LINEのメッセージにも書いてあった
舞台が始まる
おおまかなストーリは、黒人3人組のグループがプロのシンガーとなり、まだ黒人差別の色濃く残るアメリカにおいて、逆境に負けず成功していくような内容であった
始まってすぐ、まずプロとなるオーディションに受かり、そこからトントン拍子で活動範囲を広げていく3人組
収入=お湯 と表現するのは上の記事では意図しないものであるけれど、今だけそういった仮定を持つとすると、舞台が始まって序盤で彼女たちはプロとしてそこそこの地位になり、鉛温泉へ飛び込んだ
鉛温泉は深さ1.3mの浴槽があり、肩までどかんと上質なお湯が包み込む
つまり、彼女たちは色んなことにチャレンジしていくのだが、見ている側としてそこには「危険」が伴っていない感覚があった
もしこのチャレンジに失敗してもあなたたち鉛温泉に浸かっているから大丈夫ですやん、と
例えるならベンチャー企業が一か八かで販路を広げていくような、スリリングでワクワクするような話ではなく、アイリスオーヤマがひたすら新商品を開発していくような話に自分は感じられた
この前バーにいたお兄さんは主役級ではなかったのだけれども、その分色んな役をされていて、1番良かったのが「黒人3人組の曲を全パクリして自分の曲としてヒットチャートに載ろうとする白人」の役であった
出てきた瞬間ウォーターワールドのごとくブーイングしてやろうかと思った
自分が現実と虚構を区別できない人間であったなら
「すみません、あんまり長生きされない方がいいかなって(汗汗 の絵文字)」と終演後にLINEを送っていたかもしれないので、最低限の判断力がある人間でよかったと思う
その後も3人組の中でも主役のシンガー(福原みほがやっていてめちゃくちゃ歌は上手かった 福原みほってどこかで聞いたことあると思ったらPYRAMIDの最新アルバムで歌ってた人やった)が、グループ内で男を取り合ったり、高いプライドゆえセンターを譲ることを断固として嫌がったり、割と内輪のゴタゴタがメインで話が進んでいく
このあたりも、もっと時代背景と絡めて、社会との軋轢みたいなものが表現されていたら面白かったかも、とか
結果的に主役のシンガーはグループを出ていってしまうのだけれど、最後にそのグループの引退ライブのときに復活!
周りの客は割と泣いていたけど自分はあんまり感情移入できなかった・・・
といった感じで個人的にストーリーはそんなに刺さらなかったけれど、久々の生演劇というのは興奮する内容ではあった
まず舞台の華やかさ、転換のスムーズさ、そして演者の声量、演技力、歌唱力
さすがプロはすごいなあと終始圧倒されていた
そしてそれを2階から見下ろせたのが良かったと思う
舞台上ではあくまでスポットライトが当たっている箇所の演者をメインにストーリーが進んでいくが、その後ろの暗い箇所でも色々な演技をしている役者がいる
こういった奥行きや明暗差
また同じ舞台上で、過去の出来事や違う場所での出来事がふと挟みこまれることがある
時間や距離といった制約を超えた出来事同士の併存
そして舞台が暗転すると全く別のセットになり、演者たちの立ち回りも変わる
これらは主観的な意識の流れに似ているんじゃないかと思った
そして、バーで出会ったお兄さんは「自分を俯瞰的に見る」ことの大事さをおっしゃっていた
つまり、主観的かつ俯瞰的に、まさに2階席から舞台を見るように自分を見つめることができれば多面的に物事が見られるような気がする
そういった意味で、今回の舞台はこの「視点」を獲得できただけでも有意義だったなあと思う
そしてここで大事なのは、そうやって自分をメタ的に見たときに、その舞台をパロディ化して自暴自棄になったり、ニヒリズムを抱き何もやる気が起きなかったりしてはいけないということ
俯瞰的に見るけれどもしっかりと自分と向き合う、といった姿勢を持つ必要がある
簡単にできることじゃないけどね
また、舞台が暗転して違う環境が映し出されるように、人は色々な環世界を生きなければならず、その環世界間の互換性、つながり、分断、等々、、といったところも改めて俯瞰的に見つめてみると色々なことが見えてくるはず
1番わかりやすいのは仕事における自分とプライベートにおける自分、これがどこまで相互に影響するものなのか
人によっては全く暗転せずに地続きで舞台が進行していくのかもしれない
もちろんなにが正解とかはなく、千差万別だろうなあと
冒頭のお姉さんとはその後毎週お酒を飲む仲になったのだけれど、もうすぐ四国八十八ヶ所巡りに旅立ち、1ヶ月ほど帰ってこない
自分の舞台の奥の方にはしばらくミニ四国山地がそびえ立ち、たまに舞台中央へと四国特有のぬるくて湿度の高い風を送り込んでくれるのだろう
これからも様々な出来事や色んな人間と出会い、自分の舞台はそのたびに華やかにカオスになっていく
ただ、ボブサップVS曙を生で観戦したという直属の上司のシンボルとして、限られた舞台スペースの目立つ位置にいつまでも曙が寝ているので、これだけはどうにかしたいなと思う