人から薦めてもらった本はなるべく読もうと思っている
それが初対面の人だろうと薦めてくれた本はその場で(メルカリとかで)買ってしまう
逆の立場で「おすすめの本は?」と人から聞かれたら、真剣な脳内選書が始まるはずなので、他人が薦める本も絶対に面白いはず
そして、きちんとその場でメルカリの「購入しました」の画面を見せる
これは”愛を伝える”行為でもある
最近薦められた原田マハの「楽園のカンヴァス」が面白いので、今朝もカフェでも行って途中から読むかーと天満界隈を散策する
道中、居酒屋の前の黒板に目が留まる
この店は1度行ったことがある
じっくりと読む
ふむふむ 薄いなあ
薄いなあと思いながらps以降を読む
ふむふむ キツいなあ
本文だけなら薄いで済んだけど、psがキツい
胸が締め付けられるような感覚になる
なにを言っているんだお前の文章も薄いし痛いだろと反論されると思う
薄いし痛いのは本当にごもっともだけれども、大きな違いは「これを公共に晒しているかどうか」である
この黒板は路地に晒された状態で、大衆に読ませようと思って置かれている
そして読んだ側はダメージを食らう
「街が臭くなる」は未だに思い出し笑いをするほど人生の活力となっているのだが、こういうのは本当に苦しくなってしまう
これは近所のお寺の掲示板
もう街なかでの主義主張は寺社仏閣しかしてはいけないと取り締まるべきではないか
この掲示板も一瞬「戦争賛美」かと思ってビビったけど多分そういう意図ではないらしい
路地の道路側へ向けた看板にはメニューしか張り出してはいけない法案
自分がいつか政治家になったらこれを通したいと思う
バイデン 350円
実は 570円
AI 230円
みたいなメニューが張り出される可能性があるが、もうそこまでして主張したいのであれば放っておけと思う
さて、なぜこの黒板の文章にこんなに苦しんでいるかというと、自分の街を愛しているからである
要するに自分の街に帰属意識を持っている
だからこの街に住む他の住民に苦しんでほしくない
ただその想いだけ
お前が旅をする目的ってなに?と友人に聞かれたことがある
少し考え、「神経を広げるため」と答えた
旅行に行った土地には少なからず愛着を覚える
それは言い換えると、自分の神経がその土地に行き渡ったような感覚、となる
以後、その街で起こった出来事には関心を持つようになるし、感情を動かされるようになる
「旅」だなんて崇高な言い方はそんなに好きではなくて、別になんの目的もなく「旅行」をするのだけれど、ただこの「神経を広げる」という感覚だけは持っていたいなと思う
そうして自分は様々な場所に帰属意識を持つことになる
日本国民としての帰属意識は常に持っているつもりだけれど、様々な地方の帰属意識はまた別の階層として持っていたい
友人たちと、自分はどこまでの帰属意識を持っているか?の話になったことがあり、ある友人は「アジア」と答えた
それは素晴らしいことだし、自分もいつかは「アジアの中の坂本」との意識を持ちたいと思う
いろいろな方言を許容できる方だけど、「片付ける」のことを「なおす」という方言だけは受け入れられない。なおすは修理することだろ
— pato (@pato_numeri) 2022年12月8日
patoという有名なブロガー?がいて、日本各地を旅行する記事がよくバズっている
すごく読み応えがあり、才能のある人だなあと思う
ただ、様々な土地を歩いた結果として、方言を「許容する」「受け入れる」だなんて考え方をまだ持っているのだとしたらそれは残念なこと
水曜日のダウンタウンがイタコを馬鹿にしたような企画をしていたが、こういうのも無教養が産んでしまう悲しき出来事だなあと
そういったことをふまえて、どこまでできるかはわからないけど、様々な土地の文化や風土に触れた上で(文化や風土を理解すると書きたいところだけれど、理解することなんて短期滞在ではできないし、簡単に理解するなんて言ってはいけない気がする)、最低限の帰属意識を持つ
理想論だけれど、そんなことができればいいなと思っている
この黒板に胸を痛めたのは街への帰属意識ゆえかもしれないけれども、この店も地域で生きているお店で、地域の方を元気にしているはず
だから黒板を見て、狭い視点で「これは地域への悪影響だ」なんて思ってはいけないのです
そういったところで自分もめちゃくちゃ考えが浅いし薄いし痛々しいので、きちんと生きていきます
まあそんな具合で外を歩くとこういった出会いがあるので、これからも本は外で読もうと思う