中崎町に引っ越してちょうど1年ほどが経った
たまたま街でタイムトリップ展のポスターを見かけ、「古写真座談会」をのぞいてみることに
人生で実家以外に住んだのは中崎町が2回目
最初は大学生のころに住んだ出町柳
うんちみたいな物件だったけど、出町柳は本当に素敵な街だった
あのときは、適当に物件を選び、住んでみてから良さに気付いた
そして2回目の引っ越しは社会人になってからの中崎町
中崎町に会社があることから既に中崎町の魅力というものには気付いており、住むならここか谷六とかかなという感じで、最初からある程度の愛着があった場所である
今後、人生を進めていくなかでまた居住地の選択を迫られるときがくるだろう
そのとき、可能であれば愛せる街に住みたいと思っている
ただ、愛せる街の候補なんて頭の中にいくつ浮かぶだろうか
例えば、川西や豊中なんかは住みやすいんだろうなとは思うけど、いまその地域に対して愛があるかというと全くないわけで
そうなると、”住んでから愛を醸成する”という手順を踏むことになるかもしれない
これは自分の出町柳での過程と同じである
ではどうやって住んでいる場所に対して愛を育んでいくかという、そのひとつの解が”住んでいる街の歴史を知る”ということだと思う
歴史のない街などおそらく存在しないし、過去を知ることで街への親しみ、また街に暮らしていた先人への尊敬、そして受け継ぐべき文化や精神性なんかも見えてくるかもしれない
と、前置きが長くなったけれども、まあ既に愛着はあるわけだがより愛を深めるためにこういう企画に参加してみた
座談会はスクリーンに古い写真を写し、それに対して北区の各地域の自治会長さんみたいな人が風景の説明や個人的な思い出を語るというものであった
おそらく大事なのは「個人的な思い出を語る」という部分であって、こればっかりはいくら図書館やネットを漁って古写真を手に入れても得ることができない情報であり、それによって写真に見えている情報以上の様々な情景が浮かぶようであった
また、座談会では天六のガス爆発の話が出た
恥ずかしながら自分はそんな事故のこと全く知らなかった
どれだけ凄惨な事故かは話を聞くだけでも伝わったし、改めて帰ってから調べてもあまりにも悲惨なものであった
いま当たり前のように都島通りを歩いたり谷町線に乗ったりしている日常は、こういった過去があった上で成り立っているものであるのだが、自分はこんな大事故のことを一切知らなかったのである
こういった負の歴史も語り手がいないとなかなか伝わらないことなのかな、とも思ったり(自分が勉強不足というものあるけれど・・・)
座談会のあとは実際に古写真をパネルとして展示してあるコーナーに足を運ぶ
なんか見覚えのある風景だなあ とか
帰り際に同じ場所で撮ってみると、なんかそんなに空気感は変わってないような気もしたり
企画を体験して改めて思うのが、当たり前だけれども都市にも歴史があるということ
ただ都市の歴史というのは掴むのが難しい
例えば屋久島の森の中に行って「100年前の景色を連想しなさい」と言われても、おそらくこのままの景色なんだろうなと想像がつくし、田舎の田畑が広がっている地域もおそらく100年前もこんな感じなんだろうなとおおよその見当がつく
しかし、都市はなかなかわからない
道路の形くらいは昔のままだろうなとは思うけれども、ビルが1つあるかないかで景色も大きく変わるし、人の入れ替わり、建物の入れ替わりの速度が非常に早い
なんせ都市には土(地形のわかる地面)が少なすぎる
地形なんておいそれと変わるものではないので、土が見えていると過去も連想されやすいのであるが、都市の地盤は人の手があまりにも加えられている
また、街の歴史はもちろん「人」もひとつの要素であるが、なかなか「ふるさと」と「都市」というワードが結びつかないというのも自分の中にあった
「ふるさと」といえば「兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川」なのである
まさかそれを天保山と安治川で代わりに連想するのは困難であるし、どうしても「ふるさと」というワードからは農村風景が浮かんでしまう
しかし当然北区で生まれ育ち、今もここで暮らす人は大勢いるわけであり、今回の座談会でも参加者の大半は高齢者の方で、おそらく北区に縁が深い方ばかりなのだろうなと思う
そういった方々の姿を改めて認識できたのもよい機会であった
というわけで、あえて情報を取りにいかないとなかなか見えてこない都市の歴史
したがって、今回のような企画は非常に有意義であったし、今後も定期的にこういった企画を開催していただきたい
とかいった感想を持ちながら、中之島周辺をぶらつく
北区の歴史を知って、なんのあてもなく散歩がしたくなったからであった
「住んでいる街の歴史を知る」
もとい「今いる場所に過去になにがあったかを知る」
自分がこの行為にロマンを感じる、その要因を突き詰めて突き詰めると小学校低学年のときに見たクレヨンしんちゃんの「アッパレ戦国大合戦」にまで遡るのではないかと思われる
戦国大合戦では、野原一家が戦国時代にタイムスリップしてしまうのであるが、ここで肝となるのが、飛ばされる先は「今いる場所と全く同じ場所」ということ
つまり戦国時代における「野原家の一軒家が建っている場所」に飛ばされるのであるが、それは小さな池のほとりであり、その池は戦国時代の春日部の人々の憩いの場でもあり、、、
といった設定のもと話が進むのであるが、終盤、野原一家が現代に戻るにあたって春日城の姫との別れのシーンで野原しんのすけのセリフ
「オラ達は帰ったあともずっとここにいるよ」というのがあまりにも印象的で、切ないような暖かいような難しい感情に襲われるのである
ここまで書いて思ったけれども、小学校低学年のときにこんな感想持っていたわけがないので、これは大人になってから改めて戦国大合戦を見たときの感想でした 虚偽虚偽
とりあえず、住んでいる街の歴史なんて興味が持てないと思う前に、この戦国大合戦を見てほしい
そこにある壮大なロマンを感じてほしい
というわけで、タイムトリップ展によって一層熱くなった中崎町愛
しばらくはこの街に住み続けたいかな
そしてまた他の街に住むことがあれば、その街を後ろからそっと抱いてやろうと思うのです