大都会梅田に住んでいるので常に看板に囲まれた生活をしている
看板または店の装飾というものは、その店の顔でもある
店主が一世一代の思いで出店したような店も多いだろうから、そのデザインというものは我々サラリーマン畜生が三日三晩考えた程度では創造できないような、独創的なものが多い
たまに行く喫茶店「まりも」
Mの文字をあしらったと思われるアーチ状の土台の上にぽっかりと浮かぶまりも
何度見てもうっとりとしてしまう芸術的なロゴとなっている
まりもは朝7時からやっていて400円くらいでコーヒーとトーストのモーニングがいただけるので非常にありがたいが、喫煙可なのでヤニカスがめちゃくちゃ来る
夏の道東かと思うくらいの副流煙のモヤに咳き込みつつ、美味しいモーニングと読書などを愉しむ時間は、ギリギリ副流煙の苦しさが勝って有意義でもなんでもないのだが、それでも月イチくらいで来てしまう
あと梅田界隈でイチオシがつばくろ診療所
つばくろ診療所は心療内科となっており、精神を傾かせることで常連になることが可能だ
ただ、やっとつばくろ診療所へ通うことができる、そういった精神状態になったときにはもうこの看板を美しいと思うような心の余剰は消え失せている
つまり永遠につばくろ診療所の「美しさ」は手に入れることができない
これがつばくろ診療所のパラドックスである
他にも好きなデザインはたくさんある
このような「なんとなく好きなデザイン」というのは心に留めておくと興味の幅が広がる気がしている
たとえばつばくろ診療所の絵は、おそらく版画で書かれているように思うが、この看板きっかけで版画の世界に興味を持ったように思う
去年東京で観た「東北へのまなざし」展では勝平得之の版画が何点か展示されてあり、その美しさに心を奪われてしまった
その展示会では展示がなかったものの、1934年に制作された「河畔雪景」なんてもう絶品である
4月には葛飾北斎美術館に行き、恥ずかしながら富嶽三十六景の「神奈川沖浪裏」が版画で制作されていることも初めて知った
なんか滝の絵がすごく良かったのでポストカードを買って帰った(「下野黒髪山きりふりの滝」)
先ほど貼った「かわせみ学童保育所」に心を惹かれたのは昔よく読んでいた村上康成の絵本と作画がよく似ているからだとあとから気付いた
そして村上康成の絵を見てみると全然違ってビックリする
看板を撮った時点では、これはもはや村上康成本人の絵に違いない、などと思っていたのだがどこで思い違いをしたのか
村上康成の絵が再び見たく、村上康成美術館に足を運んでみようかと思ったが、今年閉館になったみたいでめっちゃ落ち込んだ
もう少し早くかわせみ学童保育所に出会っていれば
なんとなくシンパシーを感じるイヌのフォルムは、我が故郷四国が想起されるからだと気付く
脱糞中の犬畜生と四国が同じ形だなんて考えたこともなかった
生まれ故郷徳島は幸いイヌの顔面の部分なので、尻尾の佐田岬半島の下のケツの部分にあたる八幡浜とか西予の人間のことは死ぬまで馬鹿にしようと思う
看板とかではないけれど、オシラサマのビジュアルは理由なく鳥肌が立つような感覚がある
オシラサマ
— 遠野市立博物館 (@tonomuseum) 2023年8月6日
岩手県二戸市浄法寺町
オシラサマは2体1組が基本となっているが、複数体を持つ家もある。家の神、養蚕神、目の神、お知らせをする神などとして信仰される。
岩手県立博物館 蔵
呪符展〜9/24 pic.twitter.com/vhcPnJlZdB
オシラサマについては各家庭で信仰され、あまり外部にその情報が出ないこともあってまだ不明瞭な部分が多いらしい
そういえば東北への興味を持ったのも、なんとなく昔から好きだった太陽の塔→岡本太郎という流れであった
民俗学の本はいくつか読んだことがあり、その小難しい内容に投げ出してしまうことも多かったのだが、岡本太郎の民俗学は大胆な仮説をぶつけてそれを立証しに現地へ行くというスタイルで読んでいてすごくワクワクする内容であった
中でも東北編のエロとオカルトの世界にすっかり魅了されてしまい、去年から東北のことばかり考えている
「岡本太郎の見た日本」は、岡本太郎の記述を引用しつつ、民俗学者の赤坂憲雄がそれを補足する形でわかりやすく書かれたものであり、去年読んだ本の中でも3本の指に入る面白さであった
「なんとなく好きなもの」に理由を求めすぎるのはあまり良くないと思うけれども、少し突き詰めてみれば自分の根幹とか、逆にまだ見ぬ世界とか、そんなところに触れられるのかなと少し思った
とりとめがない 何が書きたいのかよくわからない
みんなの好きなデザイン 教えて