なおやんの 手記手記 しゅっき〜

なおやんの 手記手記 しゅっき~

痛みに耐えて よく頑張った

ブログタイトル

裁判傍聴に行った話

したいことリスト

2018の年末かな、年明けを2時間後くらいに控え、急にしたいことリストを作成しようと思い立った

残り2時間で仕上げなければならないので、当然ゴミみたいなクオリティであったが、その中に「裁判傍聴に行く」というのを入れていた

ちなみにしたいことリストの中でも1番したかったことは「野生のシャチを見る」(未だ未達成)

 

そんな2019年したいことリストの1つであった裁判傍聴にやっと行ける機会が訪れた

夏休みが1日余っていたのと、かねてから裁判傍聴に行こうと約束していた友人が同じく休みをとってくれた 裁判は休日には開かれないので、まず休みを取るというのが1つのハードルなのである

 

当日

野球初心者がとりあえず甲子園に連れられるように、裁判初心者も犯罪の聖地「大阪」の裁判所に行くべきだと思い、大阪地裁へ

 

まず建物に入るにあたり、空港みたいに持ち物検査があり、いきなり驚かされる

ベルトコンベアに消えるリュックを見守るといつも得も言われぬ高揚感に包まれる よおし北海道に行くぞ〜〜!って気分になる

 

入ってすぐのところにファイルが置いてあって、フェスみたいに今日のセットリストを見ることができる

どいつが一番フロアを湧かせられるか?の観点で選ぶので室内型のフェスと同じだと思っていい

写真撮影は禁止なので、良さげなのがあればメモメモ

 

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1件目 住居侵入・窃盗罪

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参考画像



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法定はこんな感じで、手前の柵のこちら側が傍聴席になっている

しばらくすると、被告人の男が入ってくる

ジャズ系のライブハウスでよくある、客席を通っての入場(ファンとハイタッチしながら)なんてものはもちろんなく、柵越しに見ることになる

被告人は警察官2人に両脇から連れられ、フラフラと法廷の中心へと歩く

手には物々しい手錠

よくニュース映像で、警察に連行される被告人の手の部分だけモザイクがしていることがあって、なんでそんなことをするのかわからなかったけど、実際目の前で手錠というものを見ると、これが想像以上にショッキングな映像であることがわかる

 

まず被告人が人違いでないことを確認するため、被告人は自ら名前・生年月日・住所を読み上げさせられる

生年月日からこの方は60代であることがわかったが、住所の読み上げで縮み上がった あまりにも実家と近いのである

怪談「メリーさん」を超高速でやられてるような、奈良県!○○郡!!と近付いてくる瞬間的な恐怖にチビりかけた

 

さてここからは検察官が実際の罪名や犯行状況を述べてくれる

・被告人は前科6犯、初犯16歳という経歴を持っている

・停職につかず家もなく、ネットカフェを転々としていた

・ついに金が尽きて宿すら確保できなくなりそうなので、仕方無しに窃盗に入った

流れとしてはこんな感じであったが、次に気になる状況が出てくる

 

被告人は、1階にはおそらく誰もいないだろうが2階には人影が見えている、そんな家に忍び込んだのである

 

なぜ人がいることがわかっている家に忍び込んだのか 当然の疑問が沸く

 

これについては、実際に盗みに入った人間にしかわからないのであろうが、「いつ誰が帰ってくるかわからない状況ほど怖いものはない」と供述したらしい

ホラー映画を見ていて、追われる立場のカメラから、追う立場のカメラに切り替わるとき、無性にホッとすることがある

敵の現在地がわかるというのは、それが近くであり、危険な状況であるにしても「救い」に思えてしまう

結局被告人はドカドカと1階に降りてきた住人と鉢合わせして万事休すとなるが、それでも姿の見えない恐怖に震えるよりかマシだったのかもしれない

 

そして検察官のターンは終わり

 

さあ弁護人のターン

異議ありー!言え!ありー て!湧くどーフロア 言え言え 

 

 

立ち上がりかける中腰くらいで弁護人の口からテナーサックスみたいなふわふわとした音が出る

「全て同意します」

 

こうして、世の中で1番何も起こらない日本語が弁護人の口から飛び出し、裁判は20分ほどであっけなく終わった

次回日程を決めるとき検察官も弁護人も裁判官もみんなメモ帳とかスマホとか取り出して「○日の午後行けます?」とかその場でやり出して、バンド練習の予定決めるとき思い出した 音楽したいなあ

 

2件目 覚せい剤取締法違反

次はうってかわって30代の女性

自分の名前・生年月日・住所の読み上げの段階から非常に歯切れが良く、礼儀正しい方でもあり、薬物なんてやっている風にはみえない

 

彼女も前科持ち 前科3犯 全て覚せい剤

摂取したのは「○○○プロパン」という薬物

検察官がもうこのワードにこなれすぎてスラスラと言うからなんという薬物か全然聞き取れなかった

フェニルアミノプロパンかフェニルメチルアミノプロパンのどちらかのはず

 

「被告人は、場所は不定であるが全国各地で薬物を摂取しており・・・」と、いきなりよくわからない日本語が飛び出す 場所不定の全国ツアーてバンクシーかなんかですか

 

職歴は不明で、家はなく、ホテルを転々としたり野宿をしたりして生活

もうお金も尽きそうなある日、ついに自ら交番に出向き、保護して欲しいと頼む

 

「ここで被告人は警察官に対し『私シャブ打ってます』『じゃあシャブにしよ』などと発言し・・・」

こうして彼女は捕まった

 

検察官が大真面目な顔で、でもちょっと当時の感情を再現するかのように少し軽めな感じで

「じゃあシャブにしよっ」

て言ったときはさすがに笑いかけてしまった

 

じゃ

1. 前の事柄を受けて、あとの事柄が起こることを示す。それならば。じゃあ。「『私は行かない』『じゃ、僕が行こう』」

2. 前の事柄と関係なく言葉を続けたり、話題を変えたりするときに用いる。それでは。じゃあ。「じゃ、失礼します」

 

 

「じゃあ(じゃ)」が持つ2つの意味、1は順接に近い意味、2は転換となり、そのままコトが進んでもシャブ、どこかに逃げようと思ってもシャブという、絶望的な状況を表すのにこれ以上の言葉はないのだと気付かされる

それをもってして、「じゃあ」の持つどこか軽いニュアンスによりそんな鬱蒼とした状況を切り開きたいという想いも伝わる 笑っている場合じゃない この言葉は重たい

 

そして彼女はその当時のことを本当に覚えていなかった

その前後も、つい先週のことすら

ピアノマンくらい記憶がないのに、「何も覚えていないんです!」とやけに歯切れのいい言葉で話すのでそのギャップに混乱しそうになる

 

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ピアノマン

こうして本当に何も覚えていないまま裁判は終わった

その歯切れの良さは本当に記憶がないのか、それとも前科からくる裁判慣れに起因するものか、、、

 

他人事ではない

2つ続けて裁判を見たのでさすがに疲れて外へ出る

大阪地裁の目の前には堂島川が流れており、ここでのんびり過ごすことができる

 

濁った腐り川が俺に問いかける

「本当に他人事だと思ってる?」

くっせえ喋りかけてくんなと思いながらも考える

 

罪を憎んで人を憎まずというが、今日見てきた2人も、色々なものに追い込まれた末、犯行に至ったように思える

もちろん被害者が存在する以上肯定はできないが、生まれ育った家庭環境、周囲の環境、また何か自分の努力でどうしようもない不運なこと等、本人に非はなくとも、堕落をしてしまう可能性は十分に有り得る

例えば中学生のときに、中学生の判断力で、遊び半分でシャブに手を出したら一生を棒に振るなんて可哀想な気もする だって中学生やで

でもそこからは抜け出せないし、本当に一生を棒に振るしかなくなる おそらく今日の彼女も更生できないのだと思う

 

犯行そのものは絶対に否定されるべきであるが、そこに至る過程を聞くと色々と考えさせられる これだけでも裁判傍聴に来る価値はあったと思う

 

コロナ禍で飲食店が潰れそうなとき、信じられないことに「自己責任だ」と叫ぶ人がいた

たまたまその人は頭が優れているから一般企業に入れただけで、この強みを体力に見出すひともいるし、人当たりの良さに見出すひともいる 色々いる

ホワイトワーカー、ブルーワーカーという言葉のせいで、頭脳労働者の方が上のような風潮があるが、決してそんなことはなく、生かす強みが違うだけの話

そう考えると、飲食店が潰れて自己責任なわけがないのである(営業努力を明らかに怠ったとかそんなんではないとすれば)

ちょっとした人生のさじ加減で人生は180度違う方向へ行くのであり、苦境に立たされている人間を、自分とは全くの別次元の人間だと切り捨てるのは想像力が欠落しているのではないか

裁判傍聴により、この世知辛い世の中を改めて見つめ直せたような気がした

 

 

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とかいう、そんな話を 裁判を見終えたあと一杯飲みながらするのもオツ

 

 

「じゃあつぶ貝にしよ」と言える幸運な人生に 感謝しながら

 

 

 

 

 

 

※以下 参考資料

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新幹線での不満ごと

プロローグ

ぽーん ぽーん

 

ぽくぽくぽくぽく

 

 

何の音だろうかと思う

いま確かに自分は新幹線に乗っていた 耳障りな音に起こされて窓の外を見ると黒い世界しか見えない

 

もしかして死んだのかもしれない

この結論から遡れば、最初の音は坊主が仏壇でお鈴を鳴らした音で、そのあとの一定のリズムは木魚による音だろうか

 

 

昔、母親が新幹線に乗って神戸の友人宅を訪ねるつもりが、新幹線なんて乗ったことなかったため、間違えて名古屋の方へ行ってしまい、泣く泣くそこで泊まらざるを得なかったらしい

その翌日に阪神大震災が起きた お腹の中には俺が丸まって眠っていた

 

あ、これは揺り戻しによる死なんだなと悟る

ワードでCtrl+Aを押してフィールドの更新を行うように、今なにかのきっかけで世界の微細な歪みが直されようとしていて、自分はその対象になった それだけの話

今までよく生きさせてもらいました ありがとうございます 窓に反射して映る自分の顔はいやに晴れやかである

 

しかしふと疑問が浮かぶ 死んだ後の人間の姿とは、生前のどの段階の姿なのだろうか

最も「生」のエネルギーに満ちあふれていた頃だろうか そしてそれが採用されるなら、それは「最も楽しかった時期」なのか「最も辛かった時期」なのか

一般的には前者のほうが生き生きとしているように思えるが、実は後者の方が無意識な生への欲求は強いのではないかと思う そうしないとエスカレーターを下り続けて自ら命を絶ってしまうことにすらつながる

 

そんな疑問を抱いた瞬間、当然のごとく窓に映る自分の顔はぼやけだす なにかこのあと明確な姿が映し出されるのか、それとも雲散霧消となり、死後の世界からも追放されてしまうのか、、、

 

突然窓の外が明るくなる

新神戸に着いたらしい

まだギリギリのところで生きていたらしい ではあの坊主が奏でたとしか思えない音はなんだったのか

 

新幹線の車内チャイム

日本の良いところは、四季があるところ!

だなんて言うと

いや四季なんて世界どこにでもありますによって笑笑笑

と、必ずどこかから反論が飛んでくる

 

なんと教養のない反論だろうかと思ってしまう

これは四季に対する感受性が違うと言いたいのであって、誰も本当に四季の存在そのものを誇っているわけがないやろと思う

日本人は昔から様々なことに対して細かな感性を向け、それを何らかの形で表現しようとする、良くいえばオシャレ民族だと思っている

これは日本人が優れているとかそんなんでもなく、なんとも独特の感性で育ってきたというだけの話で、外国から見れば逆に気味が悪いかもしれない

 

そんな日本において福岡ー大阪ー名古屋ー東京を結ぶ大動脈となるのが、東海道・山陽新幹線となる

日本人の細かい安全意識まで全て詰め込まれ、開業以来未だに営業運転といった範囲では死亡事故を起こしていない

 

その日本の誇らしい新幹線において、車内チャイムだけが許せない

 

とにかく陰気臭い 「特急いたこ444号 恐山行」とかならこのメロディになるのもわかるけど、新幹線なんて出張で使うにしても楽しいような乗り物になんでこんな陰鬱なメロディをつけてしまうのか

世界一のテクノロジーの中において、なんでそこだけ坊主のお鈴と木魚になってしまうのかと、毎回キレそうになる

 

冒頭のメロディは、いい日旅立ちの「ああ 日本のどこかに」の部分であり、途中駅の到着前に流れる

個人的にはこれが一番陰気臭くてうんざりする(原曲は大名曲だと思う)

なにがこんなに厭な気分になるのだろうか おそらく原因は2つある

 


[車内メロディ] いい日旅立ち 途中駅

 

①キーの問題

名曲の方の原曲を聞くと、そもそもキーが違うのである

もともとの音は下の楽譜の通りとなる

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Youtubeより

車内チャイムはこれより1つキーが下がる するとどうなるか

「日本の〜」の「の〜」の音がH(シ)の音になる

このHの音というのは、音階の中でもすごく不安定な音ではないだろうか(オーボエの中でもっとも音がぐらつくのがHの音なのでその個人的影響もあるかも)

また伴奏が木魚であるから余計に支えがなく、それを感じやすいのかもしれない

②リズムの問題

このチャイムの1音目は1拍目ではなく、いわゆる「アウフタクト」の形で始まる

客としてはもちろんチャイムが鳴るタイミングなんてわかってないわけで、急にこれが流れ出すとリズムを見失うのである

また伴奏が木魚であるため、余計にリズムがはっきりしない

最悪まあ日本人ならこの曲を誰でも知っているからなんとか理解可能であるものの、外国人がこれを聞いたときにビックリするんじゃないかと思う

 

車掌の英語

新幹線の車内で違和感を感じるものがもうひとつある

車掌の英語である

 

まず誤解されたくないのが、これに関して「日本人の英語力が〜」なんて過大解釈して物事を論じる気もないし、そもそも自分自身が英語を全く話せない

台湾にて「駅はどこですか」という英語すらわからず、実はオオカミかなにかに育てられたのかと過去を疑ったことがある

 

ここで問題にしたいのが、その英語の適当加減である

さんきゅー なんて英語が聞けるのは、この新幹線の車内か、回転寿司チェーン「さんきゅう」だけではないだろうか

この新幹線での英語に関しては、もはや一種の開き直りすら感じる

もちろん伝わらない英語でも、伝えようとすることで少しでも情報を与えることができるし、やることに意義はある

そんなんではなく、ハナからこれは真面目に英語を話す気なんてないやろみたいな英語が炸裂する

これも「英語を真剣に発音すると笑われるという日本人特有の〜」なんていう拡大解釈はもちろんしない JRの問題でしかない

てかそもそも「どちら側の扉が開くか」なんて情報、そんなに大事?とにかく到着駅を連呼するだけでいい気がする

 

メラニン色素

やっぱり男の子だもので 新幹線の運転手には憧れていた

もちろんJR東海の試験も受けた それはなんとも気味の悪いものであった

 

まず、面接前の学生は待合室に通されるのだが、待合室には2つの正方形型の大きな机がある

1つの机には正方形の中心に向けて椅子が配置されており、6人ぐらいがその机を囲んで座らされる

そしてもう1つの机にはババアが1人 だだっ広い机に単独のババア

なにか机に紙を置いて作業をしている風だが、明らかにこちらをチラチラ見てくる

JR東海は受かりたかったので、もちろん事前に面接試験についても予習をしていた この薄気味の悪い女は「コミュ力審査官」である

 

このクソ企業、待合室にいる間の様子でも点数をつけるらしい

そもそも、面接前の待合室の様子=普段の様子 なわけもないし、そんなもの評価すんなよと思いながら、必死に場を回した 最悪な時間であった

 

そして選考が進むにつれてもう1つ、薄気味の悪い現象が起き始める

周りの人間が、黒くなっていくのである

なんでこんなに黒いんだと思い、一番黒い奴に話を聞く「いま選考どこまでいってる?」

黒ければ黒いほど、先の選考へ進んでいるという答えが返ってきて愕然とした

この企業は明らかにメラニン色素の含有量で採用者を選んでいるではないか 超体育会系企業とは聞いていたけど、、、そうなると俺は、、、

 

当然のごとくその日の選考で落とされた

俺が無能なわけがないので、メラニン色素の含有量さえ増やしていれば今頃新幹線を運転できていたんだろうなあと思うことがある

 

 

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面接官「あなたの座右の銘はなんですか?」

みのもんた「朝はズバズバ 夜はズボズボ ですかね」

面接官「明日から新幹線を運転してください。」

 

 

 

 

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面接官「あなたの座右の銘はなんですか?」

鈴木その子「やせたい人は食べなさい です」

面接官「なにか、打ち込んだことは?」

鈴木その子「食事法の研究を進め、食に関する悩みをお持ちの方に対して、その解決方法を提示できたと思っております。食事法に関する本も出版しております。」

面接官「わかりました。不採用です。」

 

 

 

鈴木その子が新幹線を運転する日

きっと世界はもっと やさしさにつつまれる

 

2つ穴に挟まれた サルとヒト

休日

あぁー天気のいい日は 家にーいよーうー ♪

 

神鋼不動産のCMを観てため息をつく

こんな思想が進めば日本の消費はますます落ち込む

もちろん休日を家で過ごすことは否定しないし、自分も家で読書をして終わる休日もあるが、それが美化されてはお先真っ暗

持ち家信仰が進む日本において、無理にマイホームを持ってしまったがために外で使う金がなくなり、アウトドア趣味に興じることができない家庭を正当化する、そんな恐ろしい歌でしかない

 

まだ持ち家を持っていない私の休日、それはとりあえず外に出ることから始まる

朝起きて微睡む暇があったら寝ぼけ頭のまま電車に乗り込んで大阪まで運んでもらう とりあえず外に出る

そして大阪に着いて気が付く 何の予定もないではないか!これでは手持ちブタさん!ブーブー

 

そんなときに救いの手を差し伸べてくれるのは、大阪の至るところに腰を据えてくれているスーパー銭湯である!レッツゴーレッツゴー

 

底冷え

意気揚々とスーパー銭湯の玄関までやってくる

だいたい自動ドアはなぜか木の枠組みでできているので、極度に抽象化すると森と変わらない 森なのだからそこは神聖な空間に決まっている 思わず心の昂ぶりを理性で制御してしまう

中に入るとまず靴を脱ぐ 「穢れ」を取り払う意味でも靴を脱ぐのは神聖な行為である 海外でポルターガイスト現象が頻発するのは室内で靴を脱がないのが原因と早く気付いてほしい

そして穢れを木箱(ロッカー)に封印 やっとこれで浄化されたと思ったその瞬間、厭なものが目に入る

縦長の厭な2つ穴

セメントをそこに流し込んでやりたいと何度思ったことか

 

そしてこれによって風呂上がりでもないのに底冷えを起こす ゾッとしてしまう

 

その2つ穴とは、”100円投入口”である もうこれが 許せない

 

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Google画像検索より

退化への欲求

玄関が100円ロッカーということは、脱衣場のロッカーも十中八九100円ロッカーである

もうこの時点で帰ってやろうかと思うけれど、今更引き返すわけにはいかない

脱衣場に行くとさも当然かのごとく忌々しい2つ穴が覗いている

 

そもそも、なぜ風呂に浸かりたいのか

ここでは一般論は無視して、あくまで自分の意見だけを言うけど、とにかく頭を休めたいという、これに尽きる

普段から頭を使って生きてるわけでもないけど、会社ではひたすらパソコンポチポチ、仕事終わるとスマホポチポチでしんどくなってしまう

スマホに至っては完全に依存症で、これがない時代に生まれたかったと心底思う

そんな日常において風呂の時間というのは何事からも解放されて、日頃の考えを完全に他人事のように客観的に眺めてみたり、突拍子もない妄想にふけったりできる至福のひとときとなる

 

さあお風呂に入ろう

衣服を1枚剥ぎ取るたびにIQが20程度落ちていく

風呂に向け、脳は退化の準備に入っている

 

全裸になった俺のIQはついに20を下回った 

「 ウホッウホッ フロッフロッ 」

歯茎をむき出しにして、育ての親である宮沢トレーナー*1の姿を探す

 

しかし手には100円硬貨が握られている

脱衣場の100円ロッカーは、すべての衣服を脱いだ最後に100円を投入しなくてはならず、全裸の男が100円硬貨を握りしめる画が否応なしに出来上がってしまう

満を持してチンパン化に成功した俺 しかしこの100円硬貨によって全てを思い出してしまう

貨幣により築かれたヒトの文明 価値尺度としての貨幣が力を持つには高度な知能と信頼で結ばれた共同体が必要となる 残念ながらチンパンにはそんな芸当はできない

俺はヒトとして25年間生きてきた 宮沢トレーナーとは一体・・・

 

ただ日常生活の中において、全裸で100円硬貨を握る場面などあるだろうか これもまた特異な事象となる

つまりヒトである限り全裸で100円硬貨を握ることなど発生しないのである

 

100円硬貨を握る本人が、強烈に「ヒト」を意識しているのに対し、それを外部から観察すると「サル」にしか見えない

 

これが世にも恐ろしい、100円ロッカーによるサルとヒトの板挟み現象である

安直な気持ちで100円ロッカーを設置した人間はこの現象を予知できていただろうか

極めて生命に対する強い侮辱を感じずにはいられない

 

100円ロッカー廃止論

こんな誰も幸せにならないもの、廃止にしてほしい

進化論云々は置いといて、単純に財布から100円を出すのも面倒すぎるし、そんなに100円硬貨がジャラジャラと入っているわけでもない

 

また、投入した100円、もはやちゃんとパクってほしい

いくら100円ロッカーへの文句を垂れ流したところで

「いや怒んなや笑 100円返すやんけ笑」みたいな感じでしれーっと100円を返されると、文句を言っているこっちがアホみたいに思えてくる

 

こんなものがなぜ存在するのか調べると、

①鍵の持ち帰り防止

→100円の有無とどう結びつくのかあまりよくわからない

 

②ロッカーの複数使い防止

→靴箱の鍵と風呂のロッカーの鍵を交換するシステムにしたらそんな心配全く無用では??

 

③財布から100円を取り出させることで、そのまま自販機で硬貨を利用したり、消費への抵抗を薄れさせる

→ヒトを馬鹿にしすぎ

そんなコスいことするなら入場料100円値上げしてもらったほうがよっぽど気持ち良い

この理由を知ってから、自販機でなにか買うにしても、一旦100円ロッカーから返却された100円硬貨を財布にしまって、別の100円硬貨を自販機に投入するという気色の悪いクセがついた 人類への冒涜に対するささやかな抵抗

 

笑福亭仁鶴

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 「まあしかし、お風呂屋さんの100円ロッカーにそんな秘密があったとは知りませんでしたな。このようなお金の流れは、まさにキャッシュ”フロー”ですな。」

 

カンッ

 

*1:阿蘇カドリードミニオン園長 モモちゃんやパンくんの調教に成功 パンくんは後に凶行を起こすが、それはパンの自我の問題なので宮沢トレーナーは悪くないのである

たかがうどん

プロローグ

「でも、たかがうどん、ですよね」

 

カンブリア宮殿にて

村上龍がいつもの険しい顔をしつつ、常に手元でくるくると回転させているだけで筆記に用いたのを見たことがない、謎のボールペンで相手を指す

 

ペンを向けられたのは、丸亀製麺を経営するトリドールホールディングスの社長、粟田であった

 

この質問が飛ぶ前、丸亀製麺が復活を遂げた経緯をVTRで流しており、期間限定の創作メニューの数を抑え、とにかく麺、そして味の質への追求を行った結果 ということであった

 

 

一瞬静まり返るスタジオ、これは根源的な問いである

一体うどんとは何なのか そこまで価値を持つものなのか そんなものにこだわってどうするのか

 

そして俺も固唾をのんでこれを見守っていた

というのも、俺がこの場にいたとしても、ペンをくるくると回し、村上龍と同じ言葉を粟田に投げかけていたと思ったからである

 

きっかけ

大阪うどん屋巡りをしようと思ったきっかけは2つあった

1つ目は、大阪の会社へと転職をしたこと

2つ目は、徳島出身であり、自称ちょっとうどんへの舌が肥えてると思っていたこと

 

ちなみに徳島出身とは言っても育ちはほとんど奈良県なので大して徳島の血も入ってないけども、こういうときには徳島出身と自己紹介することがある

また、徳島県民自体も、四国の人間でありながら、四国で唯一関西の番組が視聴可能なことと、関西へのアクセス性の高さによって自らのことを関西人だと思っている節がある

どちらにも共通して言えるのは、自らの帰属母体がよくわからないということ つまり俺は徳島県民か奈良県民かよくわからない、という時点で徳島県民に違いないのである これは非常に筋が通った論理に思える

 

いざ 大阪うどん博士へ

とりあえず大阪のうどんといえば俺に聞いてくれ というくらいに詳しくなろうと意気込み、去年の秋からうどん屋巡りをスタート

まずは俺=うどん の意識の刷り込みを目標に、間隔を詰めてSNSにうどんの写真を投稿しまくることにした

大衆をうどんの波でかっさらい、うどんに溺れさせ、うどんをもって絞殺する

うどんにはそれを可能にするパワーがあると確信していた

 

 限界 

今年の夏 企画終了

もういいです おもんない

 

まずうどんを外で食べるにあたって、最低限超えてくれなくては困る2つの壁があり、それを打ち破るうどんがなかなか現れない

もちろん、たまに感動するようなうどんはあって、玉造の極楽うどんとか、布施のなでしこうどんとかは抜群においしかった

ただ、巡った総店舗のうちそんなのは1割程度で、あまりにも打率が低すぎる

たまの当たりの快感だけを拠り所に、あちらこちら巡るくらい暇じゃないし、そんなギャンブル脳にも侵されてない

 

2つの壁

①冷凍うどん

舞台は平行世界の日本

そこにある日本は、こちらの世界の日本とほとんど変わりはないが、1点だけ歴史にズレが生じた

戦後GHQと日本政府によって制定された日本国憲法の9条の第2項にはこう示されている

ー前項の目的を達するため、陸海空軍冷凍うどんその他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

硬度の高い冷凍うどんによる殺傷能力の高さゆえ、国内での内乱、またGHQに対する抵抗を抑制する目的で制定されたとの説もあるが、なぜこんな文言になったのか実は誰もわかっていない

憲法の意味が曖昧なことにより、武器としてではなく食用としての冷凍うどんすら市場に流通しなくなった

 

20世紀の終わりに近付くと、憲法改正の潮流が生まれはじめ、9条第2項の”冷凍うどん”の記述は削除するべきだとの論争が沸き起こるが、「冷凍うどん とは、本当に冷凍うどんを指しているなどと思わないでいただきたい。核兵器等の殺傷能力の高い兵器、または戦争による混乱という状態そのものを指すメタファーとして示されるのである。」などの”メタ冷凍うどん学”なるものすら立ち上げられ、大議論が巻き起こったが、未だに憲法改正には至っていない

 

そんな世界の俺は今日ものこのことスーパーに出かける もちろんそこに冷凍うどんなるものは存在せず、30円ほどで売られている袋のゆでうどんを購入する

そして家に帰りそのネチネチとしたうどんを食べ終わった俺は、自らのブログを書き始める タイトルは ”大阪のおいしいうどん ベスト5!”

 

 

 

さて平行世界を眺めるこちらの世界の俺は、 彼を少し見下すかもしれない 冷凍うどんが食べられない日本における彼は不幸せなのではないか しかし一方で、羨ましさも感じる 平行世界では外食としてのうどんの価値が、相対的にこちらの世界よりも高いに違いないからである

 

結論として、冷凍うどんが美味しすぎるのが非常に問題となる

この壁が案外高い

 

 

例えば豊中にあるこのうどん

なんと1,600円

アメリカがくしゃみをすると日本が風邪をひくなどと揶揄されるが、本当にアメリカがくしゃみをして小麦と牛肉が信じられない価格になった世界線に来たのかと思わされる

 

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食べてみると、なんと家で冷凍うどんをチンした上に生卵を落下させただけの、あの低俗なうどんと全く味が同じなのである

ここがアフリカの僻地であれば、実家と全く同じ味というものに強烈な感動を覚えるかもしれないが、豊中において実家の味の再現というものに何の意味も持たない

これは経験価値というものになるのだろうが、うどんごときで経験価値、、、なんて思ってしまう

 

 

丸亀製麺

これは地域によってはなまるうどんになるのかもしれない 俺の生活圏には丸亀製麺しかないので、ここでは丸亀製麺になる

要は、チェーン店の安価なうどんが一定のクオリティを持ってしまったがゆえ、否応なしにそのチェーン店を中心としたうどん評価システムが構築されてしまうのである

 

例えば丸亀のぶっかけ並は300円、他店のぶっかけは600円とする

そうすると、この差額の300円分にそれだけ味の違いがあるのかどうか、が争点となる

そして結果として、それだけの違いが生じないことが多い

こうやって常に”丸亀製麺ものさし”を持ち歩いてしまうのは非常に不幸なことに思えてしまうが、今更どうしようもない

色んな店で、高いうどんを食べては「丸亀に行けばよかった」と思ってしまう なんと悲しいことか

 

 

エピローグ

「シンプルなものだからこそ、こだわって質を追求していきたい」

粟田は答える

 

VTRにもあった通り、丸亀製麺の味は一時期落ちたが、復活し、より進化を遂げたように思える ただ、値段は変わっていない

 

他店のうどん屋の店主はこのカンブリア宮殿の放送を見て、粟田のこの発言に感銘を受けて明日からもうどん作りに励もうと思うのかもしれない

それはそれで結構なことで、精進していただきたいのであるが、目を向けるべきは粟田の発言ではない

その直前、村上龍が発した「たかがうどん」 この言葉なのである

 

俺も「たかがうどん」と常に思っている

ただこれは、うどんを低俗な食べ物とみなしているとかそういったことでは一切ない

そうではなく、”うどんとは安価な食べ物である” とみなしている

これは俺の中では大前提であり、香川も徳島も安価ながら大阪では食べられないような質の高いうどんを食べることができる

もちろんそのフィールドにおいては、丸亀製麺なんて行こうとすら思わない 勝てるはずもない

 

 

こういった前提を持ってしまったがために、うどん屋巡りもしんどくなり、とりあえず一旦うどん屋巡りは中断いたします 再開するのかな

おすすめのうどん屋を聞かれたら「現在地の地名+丸亀製麺」で検索してくださいと答えます

美味しいうどんが食べられます

 

旅と天気と 玉川徹

759

一周回れば川添佳穂に帰ってくるらしい

俺は一周したから川添佳穂にきちんとたどり着いた ただいま

 

川添佳穂とはおはよう朝日ですに出演している女子アナであり、パット見抜群にかわいいわけではないけど、ずっと見ているとこれは文化遺産だと思えてくるような価値が自然に見出される

ちなみに1番かわいいのはレアキャラのクソハゲ吉田で、正木のアニキが夏休みか病欠で消えない限り現れてくれない

 

時刻は8時目前 川添アナとの別れが1分後に迫っている

 

女子アナっていつ酒飲むんかな 夜に飲まれへんから白昼堂々と浴びるしかないんかな

そうなれば放送が終わったその足で渡辺橋とかでクイッといくんやろうか

渡辺橋においしい居酒屋なんかあるっけな 俺がいい居酒屋紹介してあげたい 一緒に飲みたい 川添アナと十三でジンギスカン食いたい

 

そんなことを考えつつ別れを・・・というのはあくまで文面上のことで、実際にはこの番組のラスト1分はがめつい関西人根性丸出しで、最後の1秒まで電波にしがみつき続ける

 

なにかセリフを言い終えて1秒の間があって次の番組へ なんて余裕を持った運びは滅多になく、だいたいはセリフの途中でぶった切られて次の番組に強制突入するような感じになる

 

今日もいつものように強制終了 吹奏楽で言えば、“処理が雑”といって指導者に矯正を促されるような そんなブツ切り音

 

800

そんな適当な構成音をブーツで踏みつけるような、余裕綽々とした美しいバイオリンの音色が耳に届く 奏者は葉加瀬太郎

このバイオリンが聞こえてきたということは、1分後に画面右上に出るテロップは大方予想がつく 50%の確率で当てることができる 「中国・雲南省」か「中国・湖北省」のどちらかである

 

今日は湖北省にベットしてみようか ここ数日は雲南省が続いているのでそろそろ湖北省が来るはず

 

801

右上のテロップには「中国・雲南省

外した また雲南省

 

画面には高速道路にて追い越し車線の車が走行車線を走る車の方へフラフラと寄っていき大クラッシュを起こす映像

煙がモクモクと立ち込め、逃げ惑う人々 車はきちんと皆が逃げ切ったのを確認したタイミングで礼儀正しく 爆発

 

802

猫がカブトムシと戯れている 場面は家の中 おそらく飼い主がどこかで採ってきたであろうカブトムシにビビる飼い猫

ワイプでは羽鳥慎一が通り魔殺人のニュースを見るかのような険しい顔をしている これも一種の通り魔だと捉えているのか 思わず俺も険しい顔になる

 

803

ふと我に帰る ああ 俺はモーニングバードを見ていたらしい 朝からなんてものを

ついつい川添佳穂に後ろ髪を引かれたままボーッとテレビ朝日を見てしまう癖があるせいで、800分からの2分間をドブに捨てることがよくある

葉加瀬太郎のバイオリンが聞こえた時点でチャンネルを変えなければいけないのだが、この音が妙に心地良くてそんなことを忘れてしまう

このバイオリンが聞こえるということは1分後に不幸な中国人が登場するということ これは心地の良いメロディーではなく中国人が不幸になるテーマである

葉加瀬太郎としても自分の楽曲が“中国人が不幸になるテーマ”と題されたら音楽家として発狂するに違いない こんな番組からは身を引くべきである

 

そして1分後には例外なく不幸な中国人が登場する ただでさえ事故を起こして不幸なのに加えて外国の報道番組において客集めの前座芸人をやらされてるなんて心から同情してしまう

この間も少し報道のことについて記事を書いたけど、これこそまさに「他人の不幸!!これめっちゃ面白くない!???」である

しかもタチの悪いことにこの不幸にはきちんと映像がついている 映像付きの不幸 しかもだいたい何かが爆発する

 

俺は昔から“爆発”への関心がすごかったらしく、“西村雅彦のさよなら20世紀”という、役目を終えた建物を爆発させるだけのヤバすぎる番組を毎週見てはのたうち回るほど興奮してたらしい

25歳の俺も、南北共同連絡事務所の爆発シーンを見たあとは興奮で眠れなかった やはり派手な爆発とかクラッシュとかいうのは人を惹きつけてしまう

 

日本人ですらない人間の不幸で視聴率を稼ぎやがってと思う一方、本能的にそれは見てしまう映像に成ってしまうのである

ちなみにここで弁明しておくと、中国という国に対して、共産党には非常に不快な感情を抱いていますが、国民に対してそんな感情は本当に無いです

 

 

さて、テレビ朝日以外のニュース番組はこの2分間何を流しているのか

もちろん、トップニュースを流している もちろんである 報道番組なのだから

諸外国で大々的なデモがあればそれを流し、著名人が亡くなればそれを弔い、大規模災害があれば速報としてそれを伝える

ひたすら雲南省湖北省のビデオ漁りをしている変態まがいのテレビ朝日とは違うのである

でも俺は結局、その変態が探り当てた裏ビデオを見て、こんなこと思ってはいけないとわかりつつ「よく見つけ出した!」と心で叫んでしまう

 

テレビ朝日、あなたは「抜け駆け」をしている

そんなことで注目を集めようとしてはいけない

 

そして8時半を過ぎるとコロナに関する過激報道によってもうひと山、目立とうとする

 

そこに良心の呵責は存在しない 誰か玉川徹をドブから引きずり出してやってほしい

 

 

しかし嘆かわしいことに、抜け駆けして過度に騒いで目立てばそれでいいと考えてるコンテンツはモーニングバードだけではなかった 前置きが長すぎた 雲南省とかどうでもいい

 

日常に侵食するモーニングバード

趣味の分野において、不確実性は排除すべきだろうか

これは趣味による としか言いようがない

 

例えば野球観戦においては、勝つか負けるかわからないという不確実性があるからこそ応援に熱が入る

100%勝つのがわかっている野球観戦なんて面白いはずがない

オリックスの試合が面白くないのは”弱いから”ではなく、90%の確率で負けるという”確実性”に起因するものかもしれない

 

そして自分の1番の趣味である旅行という分野における不確実性とはなにか

これは第一に“天候”だと思う

そしてこの不確実性については、極力排除してしまいたい

雨が降ってほしい場面、なんてのもそうそうないし、旅行者のほとんどは旅行当日に晴れてほしいと願っているに違いない

 

昔から、注射を終えて戻ってきた同級生に「痛かった??痛かった???」と聞き倒すような学童だったので、旅行前になると天気予報は毎日チェックしてしまう

どれだけチェックしたところで、結局当日に雨が降れば雨なのである 対策なんて傘を持っていくしかないし、晴れ予報でも折りたたみ傘は持っていくし、何が言いたいかというと天気予報なんて見たところで特に何の意味もない

でも見てしまう なにか精神的な拠り所が欲しいのだろうか

 

なので、割と色んなサイトの天気予報を見てきたし、だいたい傾向がつかめてきた気がする

今回槍玉に上げるのは、グーグル天気と日本気象協会である

 

Google天気

だいたいGoogle検索が最近ゴミすぎる

大学生のときは割と検索さえすればレポートに使えそうな情報は手に入った気がするけど、ここ2年くらいで急にゴミになった

まず勝手に検索ワードを打ち消すやつ 「山田邦子 顎 武器」で検索したら“武器”の部分は勝手に打ち消される 山田邦子の顎は軍事利用できるのか を検索しようとしても絶対に阻止されるのである

あと検索結果も異常に少ないときがあるし、調べ物をするときに情報量が少なすぎて困ることが多々ある

そんなGoogle検索において、「地域名 天気」で検索すると、検索結果の最上部にデカデカとGoogleの天気予報が表示される

この天気予報がひどい そんなカスみたいな予報をデカデカと表示できるなと感心してしまう

 

日本気象協会

日本気象協会1番アテになるからな」

親父の口癖であった 幼少期の人間にとって、親の言葉は何のフィルターも介さずに直接脳に届く 日本気象協会はアテになるんだと思って生きてきた

しかしこまめに天気予報をチェックするようになってからそれは間違いだと気付く

昔は高い精度だったのだろうか とにかく今の気象協会は本当にアテにならない

グーグルは他の分野にも手を広げてるからまだ援護ができるものの、天気予報をするしか能がない気象協会がまともに天気を予報できなくなったらもうどうしようもない

 

 

さて一体この2つのサイトは何が問題なのか

これは前述したモーニングバードと一致する

・抜け駆け

・過激

2つとなる

 

まず、1番信用できる天気予報は気象庁の天気予報だと思ってて、これは大きく外れることは滅多に無い気がする あと、信頼度という指標をACのアルファベットできちんと作ってて、この日正直よくわからんわって日はCを掲げて“自信ないです・・・”と明記してくれる かわいい

 

そして抜け駆けというのはこれと真逆の予報をすることである 気象庁をはじめとした様々なサイトが、まあこの日晴れるっしょ と予報しているときに、自信満々に恥ずかしげもなく雨予報をする

 

当たれば儲けものである だって外しても罰則もないし予報を見る側も咎めることはない 特に雨予報だったのに晴れとなると、心情的にはラッキーだと思ってしまって天気予報を外したサイトのことなどすっかり忘れ去ってしまう

 

そしてこれが当たれば、ほれ見たことか!と予報を見た人に自らの正しさを説き、こちら側も雨対策をして救われたとすっかり傾倒してしまう

 

インチキ預言者もこれと同じ仕組みで、とにかく数撃って当てれば儲けものなのである 天気予報ももはやそんな領域に達してしまったのか

 

そして、過激とは

とにかく 雨予報にすることである 特に週末

これもコロナ煽りと同じで、とにかく危険な側のメッセージを発し続けることで、目立てるし、そして“逃げ”になる

晴れ予報をしていて雨が降れば人々の恨みは買うが、雨予報で晴れてもおそらく恨みは大きくない

となれば、とにかく雨が降ると言い続ければいいのである さすがに1週間全て雨にはできないから、とりあえず土日だけでも雨にしておく

 

こうして煽れば、自身は安全なサイドにいることが可能となる 人々の批判を恐れすぎると組織はこうなってしまう

 

エピローグ

そんなわけでもう気象庁しか見なくなりました

もう気象庁以外の天気予報で一喜一憂するの やめませんか

天気予報をするサイドももう抜け駆けとかやめて、みんなで同じような予報しましょう

みんな同じに

 

同じに

 

 

 

 

そうして生まれるのが共産主義です

 

 

小田和正になれなかった夏

プロローグ

「ごん、お前だったのか。」

おれは部屋の真ん中に神々しく光るその生き物に近付く

それは一匹の狐であり、苦悶の表情で倒れたその腕には栗が抱かれていた

えらいことをしてしまった 婆さんの恨みがあったとはいえ、罪滅ぼしにおれの家に通っていた狐を撃ち殺してしまった

しかしふと考える、人間以外の生き物に後悔や贖罪の意識など存在し得るのであろうか

その疑問が脳をかすめた瞬間、目の前の景色が一変した

狐の姿は消え、薄暗い土壁の部屋に一筋の光が差し込む

その光を辿ると、壁には銃弾サイズの小さな穴がぽっかりと開いていた

おれは何を撃ったのだろうか 足元を見ると栗だけが残っている これは一体誰が持ち込んだのだろうか

 

おれは半年前に村のはずれのミドリ電化で購入していたビデオカメラを部屋にセットし、いつもどおり畑仕事へと出かける

仕事から帰るといつものように家の中には栗が置いてあり、おれは頬が緩んだ 早速部屋の奥にあるテレビにつなぎ、あぐらを組んでその映像にかじりついた

 

玄関の引き戸を締め切っているため当然なのだが、画面越しに見るおれの部屋はとても暗い

しかし何らかの生き物がいればうっすら見える程度にはところどころから光が差し込んでいる

この時代のビデオカメラには早回し機能などなく、ひたすら画面を見続けなければならず、いくら関心事とはいえ苦行と呼べるものであった

3時間が経ち、貧乏ゆすりが止まらなくなってきたころ、画面の向こうで不意に引き戸が開かれた

引き戸の前に現れたそれは全身が黄色く、胸に栗を抱え、器用に二足歩行をしていた

ついに来たかと息をついたのも束の間、おれは驚きのあまり声がつかえて出なかった

そこに映っていたのはまぎれもなくおれ自身であった 全身に稲穂を貼り付け金色に輝き、口をとんがらせたその顔は、自分が狐であることになんの疑いももたぬ野性的な表情をしていた

おれは手の震えが止まらなかった 映像を停止させたいがボタンすら押せそうにない

そして次第に熱を帯びる手のひらは、他人の体温を想起させる

ああ 婆さんはおれが手にかけたのだな

次第に冷静になったおれの手からは、あのときの婆さんみたいにすっと熱が抜けていった

 

「ごん、お前だったのか。」

画面の向こうで、ごんはぴょいと首をかしげた

 

人間にしかない感情

なにか失敗を起こしたとき、獣はそれを「経験」として捉え、今後の反省に活かす

もちろん人間もそれは同じであるが、人間はそれに加えて「後悔」や「恥」という感情が付いてくる

これが厄介であり、その失敗から得られる効用を大きく上回る損失を出すことがたびたびある

 

以下、人間特有の感情により、負の遺産しか残さなかった記憶を最悪の記憶と呼ぶことにする

そして最悪の記憶というものは脳の裏側に隠れ、執拗に生き続ける

 

加えて恐ろしいことに、それはある拍子に地表へと顔を出してしまうことがある
最悪の記憶を呼び出す引き金、それは日常のどこに潜んでいるかわからない


自分の場合もそれはほんの些細なもので、何をしようとしていたかは覚えてないけど、確か腕時計とシャツのボタンが触れ合って一瞬引っかかったというそれだけのものだった

しかし脳には電撃が走る

脳の裏でバクテリアのようなサイズで縮こまっていたその生き物は、急に肥大化し、宿主を脅かすまで出世する


そして宿主の五感を支配する 聴覚は蝉の鳴き声、嗅覚は土の臭いを捉え、非力そうな小僧がバットを構えているよくわからない像を目に映し出した

強制回顧

これは中3の夏の記憶らしい
周りを見渡すと野球少年がずらり、これは野球部として練習試合に来ている他校のグラウンドだろうか
とすれば、今から見せられる最悪の記憶は、野球というスポーツをしてきた中で最悪のプレーを見せられるのだとわかる 本当に勘弁してほしい

 

当時は基本的に外野を守っていたが、一時期だけなぜかファーストを守っていたことがあり、この映像の視点からも俺は今ファーストを守っているらしい
当然ながら目の前の打者はこちらへ打球を飛ばしてくるのだろう 他の場所へ打球を飛ばし、味方からの送球によって最悪のプレーが起こる可能性もあるが、それはそこまで醜いものにはならないはずである
やはり、打者が放つ直接の打球が自分を苦しめることになるのだろう

 

 

鋭い打撃音がした

 

非力な小僧というのは今の自分から見た視点で、実はガタイもよく、良いスイングをしていた
バットの芯で捉えたならば彼方へと飛んでいきそうなスイングであったが、少しボールの下を叩いたその打球は高く上空に打ち上がる
残念なことにどう考えても自分の方にその打球は向かってきている このボール1球が25歳の自分を苦しめるのだとつゆ知らず、中3の俺は素早く打球の落下地点まで走る

陰謀

中3の俺は、なんと一瞬にして落下地点に到達した


現在地から落下地点が離れていれば、目測を誤ってボールを頭に当てるとか、全く違うところに走ってしまうなど、最悪のプレーの候補が思いつく
しかし、もう俺は落下地点に到達しているのである なんと平凡な打球であろうか
ここから何が起これば最悪のプレーが発生するのか あとはグローブを出すだけでいいはず

 

 

グローブを出すだけ・・・

 

もし出すことができなかったら?

 

 

落下地点に着いたしグローブでも構えようかと上空へ掲げようとした左手に不意な抵抗感 左手が動かないのである
おそらくグローブから出ていたヒモのどれかがユニフォームと絡まってグローブがユニフォームから離れなくなったのだと思う
でもそんなことあり得る?引っかかったとしても力を入れて引っ張ればさすがにそこの絡まりは解けそうな気がするんやけど

 

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このポーズのまま1塁付近で立ち尽くす人間 めちゃくちゃ面白い

 


これについては何か巨大な力による悪意か、奇跡的な融合が起こってしまったとしか考えられない
量子論どころか数学すら高2で放棄した人間やけども、トンネル効果というものがあり、壁に向かってヒトが無限に突撃していればすり抜けられる確率は理論上は0%じゃないことも知っている
ここでも何か量子論でしか説明のできないような現象が起こったのだろうか

 

とにかく、落下地点に着いた俺は、グローブを胸に畳んだままパニックになっていた

この「パニックになる感覚」というのは誰しもが味わったことがあるはず
その中でも時間的に制約のあるパニックはひときわ恐ろしく、バックトゥザフューチャーのラストの時計台のシーン、俺ならアクシデントが起きた時点でヒステリー気味に何かを叫ぶだけの気狂いと化し、高速運転中のマーティはどこへも転送できず交通事故により惨死する
あのシーンは、ドクの冷静さに劣等感を覚え、しんどくなってしまう

 

グローブの異常に気付いた時点で、ちょうど打球はヤマを迎えていた あとはただただ重力により加速度的に落下するのみである
この「加速」というのも恐ろしい

 

この間、1970年頃に書かれた“2001年の日本”の本を読んだ
そこには、人口爆発によりスラムと化した日本が描かれており、まだ1970年代には人口は増え続けるものだと思われていたことに少し感動すら覚える
その中の例えにこのようなものがあった


1分間で個体数が倍増するバクテリアを試験管の中で培養する
バクテリアによって試験管が満杯になるのが60分後だとすれば、試験管の半分までバクテリアが増えるのは何分後か

 

感覚で考えれば30分後くらい? だなんて思ってしまうが、バクテリアは”倍々に”増えていくのである
ここの答えは「59分後」 となる

そして、本には、ともすると今世界中の人口は59分目の状態にあるのかもしれないと書かれていた
つまり、倍々に増える、また加速度的に増えるものに対しては、状況の悪化に対する措置を早めに打たないと手がつけられないことになるというものであった

 

今落下中のボールもそうである
上空彼方に見えているあのボールは一瞬にして目の前まで接近するだろう
答えを出すのは今なのである 今が59分目なのである


こうして、①時間的制約によるパニックと②ボールの加速度 による二重苦により俺は完全に錯乱状態になっていた
こうなると人間は「反射」で物事を考えるしかなくなる下等生物へとなってしまう

 

反射による意味付けは後発的に行われる
耳元にカナブンが飛んできたとき、考えるよりも先に顔が勢いよく動くはずである
なぜ顔が揺れたのか?という疑問に対し、飛び去るカナブンを見て「あぁ、カナブンがいたからか」と、意味は後から付随されるのである
ここでは先に、結果として何が起こったのかを考える 理由はあくまで後付けであり、本当にそのときそんなことを考えていたという保証はない

 痣

結果として、右乳首の下のあたりに痣ができた

 

さあなぜ彼の右乳首の下に痣ができたのか 考えてみようではないか
まず、痣ができた原因は、言うまでもなくボールが当たったことによるものである
ではなぜそこにボールが当たったのか 中3の俺の意図していたこととは何か

 

 

”ボールを体でキャッチしようとしていたのではないか”


これしか考えられない
グローブが使えず、グラウンド上において生産性0のゴミ人材となった俺は、せめてもの1%の望みに賭け、その尊い体を差し出した
これはもしかして、感動的な話ではないだろうか
そしてこの体を投げ売っての捕球方法、意外と画期的なので見てほしい

 

 ※本来左手はグローブの不具合により体にくっついているが、絵では面倒なのでそれを省略する

 

 ①少し反らした体にボールが落ちてくる

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 ②胸のあたりでボールを受け止める

 

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③受け止められたボールが体を転がる

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 ④それを右手で掴み取る

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⑤アウト成立 ヤッター*1

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これは野球界の常識を覆す発想ではないだろうか

どう考えてもグローブよりも体の上半身の方が面積は大きいし、当てることは容易である

 

しかし所詮下等生物が瞬間的に出した答えであり、これを成立させるには

①体に当たる球の勢いを完全に殺す必要がある

②体に球を当てる面積を広くするため小田和正くらい反る必要がある

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俺は小田和正ではなかったので球は右乳首の下で弾け、無情にもグラウンドに転がる

これをもって「打球を胸でトラップした野球選手」としての十字架を一生背負い込むことが確定した

しかもこれが実はファールゾーンの向こう側での出来事であったため、ファールと認定されたのである

ここまでの残酷な運命を俺に突きつけた打球を放った打者には、俺の生き恥そのものとして、ランナーになって残って欲しかった

ファールなんて何も起こっていないのと変わらない これも最初から最後まで俺の作り話な気がしてきた

 

仁鶴 

日々平穏に暮らしていても、こうした記憶の引き金を引いてしまうもので、今回の話はまさに「玉に瑕」といったところですな*2

 

カンッ

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*1:HEROS/マシオカ

*2:笑福亭仁鶴オチは便利なので今後も多用

凡庸な死亡事故と 興味のない地震

清々しくない朝

テレビから品のない声が聞こえてくる

時刻は朝の8時をまわったところ テレビではニュース番組を垂れ流している

この日は平日であり、朝の8時にテレビを見れているということは実家ではなく大阪の宿に泊まっているということで、つまり往復に4時間かかる通勤を省けており、睡眠の質も上々のはずである

しかしこの品のない声に気分下下↓↓*1であった

 

別に品のない声が嫌いなわけではない どう考えても下品な声の部類に入る鈴木奈々のことは愛しているからだ

 

なのでこの不快感は声だけを聞いて発生した感情ではない

テレビ画面を見る

いた 玉川徹だ

 

「コロナに関してね よくテレビ局が煽りすぎだなんて言われますけどね 煽ればいいんですよ それによって救われる命があるんだったら嫌われ役でもいいですよ」

なんて5月あたりに言っており絶句したことがある

その前から好きじゃなかったけど今は本当に顔を見ると嫌な気分になる

 

このコロナ騒動でニュース番組への不信感というものがつのった人間も多いだろうし、自分はこの玉川徹を始めとしてニュース番組で発せられる無責任な言葉にここ半年は辟易としてきた

ただ加えて言うと、ニュース番組に対しては以前から不信感しかなかった

これに関して、俺は世の中を見抜く彗眼を持っていた!とか 五十嵐貴久「リターン」(ここ5年読んだ中で最低の小説)のように「マスコミはクソ!!」を連呼するつもりもない

そもそもニュース番組が信用できない、なんてもはや一般論のようになってきており、そんなことをここで叫んで誰かの心に響くはずがない

 

自分にとってのニュース番組への不信感 それは自分自身が引き起こしたある体験がもとになっており、人とは少し違う というのが言いたいだけである

あるトラブル

大学生の時、某テレビ局でバイトをしていた

バイトといっても雑用ばかりで、電話対応や、会議前に資料のコピーをとって配ったり、差し替え原稿が発生したときにダッシュでスタジオに持っていったりするくらいで、基本的には暇をしていた 本当に暇だった 勤務も1人でこなすのでバイト仲間と仲良くなるとかいうのもなかった

時間は夕方の17時から23時までで、時給は良かったものの労働時間が短すぎて結局月に5万くらいしか稼げなかった

 

その日も23時が迫ってきており、いくら激務のテレビ局とはいえ21時を超えたあたりからフロアには2人ほどしか社員も残っていなかった

自分は日中のバイトなのだが、23時から朝9時までは深夜バイトが勤務に入ることになっていて、この深夜バイトがフロアにひょっこり現れるとそこで仕事の引き継ぎをして解放される

 

しかしこの日は23時半を過ぎても現れず、勤務表を見て担当深夜バイトに電話をかけるも出ず 他の深夜バイトにも電話をしてみるも誰も今からテレビ局へは向かえないと言う

つまり朝まで自分が勤務しなければならなくなった 最悪である

23時に仕事が終わると想定して体力を使って今日を生き長らえたのにこれから朝の9時まで勤務とは

(交代予定の深夜バイトの奴はうっかり爆睡してしまっていて勤務に来れなかったとのちに平謝りされた 殺すぞ)

 

さて深夜の勤務は初めてなので何をしていいかわからない

23時を超えてもまだフロアにいる唯一の社員がそろそろ帰るというとき、唯一の仕事を俺に与えてくれた

「深夜になにか大きな事故や事件があったら電話してきて 明日のニュース担当俺だから」

 

直感

誰もいないフロア

時計は深夜2時頃をさしていた

椅子の上で腕を組んで寝ていた 寝たところで誰に見つかるわけでもないし、本当に仕事もないし ただやはり時給は発生しているので机に突っ伏すのだけはやめた

 

するとFAXの方から電子音 嫌な予感がする こんな深夜に何が送られてきたというのか

 

 

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速報

○○警察署

車と接触し死亡した事案の発生

事故概要:道路を横断中、普通乗用車と接触した30代男性が死亡 

     50代女性を現行犯逮捕

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あぁ 人が死んだ 人が死んだ

死んだのは・・・30代男性!!いや人生これからやん!!!これはあかんぞ

もし家庭でももっていようものなら独身の20代が亡くなるよりも悲劇的かもしれない 残された人間はどうすれば良いのか こんな惨劇あってはならない 

 

もう俺は5秒で判断していた これは報道しなければいけない重大ニュースである よって、社員に電話をする 

 

明らかに寝起きの声が耳元で響く

もしもし か むにゃむにゃ かよくわからない

けど俺の頭は冴えている だって大ニュースを伝えなければならないのだから

 

「すみません。交通事故です。死亡者は1人。30代の男性で、場所は・・・」

要点だけを伝える これを伝えることで社員がどう動くのかはよくわかってなかった すぐに警察に連絡をとって詳細を聞くのか、それとも明日のニュースで使う材料として頭の片隅に置いておくだけなのか

そして社員の返事は、そのニュースをどう扱うのかを端的に表した

 

「そんなことで電話してこないでくれるか 寝てるんだから」

 

電話は切れた 切られた

 

え もしかして俺が悪いん?なに 判断ミス?判断とは?

不謹慎であるが、このニュースを伝えることで少し喜んでもらえるのではないか、とさえ思っていた

しかし全く相手にされなかった 邪険にされ不機嫌にさせてしまった

これでは家主に喜んでもらえると思って玄関に鳩の死体を持ってくる野良猫と偏差値が一緒である 情けなくなってきた

 

眠気も襲ってきていたが、癪にさわるのでその事故について改めて考えていた

 

いま自分の前にはある装置がある

装置の中で大きな割合を占めるスクリーンには、事故の瞬間が画像として映し出されている

そのスクリーンの下にはいくつかのツマミと、無数のボタンがあり、各ツマミの上の小さなパネルにはツマミが示す数値が表示されている

そして装置の1番上には、なんでも鑑定団のような横長の電光掲示板があり、今は「5000」という数字が表示されている

この数字は総得点であり、「10000」を超えると”報道する価値アリ”となるのである なんでそんなことを知っているのかというと自分が作り上げた装置だからである

さてどこから手を付けるべきか ひとまず加害者に関するツマミをいじってみようか

試しにそれを左へ回すと、スクリーン上の、車に乗っている、現在はおそらく50歳くらいであろう中年女性がだんだんと若返ってきた 昔はスリムでナウい顔をしている

回し続けると、あるところでツマミの抵抗を感じた、パネルには「18」と表示されている かまわずツマミを左へと回すと、総得点が急に跳ね上がり5万となった

そういえば免許の取得年齢は18歳からだった と思い出す

一旦リセットし、被害者の属性を変えてみる 車にはねられる直前の男性の引きつった顔が変化してゆく

30代でも十分に悲劇的であるが、これを20代にしたところでやはり報道には至らない 

「15」までツマミを回しやっと1万を超えた 中学校3年生まできてしまった しかしこれも深夜の事故であったから中学生が事故に遭うことが報道されるだけかもしれないし、日中の事故なら怪しいところである

被害者の子どもの数は「10」までいってやっとギリギリ1万となった 家庭を持っているだけの30代なんて世間に多すぎるのだろうか 2桁産まないと大衆の関心は得られない

他にも加害者の乗っている車が救急車なら2万点、パトカーなら3万点、発生場所をUSJの中にすると4万点 など、あちこちのツマミやスイッチをいじることで得点の上乗せは可能であった

 

そして改めて机の上のFAXを見つめる

 

「普通乗用車と接触した30代男性が死亡」

 

ああ 睡眠中の社員を起こしてしまったな

電話する必要はなかったな 申し訳なかったな

このときにはそう認めざるを得なくなっていた

 

 

朝になり、その社員が会社にやってきた

「もういい歳だから1回起こされると寝付けないんだよ」

改めての苦言 しかし例の装置を一晩いじくり、もはや自分が悪いことは明白であった 申し訳なかったですと素直に謝った

 

さすがに徹夜明けは体にこたえ、眠り方すら忘れたような状態で電車へ乗り込み、下宿へと向かう

電車の中で改めて考える テレビ局という環境で物事を考えてはいけないのかもしれない もう1度冷静に考える

直感は間違っていたのだろうか

 

自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ

ー茨城のり子

 

そう、自分の感受性、直感は絶対に侮ってはいけない

大人になった今、何かを評価する際に自然と外のフィルターを通してないだろうか

映画を見て心を打たれたにも関わらず、ネット上の口コミがボロカスだったときに、自信を持って他人に魅力を伝えられるだろうか

 

電車が好きでたまらなかった幼少期、電車に乗る際に発生するお金を「運賃」というのだと父に教えられて絶対にそれは嘘だと徹底的に歯向かったことがある

世の中に「うんち」を含む単語などうんち以外に存在し得ないと思っていたし、俺の大好きな電車というものに糞を塗りたくられてたまるかという想いがあったのだろう

父は嘘をついている  「うんちん」なんて言うわけがない と聞く耳を持たなかった

 

大人になってももう少し我儘に生きてもいいのかもしれない

そして、自らの感性では、やはり30代男性が亡くなった交通事故は重大ニュースとしか思えなかったのである

 

交通事故のニュースは必要なのか

そもそも

交通事故のニュースとは 何なのか

まず事故を起こした人間、事故に遭った人間の身内や知り合いには警察やその他の手段を介して連絡がいくはずで、関係者に事故を知らせるという意味合いでニュースが放送されているわけではない

では、これを教訓に事故を起こさないように気をつけましょう という注意喚起なのか

いや、そんな役割も果たしていない

大して詳しい状況説明がなされるわけでもなく、事故の原因は報道するものの、本質的に何が悪かったのかまではほとんど触れられない

 

となると、こういった類のニュースは

こんな不幸なことがありましたよ!!! なのである

ボーッとニュースを見ているとなんとも思わないけど、時折ふと、なぜそのニュースを大衆に伝える必要があるのかと考えると頭が混乱してくる

99%の視聴者の実生活に一切関係のない事故・事件を、視聴者に関心を持って見てもらうには、やはりある程度のドラマ性が必要になってしまう

ニュースはノンフィクションであり、フィクションなのである

そして30代男性の事故死は誰も惹きつけることがないため、報道されなかった それだけ

 

こんなことは当たり前のことであり、自分自身もわかっていたことだが、実体験として落とし込むとなんとも嫌な気分になってしまった

 

邪魔

それから半年も経たないうちに またそんなことを考えてしまう機会が訪れた

しかも今度は 違う立場で

 

 

その日はうちのテレビ局が映画を流す日であり、俺もシフトに入っていた

しかもその映画が不朽の名作「ターミネーター2」であり、加えてこの日は21時までに社員が全員帰宅し終えていたので、悠々とテレビを独り占めすることができた

 

一応横の部屋には他の部署があるので、音量を上げることはできないがそれでも平気であった ターミネーター2に関するセリフと効果音はだいたい耳に記憶されている

 

物語も終盤、いよいよコナー親子とシュワちゃんは工場に飛び込み、T-1000との最終決戦を繰り広げる

サラ・コナーが2人に増えるシーンは恐ろしすぎて毎回若干小便を漏らすので、この日もパンツの替えを持ってきていた

 

そしてなんとかT-1000を溶鉱炉に落とし込んだあたりで、フロアの後ろの警報装置が鳴り響いた

うわ・・・

この警報装置は地震を知らせるものであり、もちろん地震地震速報としてテレビの上部にテロップとして出さなければならない

そしてこのテロップを出す指示を編集部隊へ伝えるのは、バイトの役割であった

 

葛藤

地震の内容を確認する 和歌山で震度2

こんなことを言ってはいけないんやろうけどクソほどどうでもいい地震としか言いようがなかった

何と比較してか、というとターミネーター2である

そもそもターミネーター2はあまりにも名作なので、本映画を鑑賞中に地震など気付くはずがない

ダイソンが過呼吸になって大爆発を起こすシーンに至っては、あのシーンと同時に震度5が来ても気付かないと思う

そして今、物語は佳境を迎えている

ターミネーターシリーズ、いや、映画史に残るラストシーンが近付いているのである

視聴者は完全に映画の世界にいて、溶鉱炉の熱さすら感じ、全身が火照ってしまっている もちろん地震には気付いていない

そんなときに「和歌山 震度2 詳しい市町村は以下の通り」なんてテロップを出されたら興ざめも甚だしいし、和歌山の市町村の中でも「すさみ町」の文字が出た瞬間にブチ切れると思う

泣きながらシュワちゃんに懇願するジョン・コナー、きっとこの経験が息子を強くすると何も言わず見守るサラ・コナー、そして画面上には平仮名三文字「すさみ」

こんなことがあってはならないのである

しかもすさみの音だけを拾えば「suicide me」となり、ネタバレにもなりかねない 絶対に避けなければならない

 

ただ一方で、

地震を伝えない なんてことがあっても良いのだろうか

これも絶対にあってはならない

震度2は割とびっくりする揺れで、これをなかったことにされると体感した人間は自らを痴呆と認定する他なくなってしまう

俺のせいで大勢の和歌山県民の自尊心が喪失されたら責任は取れるのか これまたとんでもないことになる

 

1分間葛藤があった

映画の放送中にテロップを入れないと、スポンサーに配慮してCM中には速報を流すことができない

映画終了後は5分ほどCMが入るのでもはやその後に速報を出すことは不可能である

 

どうする 出すか 出さないか

冷静に考えれば迷うこと自体おかしいのだが、このときは本当に迷ってしまった

スリラー映画ではボタンを押す押さないを迫られた人間は大抵押すのであるが、このときも結局自分は押した

 

そして葛藤の1分のせいで、ちょうど溶鉱炉に沈むシーンとすさみ町が重なってしまった ターミネーター2のラストシーンで吐き気を催したのはこのときのみである

 

この葛藤はなぜ生まれたのか

それは俺がターミネーター2を愛しているというその個人的な感情によってのみである

もし自分がボタンを押して編集部へテロップ掲出依頼を出さなければ速報は出ていないと考えると、その恐ろしさに我ながら震えてしまう

テレビ局にいた人間がターミネーター2を好きだったというそれだけで大衆へ伝えるべき報道がなされない可能性があるのだ

これは普段のニュースにおいても同じで、テレビ局の社員ももちろん物事の好き嫌いがあるわけで、必ずアウトプットには個人の生き様が反映される

視聴者はその濁ったアウトプットを享受するしかないのである それに気付いていればいいが、このニュース番組こそが世界である、だなんて思っていると恐ろしいことになる

 

 

この前の出来事では自らの感性が裏切られたことにショックを覚え、報道とはなにかというのを考えさせられたが、皮肉にも今回は自分自身が偏向報道を牽引する人間となりかけてしまった

これもまた、報道とはなにか、ニュース番組とはなにか、を考える上で自分にとっては大きな出来事になった

 

 

 

画面にはまだ玉川徹がいる

ニュース番組に個人的な価値観が入り込むのは仕方がないのかもしれない 今やネット上であらゆる情報が取得できる時代であり、ニュース番組が唯一の情報源なんて人はあまりいないと思う

正しい情報はネット上で、となるとテレビ上の報道には何らかの偏りがないと面白くなくなってしまう あえて好き勝手やっているようにさえ見える

玉川徹も必死なのだろうか、彼もピエロなのかもしれない

本当の声を聞かせておくれよ