なおやんの 手記手記 しゅっき〜

なおやんの 手記手記 しゅっき~

痛みに耐えて よく頑張った

ブログタイトル

たかがうどん

プロローグ

「でも、たかがうどん、ですよね」

 

カンブリア宮殿にて

村上龍がいつもの険しい顔をしつつ、常に手元でくるくると回転させているだけで筆記に用いたのを見たことがない、謎のボールペンで相手を指す

 

ペンを向けられたのは、丸亀製麺を経営するトリドールホールディングスの社長、粟田であった

 

この質問が飛ぶ前、丸亀製麺が復活を遂げた経緯をVTRで流しており、期間限定の創作メニューの数を抑え、とにかく麺、そして味の質への追求を行った結果 ということであった

 

 

一瞬静まり返るスタジオ、これは根源的な問いである

一体うどんとは何なのか そこまで価値を持つものなのか そんなものにこだわってどうするのか

 

そして俺も固唾をのんでこれを見守っていた

というのも、俺がこの場にいたとしても、ペンをくるくると回し、村上龍と同じ言葉を粟田に投げかけていたと思ったからである

 

きっかけ

大阪うどん屋巡りをしようと思ったきっかけは2つあった

1つ目は、大阪の会社へと転職をしたこと

2つ目は、徳島出身であり、自称ちょっとうどんへの舌が肥えてると思っていたこと

 

ちなみに徳島出身とは言っても育ちはほとんど奈良県なので大して徳島の血も入ってないけども、こういうときには徳島出身と自己紹介することがある

また、徳島県民自体も、四国の人間でありながら、四国で唯一関西の番組が視聴可能なことと、関西へのアクセス性の高さによって自らのことを関西人だと思っている節がある

どちらにも共通して言えるのは、自らの帰属母体がよくわからないということ つまり俺は徳島県民か奈良県民かよくわからない、という時点で徳島県民に違いないのである これは非常に筋が通った論理に思える

 

いざ 大阪うどん博士へ

とりあえず大阪のうどんといえば俺に聞いてくれ というくらいに詳しくなろうと意気込み、去年の秋からうどん屋巡りをスタート

まずは俺=うどん の意識の刷り込みを目標に、間隔を詰めてSNSにうどんの写真を投稿しまくることにした

大衆をうどんの波でかっさらい、うどんに溺れさせ、うどんをもって絞殺する

うどんにはそれを可能にするパワーがあると確信していた

 

 限界 

今年の夏 企画終了

もういいです おもんない

 

まずうどんを外で食べるにあたって、最低限超えてくれなくては困る2つの壁があり、それを打ち破るうどんがなかなか現れない

もちろん、たまに感動するようなうどんはあって、玉造の極楽うどんとか、布施のなでしこうどんとかは抜群においしかった

ただ、巡った総店舗のうちそんなのは1割程度で、あまりにも打率が低すぎる

たまの当たりの快感だけを拠り所に、あちらこちら巡るくらい暇じゃないし、そんなギャンブル脳にも侵されてない

 

2つの壁

①冷凍うどん

舞台は平行世界の日本

そこにある日本は、こちらの世界の日本とほとんど変わりはないが、1点だけ歴史にズレが生じた

戦後GHQと日本政府によって制定された日本国憲法の9条の第2項にはこう示されている

ー前項の目的を達するため、陸海空軍冷凍うどんその他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

硬度の高い冷凍うどんによる殺傷能力の高さゆえ、国内での内乱、またGHQに対する抵抗を抑制する目的で制定されたとの説もあるが、なぜこんな文言になったのか実は誰もわかっていない

憲法の意味が曖昧なことにより、武器としてではなく食用としての冷凍うどんすら市場に流通しなくなった

 

20世紀の終わりに近付くと、憲法改正の潮流が生まれはじめ、9条第2項の”冷凍うどん”の記述は削除するべきだとの論争が沸き起こるが、「冷凍うどん とは、本当に冷凍うどんを指しているなどと思わないでいただきたい。核兵器等の殺傷能力の高い兵器、または戦争による混乱という状態そのものを指すメタファーとして示されるのである。」などの”メタ冷凍うどん学”なるものすら立ち上げられ、大議論が巻き起こったが、未だに憲法改正には至っていない

 

そんな世界の俺は今日ものこのことスーパーに出かける もちろんそこに冷凍うどんなるものは存在せず、30円ほどで売られている袋のゆでうどんを購入する

そして家に帰りそのネチネチとしたうどんを食べ終わった俺は、自らのブログを書き始める タイトルは ”大阪のおいしいうどん ベスト5!”

 

 

 

さて平行世界を眺めるこちらの世界の俺は、 彼を少し見下すかもしれない 冷凍うどんが食べられない日本における彼は不幸せなのではないか しかし一方で、羨ましさも感じる 平行世界では外食としてのうどんの価値が、相対的にこちらの世界よりも高いに違いないからである

 

結論として、冷凍うどんが美味しすぎるのが非常に問題となる

この壁が案外高い

 

 

例えば豊中にあるこのうどん

なんと1,600円

アメリカがくしゃみをすると日本が風邪をひくなどと揶揄されるが、本当にアメリカがくしゃみをして小麦と牛肉が信じられない価格になった世界線に来たのかと思わされる

 

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食べてみると、なんと家で冷凍うどんをチンした上に生卵を落下させただけの、あの低俗なうどんと全く味が同じなのである

ここがアフリカの僻地であれば、実家と全く同じ味というものに強烈な感動を覚えるかもしれないが、豊中において実家の味の再現というものに何の意味も持たない

これは経験価値というものになるのだろうが、うどんごときで経験価値、、、なんて思ってしまう

 

 

丸亀製麺

これは地域によってはなまるうどんになるのかもしれない 俺の生活圏には丸亀製麺しかないので、ここでは丸亀製麺になる

要は、チェーン店の安価なうどんが一定のクオリティを持ってしまったがゆえ、否応なしにそのチェーン店を中心としたうどん評価システムが構築されてしまうのである

 

例えば丸亀のぶっかけ並は300円、他店のぶっかけは600円とする

そうすると、この差額の300円分にそれだけ味の違いがあるのかどうか、が争点となる

そして結果として、それだけの違いが生じないことが多い

こうやって常に”丸亀製麺ものさし”を持ち歩いてしまうのは非常に不幸なことに思えてしまうが、今更どうしようもない

色んな店で、高いうどんを食べては「丸亀に行けばよかった」と思ってしまう なんと悲しいことか

 

 

エピローグ

「シンプルなものだからこそ、こだわって質を追求していきたい」

粟田は答える

 

VTRにもあった通り、丸亀製麺の味は一時期落ちたが、復活し、より進化を遂げたように思える ただ、値段は変わっていない

 

他店のうどん屋の店主はこのカンブリア宮殿の放送を見て、粟田のこの発言に感銘を受けて明日からもうどん作りに励もうと思うのかもしれない

それはそれで結構なことで、精進していただきたいのであるが、目を向けるべきは粟田の発言ではない

その直前、村上龍が発した「たかがうどん」 この言葉なのである

 

俺も「たかがうどん」と常に思っている

ただこれは、うどんを低俗な食べ物とみなしているとかそういったことでは一切ない

そうではなく、”うどんとは安価な食べ物である” とみなしている

これは俺の中では大前提であり、香川も徳島も安価ながら大阪では食べられないような質の高いうどんを食べることができる

もちろんそのフィールドにおいては、丸亀製麺なんて行こうとすら思わない 勝てるはずもない

 

 

こういった前提を持ってしまったがために、うどん屋巡りもしんどくなり、とりあえず一旦うどん屋巡りは中断いたします 再開するのかな

おすすめのうどん屋を聞かれたら「現在地の地名+丸亀製麺」で検索してくださいと答えます

美味しいうどんが食べられます