なおやんの 手記手記 しゅっき〜

なおやんの 手記手記 しゅっき~

痛みに耐えて よく頑張った

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趣味の副次的効果

結局PS4を購入

PS4を巡っては前の記事のいざこざがあったが、もちろんPS4は欲しかったわけで、その数日後に普通にメルカリで購入した

 

ゲームをしながら少し仕事に役立つ知識も身につけたい、そんなヌルすぎる考えで選んだソフトが街づくりゲームの「シティースカイライン」であった

 

どのような街並みを作るのかは決まっていた「信州中野」である

あそこは地方都市あるあるの大型店舗が立ち並ぶ幹線道路が走っている一方で、スキー場もあり広大な農地もあり、ふと横に目をやると壮大な妙高山がそびえ立っている

日本でもここまでカオスな街並みはなかなかない 洋服の青山のすぐ裏にりんご園があるのはこの街くらいである

 

さっそく住居区域を指定し、家を建てていく

このゲームはあくまで海外製のゲームで、生えてくる家はどれもアメリカンな感じの家ばかりでそこがまず萎える 既に信州中野でもなんでもない

荒涼とした大地を開拓していくのは日本の戦後復興のようで興奮するのだが、アメリカンハウスが並び出すとただただウエスタンな感じになって治安もクソもないように思えてくる

 

そんな文句も言いつつ街が形成されてきて、街への愛着が醸成されつつあったそのとき、坂本市長の大失政が明らかになる

市長は下水排出施設を上水道の取水施設の上流側に設置していた

排出された下水は下流へと流れ、その水を上水道が吸い上げる形になっていた

自らの糞尿を口にした市民の健康状態は急激に悪化

焦った市長はすぐさま貯水池を作りそこに下水を流し込むように下水管の流れを変えるが、貯水池のキャパを越える糞尿により洪水が発生

糞尿の津波により街は浸水 うんちおしっこアトランティスの完成だ

市民は大量に死亡 自らの糞尿で溺れ死ぬとき、人は何を思うのであろうか

 

コロナ地獄から抜け出しせめてもの夢を見たくてゲーム機を購入したのに、その中ではコロナ禍を超える阿鼻叫喚の有様が映し出されていた

 

自己嫌悪

それでも結局そのゲームにハマッて、ひどい日は1日に6時間も7時間も没頭していた

時間を忘れて打ち込める趣味があるのは素晴らしいことである まして家から出れないこのご時勢において、家の中にいながら何時間ものめり込むことが可能な趣味を見つけられることは大いに結構なことである

 

しかし、ゲームはそうではなかった

 

数時間のゲームを終え、ふと「あ、そろそろ終わろう」と思って電源を切った瞬間 とてつもない自己嫌悪に襲われるのである

この話題を一昨日オンライン飲み会で振ると、初対面の西成警察署勤務の方から「特に夕方のチャイム」という言葉が出た

そう、夕方のチャイムが特に恐ろしい

 

夕方5時のチャイムが 今日はなんだか  胸に響いて

フジファブリック若者のすべて」より

 

このチャイムが本当に響くのは、昔好きだった人へ想いを寄せる一途な青年ではない

我を忘れてゲームにのめりこみ、チャイムによって初めて外を眺め、すっかり建物の陰に隠れた太陽に絶望感を覚えるカス人間にこそ響くのである

ゲームと5時のチャイムの組み合わせは本当に最悪で、目の前にヒ素があれば一気飲みしてしまう勢いである

 

ゲームを終えたあとのこの脱力感、徒労感、そして自己嫌悪はなぜ起こってしまうのか

これを言うとゲーマーにどつき回されそうだが、「生産性のなさ」これに尽きるのではないか

 

そもそも趣味とは

趣味とは、それ自体を楽しむのはもちろん、その趣味を通じて生まれる副次的な効果がどれだけ生まれるか、も大事な要素なのではないか

自分のような承認欲求オバケは特にそう思ってしまう

例えば音楽を趣味にするにあたっては、その副次的効果に「モテる」というのがあるかもしれないし、その他の趣味にも「すごいと思われたい」とか「同じ趣味を持つ仲間グループに加わりたい」とかいうのもあると思う

場合によってはその副次的効果が主要な目的になるような、逆転現象が起こることも十分あり得る

 

旅行大好き芸人の私に

「お前はSNSを一切禁じられ、外部との接触を一切断たれた状態で旅行できるか」

と問うと

「もちろんできます なんなら外部の声なんて邪険でしかないので取り除いてもらいたいくらいですわ」

くらいの軽口を叩くと思う

 

しかしこの問いを50回繰り返すと

「いや・・・インスタくらいはやりたいかもです・・・」

になるし、

500回目には

「認められたい!!! 認められたい!!!」と発狂する気違いと変貌している

 

もちろんそんなことはなく、純粋に旅行を楽しんでいるとここでは主張するが、その想いが奥底まで純水で透き通っているかといえば、若干の濁りがあるのは否めない

 

さてこの視点でゲームという趣味を見たとき、それ自体が楽しいのは事実である

実際に何時間ものめり込んでしまった

しかしそこから生まれる効果という点、副次的効果により自分に何か付加価値をつけることができるか、という点ではなんとも言えない

もちろんゲームによって新たなコミュニティが増えたとか、極めたら誰かに認められるとかあるのかもしれない

ただ、やはり他の趣味に比べるとそういったものは限定的で、故に「時間を浪費してしまった」という感覚に襲われるのではないか

 

いやしかし時間の浪費だけではそこまでの自己嫌悪に襲わるだろうか

これを言うとまたシバき回されるが、時間の浪費・生産性のなさに加え、ゲームを終えたあと、確実にアホになっているのだ

テレビを消した瞬間は頭がポーッと浮いて、ボノボ程度の知能になっている気がする

香川県のゲーム条例、あれはくだらない条例だと思うが、あの条例に対抗する意見としてよく出た「ゲームによって得るものもある」というのは、正直あまり賛同できない

それによって友人が増えるとかは多いに喜ばしい副次的効果だと思うが、ゲームによって協調性が身につく!とか我慢強くなることを覚えた!とかいうのは泣けてくる 

パワプロのマイライフで私は2番打者として役目を果たすべくチームのため年間100犠打を達成しました よって協調性が~自己犠牲が~とか多分そんな程度である

 

今流行りのどうぶつの森も、結局それをやることで誰かと話題を共有できるとか、スクショをSNSにアップできるとかそういった側面に価値を見出しているところも大きいのではないか

ちなみにあのゲームは、人間と動物が仲良く暮らすハートフルゲームなんてものじゃない

動物の中でも「ヒトのフォルムに近い進化をした」動物だけが高い知能を持っており、残りの虫や魚類などは作品の中ではハンティングの対象となる

つまり絶対的権力者であるヒトに従事した者のみが「搾取する側」であり、残りは「搾取される側」となり、死ぬまで怯え続けるのである

これは中華人民共和国の構造と似ていることから、どうぶつの森においてプレイヤーが操作するのは習近平といえる ああ なんと恐ろしいゲームであろうか

 

 

以上のことから、私という人間はゲームをダラダラと続けることはできないと判断してしまった

もちろん趣味の副次的効果なんて意識しない人もいるし、なんなら意識しない方がその趣味を純粋に楽しめて良いこと尽くめである

あくまでこれは私自身の意見であり、正しいどころかこんな考えもっていない方が良い人生を送れること間違いない

 

というわけで、PS4とは2週間で縁を切ることに・・・